みんなの気持ち
アグアメリアの聖堂――
広場での衝突の後、エマの導きによってアルノアたちは聖堂内部の会議室へと案内された。豪奢ながらも祈りの重みを感じさせる空間。祭壇の奥に位置するその場所は、限られた高位聖職者しか入れない神聖域であった。
そこにはすでに数名の聖徒や魔導騎士、そして各地の巡礼団の代表が集まっていた。警戒心と猜疑心をたたえた視線がアルノアたちを刺す。
「さて――」
エマは席につくと、アリシアの方を見た。
「話してもらえるかしら。精霊の神廟で、何があったのかを」
アリシアは静かにうなずき、前へ出る。そして、彼女の口から語られたのは――
水の神廟での激闘、破壊の力の侵蝕、精霊王の命を守るための戦い。そして、門を開かせ、破壊の一端を持ち去った《霞滅》の女――デシローザの名。
「……私たちが到着したとき、精霊王の魔力はすでに溶けかけていました。おそらく封印の力が限界だったのでしょう。私たちは、精霊王の命を守るために、破壊の魔力を押さえ、敵の侵入を阻止しました」
「結果として、精霊の力は……」とエマが言いかける。
「……弱まりました。ええ、間違いありません」
アリシアは毅然と言い切った。
「ですが、それは私たちが“傷つけた”のではない。精霊王は、自らの命を削り、破壊を封じていた。その封印が崩れたのです。私たちは、失われかけた命を辛うじて繋ぎとめたにすぎません」
ざわめきが広がる。
「ではなぜ……そのようなことが起きた?」
一人の巡礼団長が立ち上がる。
「長年、神廟は安定していた。破壊の魔などという存在が、なぜ今になって……!」
その答えに続いたのは、アルノアの声だった。
「それが“封印の限界”です。そして……それ以上に、かつて世界を崩壊寸前まで追いやった“破壊神”が、再び動き出している」
会場が静まりかえる。
「馬鹿な……破壊神など、ただの御伽噺だ!」
「神々の戦いが神話だ。我らの信仰の軸である、御伽噺とは……!」
「御伽噺じゃないわ」
静かに言ったのはエーミラティスだった。
彼女の声は、誰にも聞こえないはずの幻の声――それをアルノアが口にする形で、代弁するように響いた。
「私儂はかつて、破壊神と戦った者――戦神エーミラティス。この者に宿り、見守ってきた者。お主たちが信じる神の名のもとに誓おう、今、世界は再び災厄の淵にある」
その場にいた一部の者たちが息を呑む。中には、神に通じる力を持つ高位聖職者たちもおり、彼女の“気配”に確かなものを感じ取っていた。
「では……この青年は……?」
エマが問いかける。
「儂は、この者アルノアを認めた。今の時代に、破壊と対峙するに相応しき“可能性”を持つ者として。ゆえに、我が力を授けた」
その言葉と同時に、アルノアの背に微かに白き光が宿る。それは精霊の輝きではない、もっと鋭く、神性を感じさせる“戦の気配”だった。
「……信じがたい話だ。だが、貴方が語った精霊王の弱体、そして敵が“封印を狙っていた”という点に筋は通っている」
エマは腕を組み、深く考え込む。
「――私が貴方たちを信じたところで、全ての信徒たちが納得するとは思えない」
「だが、少なくとも、ここで貴方たちを“敵”と断じることはしない。アグアメリアの聖天として、私の責任で貴方たちを保護下に置く」
「……ありがとう、エマ」
アリシアの声には、安堵が滲んでいた。
だが、アルノアの胸中は複雑だった。
(封印は……本当に、あとわずか。水が崩れた今、次は――)
破壊の門は開かれた。
そして、それを追う霞滅の気配は、各地へと散っていた。
世界が崩れ始めている。
その実感が、静かに彼らの背を押していた。
⸻
アグアメリアの夜は、聖都らしく静かだった。
聖堂近くに与えられた一室――石造りの壁に囲まれたそこは簡素だが、魔除けの結界が張られ、周囲の喧騒から切り離されていた。
アルノアは、窓辺に立ち、月明かりの差し込む空を見上げていた。
「……次は、どこだと思う?」
背後から声をかけたのはユリウスだった。戦いの痕を癒しきれないまま、彼もまた眠れずに起きていた。
「残すは炎と地だが……場所が不明だ。どちらにしても、急がなきゃいけない」
「だが、その前に、仲間の足並みが揃っているか……確かめた方がいい」
ユリウスはそう言って、一歩近づく。
「お前は無理をしているように見える。……全部、自分で背負いすぎだ」
アルノアは微かに笑って言った。
「お前には言われたくないよ、ユリウス。あの時、お前がひとりでデシローザを食い止めたじゃないか。……俺には、あれだけの覚悟が持てるかどうか、自信がなかった」
「……ふっ。そりゃあ、意外だな。お前って、もっと自信満々なやつかと思ってたよ」
軽口に見せかけて、ユリウスの目は真剣だった。
「俺らも《白光の環》に入れろ、一人で背負うな。精霊の命も、世界の命も、守るのはお前だけじゃない。みんなでだ」
アルノアは視線を伏せたまま、頷いた。
「……ありがとう、ユリウス」
その時、部屋の扉がノックされた。開いた先にいたのは、アリシアとシエラだった。
「休んでいるところ、悪いわね。でも、みんなで少し話したいの。……これからのことも含めて」
数分後、全員が集まった小部屋――
《白光の環》のメンバーとユリウスパーティが顔をそろえる。
リリアンは、口を開いた。
「次に進む前に、確認しておきたいの。……私たちは、このまま本当に破壊の封印を追い続けるのかを」
「それ以外に道はないだろ」ヴィクトールが答える。
「そう。でも……それは“使命”として、無理に背負わされてるわけじゃない。私は……皆がどう思ってるか、知りたいの。私は……この旅が、怖い」
リリアンの声は震えていた。
「だけど、みんなが前にいるから……私は踏み出せるの。だから、聞かせて。あなたたちの気持ちを」
アリシアはゆっくりと頷いた。
「私は、聖天としての責任があるけど、それ以上に……精霊たちが怯えてるのを、感じてしまう。彼らを護りたいと思う。それが、今の私の戦う理由」
ヴィクトールは腕を組んで言う。
「破壊神の復活なんて、放っておいても世界が滅ぶなら……俺は滅びを選ぶつもりはねぇ。それだけだ。単純な話さ」
ユリウスはリリアンの方を見て、静かに答えた。
「怖いのは、俺も一緒だ。でも、逃げるよりは前に進んだほうが楽なんだよ。背中を預けられる仲間がいるからな」
沈黙が訪れる。
リリアンは、少し泣きそうな顔で、それでも笑った。
「……そっか。みんな、同じくらい不安なんだね。でも、それでも……」
「それでも進むんだ」
アルノアが言った。
「今、俺たちは、世界にとっての希望かもしれない。だから――行こう。次の封印へ」
夜が更ける中、彼らの言葉が小さく、しかし確かにその場に灯をともす。
次に待ち受けるのは――風の地、<風の精霊廟>。
次なる破壊の影が、そこにもまた迫りつつある。