アリシアの戦いとアルノア達の帰還
アリシアの足が止まった。
遺跡の最奥に差しかかるそのとき、冷たく艶のある声が洞内に響く。
「これはこれは──
聖天にして最年少の才女、アリシア様ではありませんか」
声の主は、岩壁に背を預けていた。
黒いマントに、胸元で揺れる血染めの十字架。
その身から放たれるのは、どこか澱んだ異質な魔力──
スプラグナス。
アルノアたちがかつてリドルスのダンジョンで相まみえた、霞滅の幹部のひとり。
「……“霞滅”。あなた、やはりそうか」
アリシアの声音は凛としていたが、その瞳にはわずかに怒気が灯っていた。
マントの動き、身に宿る気配、魔力の波長──
そのすべてが、霞滅の人物だと告げている。
「問わせてもらいます。
この遺跡で何をしている。精霊の力をまた……あなたたちは一体何を目論んでいる」
スプラグナスは一歩、アリシアに近づく。
優雅な仕草のまま、口角を上げて言う。
「まさか、ただの見回りではありますまい?
精霊の“根源”を探るために来たのは、貴女のほうなのでは?」
アリシアはその問いに乗らず、代わりに地を伝う魔力の乱れを探る。
この場には、かつて守護精霊が眠っていた痕跡がある──それが、今は完全に空虚となっていた。
「……精霊がいない。あなたたち、奪ったのですか」
「“奪う”だなんて人聞きの悪い。
ただ……世界を“再構成”するために、“鍵”を集めているだけですよ」
スプラグナスの指が宙をなぞるたび、魔力の糸のようなものが空間を縫い始める。
まるでこの地そのものを織り変えようとしているかのように。
アリシアは剣を地面に突き立て、問う。
「破壊神の復活──それが目的?」
スプラグナスの目が細くなる。その問いに対して、彼は否定も肯定もしなかった。
ただ、楽しげに微笑んだまま答える。
「答えは……貴女が勝ち取ることですね。
聖天ともあろう方なら、それができるのでしょう?」
アリシアの足元から、大地の魔力が立ち上る。
岩を砕き、大地を震わせる──の構え。
「ならば、力で問いかける。霞滅の目的、ここで白状させてもらう」
スプラグナスの目が細くなり、十字架が黒く光を放つ。
「それもまた、良い選択です。
私としても、貴女のような強者が“どこまで使えるか”見極めておきたかった──」
アリシアの眉がわずかに動く。
その金色の瞳がスプラグナスをまっすぐに射抜いた。
「……見ていたのか。学園対抗戦を」
スプラグナスは唇を吊り上げるように笑い、手を広げて言葉を続ける。
「ええ。あの時の戦い、実に興味深かった。
白き魔力の少年――アルノア。彼が顕現させた戦神の力は、我々にとっても非常に価値のあるものです。
そして、その彼と並び立つ“あなた”の存在も──霞滅にとっては、十分に警戒に値するものでした」
アリシアは剣を構えたまま、一歩前へ。
「……なるほど。
私たちが、霞滅にとって邪魔になっているということか」
「“邪魔”ではなく、“要”です」
スプラグナスはまるで讃えるような口調で言った。
「あなたは強い。学園対抗戦のデータと、その後の動き、地属性との適合率。
おそらく、あの中で最も安定して最上位の戦力に到達できる資質を持っている。
だからこそ……」
彼の指先が魔法陣を描くように空を舞い、周囲の魔力が異様に膨れ上がっていく。
まるで空間そのものが黒に染まり始めるかのような、歪んだ波動。
「どれほどの脅威か──試させてもらいます、アリシア様」
アリシアの足元から大地が鳴る。
大剣が重々しく持ち上がり、同時に彼女の背後に、地の精霊の力が結晶のように浮かび上がる。
「試す?……その覚悟、無駄にしないことね」
スプラグナスの口元が再び綻ぶ。
「ええ、それでこそ“地の聖天”。
祝福を受けし英雄たち……一人目として、あなたに敬意を払いますよ」
そして──空間が裂けるように、二人の間で激突が始まる。
――――――――――
風の遺跡の空気が、静けさを取り戻していた。
ソーンヴェイルとの激闘を経て、アルノアたちは傷つきながらも、試練を乗り越えた。崩れた遺跡の天井から差し込む陽光が、戦いの終焉を優しく告げている。
「……行くぞ。出口はすぐそこだ」
リヒターが言い、アルノアたちはゆっくりと歩みを進める。
その後ろにいたソーンヴェイルも、ふらつく足取りながらついてきた。
ダンジョンの外に出ると、柔らかな風が三人の頬を撫でた。戦いの熱気が嘘のように、静寂が辺りを包む。
ソーンヴェイルはそこで足を止め、空を仰ぐ。
「……ようやく、少しだけ澄んだ風が感じられるな」
彼の顔はどこか安らいでいた。だが、次の瞬間、その身体がふわりと揺れた。
「ソーンヴェイル……?」
アルノアが声をかけると、彼は背を向けたまま、静かに言った。
「俺は……まだ終われない。精霊の力は、俺が奪い、霞滅に与えてしまった。
責任は俺にある。残された命が尽きるその時まで、俺は精霊のために動く」
そう言い終えた瞬間、ソーンヴェイルの身体が風とともに薄れていく。まるでその身ごと、風に乗せてどこかへ消えようとしているかのように。
「ソーンヴェイルッ……!」
リヒターが叫ぶが、その姿は既に透明になり、輪郭すら残っていなかった。
「最後に伝えておく……霞滅は十名足らずの少数だが、全員がSランク級の実力者だ。
……そして、全員が“あの男”に心酔している。あれは、ただの狂信じゃない。強さによって生まれた絶対的支配だ。
――どうか、見誤るな」
風が吹いた。
彼の声も、そのまま風に乗って消えていった。
残された三人は、ただその場に立ち尽くす。
新たな戦いの気配を、確かに胸に刻みながら――。




