リヴァイアサン
滝の轟音が、重く響く。
足元には湿った岩肌が広がり、霧のような水滴が空気を包み込んでいた。
視界の奥、巨大な水の柱の中で、何かがうごめく気配がする。
――それは、異様な静けさだった。
「……ここが、リヴァイアサンのいる場所だ」
カイアスの声が、どこか震えていた。かつてここで仲間を喪った男の、恐怖が滲む。
巨大な水場の中心、複数の滝が交差する深淵――
そこに、確かに“それ”はいた。
「いたな……間違いない」エギルが言う。「奴の気配は前と同じ……いや、それ以上だ」
リヴァイアサン。
かつて伝説とされ、海の神の如く語られた大いなる水龍。
その身体はまるで黒曜石のように輝き、そこに禍々しい黒いオーラが絡みついている。
ただの水属性ではない、何か異質な“力”に汚染されたような気配だった。
誰もが息を呑む中で、アルノアはふと、腰に差した短剣に違和感を覚える。
「……!」
短剣の刃が、黒く染まり始めていた。
まるでリヴァイアサンの放つ黒いオーラに共鳴するように、刃の紋様が光を帯び、脈動していた。
「おい、アルノア……その短剣……」ミアが気づき、言葉を失う。
「まさか、こいつが……」アルノアはそっと柄を握る。
刃から流れる魔力は、確かにリヴァイアサンのそれと同じ“波”を持っていた。
――この短剣は、このために存在している。
直感がそう告げていた。
「引き寄せてる……」シエラがぽつりと呟く。「あの龍と、同じ“力”がこの短剣に眠ってる」
リヴァイアサンが、動いた。
黒く濁った瞳がこちらを見据え、水が渦を巻くように広がる。
「来るぞ――構えろ!!」
エギルの号令と同時に、全員が一斉に武器を構える。
水が逆巻き、巨大な身体が姿を現す。
まるで神話から飛び出したような恐るべき存在が、咆哮と共に戦場を支配した。
だが、アルノアの手の中の短剣も、呼応するように強く脈打つ。
リヴァイアサンが咆哮をあげた瞬間、滝の流れが逆巻き、巨大な水の柱が天へと吹き上がる。
それはまるで、大海を統べる王が怒りの波動で空間ごと飲み込もうとしているかのようだった。
「来るぞ――ッ!」
エギルが巨大な魔法盾を展開する。地属性の魔力を凝縮し、水の衝撃を受け止めるための構えだ。
直後、リヴァイアサンの尾がうなりをあげ、地を揺らす勢いで叩きつけられた。
――ドガアアアァン!!
「ぐっ……! 重てぇなコレ……っ!」
エギルの防壁が軋み、地面が抉れる。だが、崩れはしなかった。
「今のうちにっ!」
シエラが精霊と共鳴し、複数の水属性モンスターを足止めする。周囲の水から生まれた小型の水蛇たちが蠢き、仲間たちを囲もうとしていた。
「精霊よ、水の乱れを制せ――《水縛ノ鎖》!」
精霊の鎖が蛇たちの動きを封じ、ミアが飛び込む。
「一掃するよ――!」
剣を抜いたミアが水蛇をまとめて斬り伏せる。
小さな体からは想像できない精密な動き。無駄のない所作は、仲間たちの動きを引き立てる。
「援護する! 《フレアバースト!》」
ラウドの詠唱が終わり、炎の渦が上空からリヴァイアサンに向けて放たれた。
だが――
「無駄かよっ……!」
水龍の一つの頭が呪文を飲み込み、周囲の水を操ってその炎を消し去った。
同時に別の頭部が魔力を収束し、巨大な氷塊を撃ち出してくる。
「しまっ――」
ラウドが咄嗟に身を引いた。直後、氷塊が地面に激突し、周囲に鋭利な破片が飛び散る。
「範囲が広い! 魔法の対応速度も早い!」
エリスが叫びながら回避支援の結界を張る。そのおかげで誰も傷は負わなかったが、圧倒的な“知性”を感じさせる動きだった。
「このままじゃ埒が明かない……アルノア、やれるか!」
「……ああ、試してみる」
アルノアは深く息を吸い、魔力を解き放つ。
「――《大氷結》!」
周囲の水気が一瞬にして凍りつき、リヴァイアサンの体の一部を氷漬けにする。
その瞬間、仲間たちの攻撃が集中する。
「今だ、叩き込め!」
エギルが地から生やした岩槍を突き上げ、ガルスの斧が振り下ろされる。
ゼルドが正確に弱点を射抜き、シエラの精霊たちが水流を制御し続ける。
だが、リヴァイアサンは吠えるだけでその全てを受け流した。
「……なっ……効いてない!?」
「魔力の層が厚すぎる……!」
黒いオーラが再び身体を包み、氷を砕く。
そしてその尾が暴れ、ミアとラウドが吹き飛ばされかけたところを、エギルの壁が間に合って受け止めた。
「ちぃ……ッ! これが、今のリヴァイアサンの“本気”か……!」
仲間たちは息を切らし、攻防を続けながら距離を取った。
「……小手調べ、ってところだな」
アルノアが短剣に目をやる。
刃は黒い光を放ち続け、脈打つたびに何かを訴えかけてくるようだった。
リヴァイアサンの全容すら見えない中で、既に限界が近づいている仲間たち。
だが誰一人、退こうとはしなかった。
「《ヒールサークル――展開!》」
エリスの詠唱が響くと同時に、眩い癒しの光が戦場を包んだ。
体中を走っていた痛みが引いていくのを感じながら、仲間たちは再び立ち上がる。
「助かったぜ、エリス……!」
エギルが呻きながらも再び盾を構え、仲間の前へと躍り出る。
だがその瞬間、リヴァイアサンが全身をうねらせ、大気を引き裂くような咆哮を放った。
「――グオオオォォォォォン!!」
地響きのような音と共に、水流が巨大な竜巻となって押し寄せる。
上から、横から、地面から。四方八方から襲い来る“圧倒的な水の暴力”。
「クッ……防ぎきれないぞこれは!」
ミアが叫ぶ。ゼルドやガルスが迎撃に動くが、水流の勢いは衰えず、まるで逃げ場など無いかのようだった。
リヴァイアサンの全ての頭が魔力を溜め、なおも攻撃の構えを崩さない。
それは“力の格が違う”と、否応なく伝えてくる――。
そんな中、アルノアは静かに目を閉じていた。
手にした短剣を見下ろしながら、心の奥底に沈んでいた存在へと意識を向ける。
(……エーミラティス)
呼吸が静まる。
そして――アルノアの背後に、白銀の輝きと共に“それ”が現れた。
エーミラティス。破壊神にして、魔を祓う者。その顕現は、空気すら浄化するかのような清浄なる気配を放っていた。
「……俺はまだ、力を制御しきれていない。けど……ここで負けるわけにはいかないんだ!」
アルノアの目が、淡く白く輝く。
次の瞬間、全身から白き魔力が爆発的に放たれた。
「うわっ、魔力の波が……!」
「この圧……本当に人間かよ……!」
仲間たちが一歩引くほどの膨大な力。
水の竜巻が迫るなか、アルノアはその中央へと歩み出る。
「――氷よ、白き刃となりて貫け」
彼の詠唱に呼応するように、大気中の水分が一斉に凍り始める。
リヴァイアサンの操る水流すらも、その一部が氷の刃へと変貌していった。
「《白氷牙・絶零穿》!!」
地を穿ち、天を衝く一撃が放たれた。
氷の刃が龍の胴体へと突き刺さり、黒いオーラの一角を切り裂く。
「グォオォオオオ――――ッ!!」
リヴァイアサンが初めて、苦痛の咆哮を上げた。
アルノアの魔力が、黒き瘴気を上回った――。
「効いてる……! アルノアの力なら!」
シエラが呟き、精霊たちが再び動き始める。
仲間たちも士気を取り戻し、それぞれが再び戦線へと飛び込んでいった。
白と黒、力と力。
空間そのものが揺れる中、反撃の狼煙は今、確かに上がったのだった。




