グリフォン
空気が唸りを上げる。
グリフォンが巨体を揺らし、翼を大きく羽ばたかせた。その瞬間、圧倒的な風圧が前方へと奔流のように襲いかかってくる。
「くっ――防げるかよ!」
リヒターが叫び、両腕を広げて魔法陣を展開した。旋回する風の壁が生まれ、衝撃波を受け流す。
「アルノア、合わせるぞ!」
「わかってる!」
アルノアの足元に魔力が集中し、白く輝く魔力が浮かび上がる。身体強化と個性の適応が、グリフォンの動きを解析し始めていた。
「白雷氷刃!」
大鎌を振り抜き、刃先から放たれた氷雷の斬撃がグリフォンの足をかすめた。鋭い咆哮が遺跡に響く。
「今の、通った!」
シエラの叫びに、エーミラティスの力が静かに応えるように大鎌の刃が再び震えた。
「風の力を取り込んだ、異質な力……それを断つには同質の力が必要なのかもしれないのう」
その声が心の中で響いた瞬間、アルノアの短剣に再び風属性の光が走る。
「リヒター、あの短剣に力を貸せるか?」
「貸す? なるほどな……風に導かれるわけか!」
リヒターが魔力を集中させ、風属性の核を練る。青白い魔力が短剣に流れ込むと、その刃が一際鋭く輝いた。
「これなら――!」
再びアルノアが地を蹴り、グリフォンのもとへ接近する。しかし暴走した神獣は、容赦なく翼を振るい、空を裂く風刃で反撃してきた。
「くっ……シエラ!」
「精霊の盾!」
シエラの風精霊が展開した結界が、アルノアをかばうように広がり、時間を稼ぐ。
その一瞬で、アルノアはグリフォンの懐に潜り込んだ。
「――風よ、答えろ。これは、お前の意志だろう?」
刹那、短剣が輝きを増す。
アルノアが跳躍し、大鎌と短剣を交差させて振り下ろす。
「穿て――《白風雷斬》!」
閃光が奔り、グリフォンの胸を裂くように一閃。黒い瘴気が爆ぜるように飛び散り、神獣の巨体が悲鳴を上げて揺らいだ。
「今だ! 押せッ!」
リヒターの追撃、嵐の槍が続けざまに突き刺さり、グリフォンの動きが鈍る。
だが、なおも倒れはしない。
グリフォンの瞳に微かに揺らめく“正気”の色が、一瞬だけ――ほんの一瞬だけ――現れた。
「……まだ間に合うのかもしれない」
アルノアの言葉が遺跡の空気に静かに響いた。
――戦いは佳境へ。
だがその影で、霞滅の計画は確実に進行していた。
⸻
グリフォンの動きが鈍る。
その翼はボロボロに傷つき、鋭い爪も何度も叩き折られていた。
それでも尚、神獣は戦おうとしていた。
いや、戦わせられていた。
「アルノア……あれを見て」
シエラが小さく指差したのは、グリフォンの胸部、皮膚の下に埋め込まれた異質な黒い結晶だった。
「魔力制御の……封印核か?」
リヒターが眉をひそめる。
その結晶がグリフォンの生命力と魔力を吸い上げ、狂わせ、暴走させていたのだ。
霞滅が遺跡の守護者を実験台にしていた証――。
「このままじゃ、あいつは……」
アルノアが強く歯を噛みしめる。
短剣に力を集めながら、エーミラティスの声が静かに届く。
『選ぶのじゃ、アルノア。破壊するか、希望を賭けるか。』
「……止めてみせる。壊さずに、救う!」
アルノアは跳躍した。
傷だらけのグリフォンの眼前に迫り、短剣を黒い結晶に突き立てる。
「――封印・解除!」
アルノアの白い魔力を帯びた風が結晶に流れ込み、破壊ではなく“魔力の調律”を行うように染まっていく。
短剣が響く。共鳴の波動が黒い結晶を内側から打ち砕いた。
次の瞬間、グリフォンの咆哮が遺跡中に轟いた。
だがそれは、暴力的なものではなかった。
――苦痛から解放された叫び。
――本来の理性を取り戻した声。
グリフォンはその場に崩れ落ち、ゆっくりと瞼を閉じる。
呼吸は荒いが、もはや黒い瘴気は見当たらなかった。
「……やった、のか……?」
リヒターが息をつき、アルノアもその場に膝をつく。
「間違いなく、敵がここで何かをしていた」
シエラが落ちていた魔力器具の残骸を拾い上げる。刻まれた紋章は、ヴァルディアの鎖のものだった。
「霞滅とヴァルディアの鎖はどういう関係なんだ……この遺跡で実験を終えたあとは……別の場所に移動してる可能性が高いな」
リヒターの言葉に、アルノアは頷く。
「これは始まりに過ぎない。破壊神の影は、まだ……どこかで蠢いている」
そして、静かに息を整えたアルノアの視線が、グリフォンの奥、遺跡の最深部に向けられた。
そこに、風の試練を司る本来の祭壇があるはずだった――。
⸻
グリフォンの咆哮が静まり、遺跡には穏やかな風が流れ込んでいた。
さっきまでの重々しい気配が嘘のように消え、風の流れは柔らかく、澄んだ気配に満ちている。
その中心で、グリフォンがゆっくりと身を起こす。
「……意識が戻ったのか」
リヒターが息を呑む。
巨大な瞳が、アルノアを静かに見据える。
その視線には、怒りも敵意もなかった。ただ、深い感謝と……試すような気配があった。
「……助けてくれて、ありがとうって……言ってる気がする」
シエラが小さく呟く。
グリフォンは立ち上がると、翼を広げ、遺跡の奥へと向かって歩き出す。
大理石の床を重々しく響かせ、彼方の封印扉の前で振り返った。
「……あれが、風の試練の場所か」
アルノアが立ち上がり、短剣をそっと収める。
グリフォンの背から、柔らかな風が吹いた。
まるで「来い」と語るかのように――。
「俺たちを、導こうとしてる」
アルノアが一歩前へ出ると、グリフォンもまた一歩、封印の門の前で頭を垂れる。
風の精霊が、グリフォンの背に寄り添って現れる。
その姿はぼんやりとした白い輪郭に、風そのものが命を宿したかのような気配を帯びていた。
『選ばれし者よ。試練を乗り越えし時、風の加護は真の姿を現すだろう』
誰かの声が風に混じり、耳元に響く。
グリフォンが最後の力を振り絞り、封印の扉に翼を広げる。
バチッ……と空気が揺れ、封印の鎖が音を立てて砕けた。
奥に広がるのは、風の聖域――
空中に浮かぶ無数の浮遊石と、疾風が渦巻く異空間のような世界だった。
「……来いというなら、行こう」
アルノアが歩み出す。
「この先に、何があろうと」
その背に、シエラとリヒターが並ぶ。
風は、確かに彼らを選び、導こうとしていた――。




