謎の男
下層へと進むにつれ、空気が一層重くなる。冷たい水気がまとわりつく中、魔力を帯びた強力なモンスターたちが次々と襲いかかってくる。
鋭利なヒレを持つ水棲獣、幻影を生み出す水精種、そして巨大な装甲殻を持つ甲殻竜。
だが、その猛攻をもってしても、一行の足を止めることはできなかった。
アルノアの氷魔法が戦線を支配し、シエラの精霊たちが全方位の奇襲に対処する。
エギルが最前線で防御を固め、ミアの剣が迫る敵を的確に仕留める。
ラウド、ガルド、ぜルド、エリスもそれぞれの役割を果たし、まるで一つの巨大な生き物のように、全体が滑らかに動いていた。
「さすがだな……このパーティ、もはやレイドでも遜色ない戦力だ」
ミアが苦笑しながらも感心したように呟く。
戦いの合間、先頭を進んでいたエギルが立ち止まる。彼の視線の先には、かつてリヴァイアサンが現れた場所——のはずのエリアが、まるで別物のように広がっていた。
「……やっぱり変だ。ここ、前回リヴァイアサンと戦った場所を通り過ぎてる」
「え? でも地形、全然違ったよね?」ラウドが訝しむように言う。
エギルは頷いた。「ああ。あのときは、滝が三方に広がる盆地のような地形だった。だけど今回は、崖のような斜面と地下湖が広がってる」
ミアも真剣な表情で周囲を見渡しながら口を開く。「リヴァイアサンが本来いた場所すら、すでに通り過ぎてるとなると……このダンジョン、やはり何かで変化してるわ。構造そのものが“拡張”されたか、“ねじ曲げ”られてる可能性が高い」
「じゃあ、リヴァイアサンはどこに……?」アルノアが問いかけると、エギルは重く言った。
「もっと深く。前よりずっと下、より強い魔力が渦巻く場所に——本当のボスとして、今なお君臨してるのかもしれない」
その言葉に、空気がまた一段と冷え込んだような気がした。
一行は静かに頷き合い、再び深部へと足を進める。
今度こそ、《深潭ノ渦》の真の核心に辿り着くために。
静寂が満ちる深層の空間に、ただひとつ――足音だけが響いていた。
「誰だ――!」
エギルの鋭い声が空気を裂き、全員が一斉に構える。
水音すら緊張に飲まれたように静まり返り、手の中の武器が冷たい。
水気を帯びた霧の向こうから、ゆっくりと近づいてくる影。
魔力の気配は――だが、妙に安定していた。
敵意は感じない。しかしこの場所に“人”がいること自体、異常だった。
「……俺は、冒険者だ」
現れたのは、青灰色のマントに身を包んだ中年の男だった。
鋭い目元には疲労と、それを押し隠すような覚悟が宿っている。
胸には、見覚えのないギルドエンブレム。どこのギルドかすら分からない。
「嘘だろ……こんな奥に……」と、ガルドが低く呟く。
「お前、どうやってここまで……?」ラウドが警戒しながら問うと、男は少しだけ口元を緩めた。
「……気がついたら、ここにいた。仲間もいたが……もう、今は俺だけだ」
「……!」
全員が一瞬、表情を変える。
「名前は?」アルノアが一歩前に出て問う。男は短く答えた。
「カイアス。元“暁の梟”……もう聞いたことはないかもな」
ミアが小さく息を呑む。「……あのギルド……十数年前に消息不明になったパーティ……まさか……」
エギルも目を細める。「冗談じゃない。ずっとこの中にいたってのか……?」
カイアスは静かに頷いた。「10年?そんなに長くはいたつもりはないが、このダンジョンは変質してる。おそらく、外部からの“何か”が入り込んでるんだ。……この先は、もっと異常だ」
その言葉に、一行の緊張は再び高まった。
ここから先、本当に“誰も知らない”領域が広がっている。
未知の脅威。未知の構造。未知の真実。
アルノアは短く息を吐き、目を細めて言った。
「だったら――確かめに行くしかないな」
カイアスの治療のためセーフティーゾーンで休息をとる。
カイアスの語る声は静かだったが、その奥には長い孤独が宿っていた。
「……俺がここに来たのは、1年ほど前になる」
その言葉に、場の空気が一変する。
「1年……? ちょっと待ってくれ」
エギルが眉をひそめ、ミアと顔を見合わせた。「カイアスって……まさか“あの”カイアス・ヴェルドじゃないよな?」
カイアスはわずかに驚いたように頷いた。「……そう呼ばれていた時期もあったな。随分と前のことだが」
「それなら確定だ。名前も、顔も一致してる」
ミアが表情を固くして言う。「でも、あなたは――10年以上前に消息を絶ったはずよ」
「なに?」カイアスが目を見開いた。「……それはどういうことだ?」
「10年どころじゃない、正確には13年前だ」
エギルが言葉を継ぐ。「大陸横断航海中、海で遭難した有名なパーティがあった。その中でも隊長格だった冒険者――それが、カイアス。あんたの名前と一致する」
カイアスは言葉を失い、しばらくの間黙り込んだ。
その沈黙が、いっそう場の緊張を高めていく。
「だが……俺にとっては、まだ1年しか経っていない」
カイアスが絞り出すように言った。「渦に呑まれて、リヴァイアサンと戦って、目が覚めたらここだった。それから、この中で出口を探して……ずっと1年。確かにそれ以上ではない。感覚が狂っているなんてこともない」
「……時の歪みか」
アルノアが静かに呟く。「もしくは、このダンジョンが“時間”そのものに干渉している可能性がある。だからこそ、ダンジョン自体が『意思を持って動いている』ように感じるのかもしれない」
「リヴァイアサン……それも強化された“黒のオーラ”を纏っていたとなると、ただの偶然じゃないわ」
シエラの声にも緊張が宿る。「ここにはまだ、私たちの知らない仕掛けがある」
カイアスは顔を上げ、まっすぐ皆を見た。
「俺は、俺の仲間の死の意味を知りたい。なぜあの時、俺たちはこの渦に呑まれたのか。この“時間のねじれ”が何を意味するのか……一緒に進ませてくれ」
エギルが頷く。「もちろんだ。あんたがどれほどの戦士だったか、昔から知ってる」
「それに……今ここで会えたのは、偶然じゃないはずだよ」
ミアも続ける。
アルノアは無言で歩み寄り、手を差し出した。
「一緒に進もう、カイアス。ここはまだ“謎の入り口”に過ぎない。全ての答えは、この先にあるはずだ」
カイアスは一瞬、目を伏せ――そして静かに、力強くその手を取った。
「……ああ。ここからが、俺の戦いの続きだ」
そして新たな仲間を加え、ダンジョンの最奥――未踏の地へと、一行は歩みを進めていった。




