表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
121/124

崩れかけの信仰

『聖国アグアメリアの崩壊』


水の神廟から戻ったアルノアたちを迎えたのは、見覚えのあるはずのアグアメリアとは思えない混沌だった。


かつて清らかな水と静寂に満ちていた聖都は、今や焦げた空気と怒声に満ちていた。街のあちこちで煙が上がり、聖堂の壁は落書きと火の痕で汚され、街の中央広場では“信徒”たちと呼ばれる者たちが武器を掲げて叫んでいた。


「偽りの救いを信じるな! 精霊は試練を与えているのだ!」

「神罰を受ける者を裁け! あの者たちが精霊を弱らせたのだ!」


その中に、何人か異質な者がいた。布で顔を覆い、全身を黒や深青の法衣に包み込んだ彼らは、まるで精霊の気配を見透かすかのような鋭い視線を向けてくる。普通の信徒ではない、魔力を感じ取れる“猛者”たち――。


ヴィクトールが眉をひそめる。


「……ただの扇動じゃない。やつらの中には、本当に精霊の力の変化を感じ取れる連中がいる」


ユリウスも同意するように頷く。


「俺たちが神廟で守った精霊王の力……確かに弱まってはいる。だが、それは破壊の力を抑えた代償だ。わかってないな」


「わかろうともしないさ」とリリアンが低く呟いた。「“信じる”ことに依存した者たちにとって、現実はいつだって都合の悪い夢みたいなものだから」


アルノアは少しだけ視線を落とし、右腕の白銀の紋を見た。


エーミラティスから授かった“白金の力”。今もそこには、精霊王の断末魔のような、かすかな命の波動が宿っていた。


(守り切った……だが、代償は小さくない)


ふと、群衆の中から殺気が走った。


「……アルノアだ!!」


一人の男が叫んだ。黒衣の男、肩に水を象った刺青を持つその者は、信徒の中でも別格の気配を放っていた。直後、男の手に青い槍が生まれた。純粋な水の魔力ではない、精霊を模した歪な魔法――


「精霊の加護を穢したお前らを、粛清する!!」


群衆がざわつき、混乱が爆発した。


「くるぞ! ユリウス、ヴィクトール!」

「応戦する!」


アルノアは剣を抜き、跳ねるように前へと出た。その瞳にはもう迷いはない。精霊王の意志を護った今、この混沌をも収める義務があると、彼は確かに知っていた。



混沌としたアグアメリアの広場に、魔力の奔流がぶつかり合った。


「〈蒼刃槍・壱式【セリアル=グレイヴ】〉!」


信徒の中の一人――いや、信徒という枠に収まらぬ力を持つ“魔の信徒”が放った水槍が、風を裂いてアルノアに突き刺さらんとする。だが、ユリウスがその軌道に割り込み、瞬時に防壁を展開する。


「〈重奏障壁・雷〉!」


雷の魔力が絡み合い、盾のように前面を覆った。だが、水槍はそれを貫こうとし、激しい音を立てて破裂する。


「話を聞け! 精霊王は俺たちが護った!」

アルノアの声が響く。しかし、敵意に満ちた信徒たちは耳を貸さない。


「貴様らが触れたことで、精霊の力は弱まったのだろうが!」

「精霊が“苦しんでいる”のを我らは感じているのだ!」


その声に同調するように、複数の信徒が魔力を集中させる。


「……仕方ないな」

ヴィクトールが静かに剣を抜き、魔力を帯びさせる。

光属性を纏った輝きを持つ剣が振り抜かれる。


彼の剣から放たれた一閃が前方にいた信徒たちの動きを止める。しかし、その場の魔力がさらに高まり、戦いは避けられぬ様相を見せていた。


だが――


「それ以上はやめなさい」


女性の凛とした声が場を断ち切った。


――白と水色の法衣に身を包んだ女性が、人混みを割るようにして現れる。その周囲は不思議なほど静まり返り、まるで清らかな泉に差し込む光のような存在感を放っていた。


その者の名は――


「エマ・ノワール……!」


アリシアがその名を口にした。


「……貴女がなぜ、ここに?」


エマ・ノワール――水属性の聖天魔法使い。アグアメリアにおける最上位聖職者であり、アリシアと同じく“聖天”と称される者の一人。かつて共に学び、共に祈った仲だった。


「騒ぎを聞いて戻ってきたのよ。……貴女がここにいるのなら、まずは話を聞かせて。少なくとも、この人たちが“本当に敵”かどうか、見極めるだけの理性は、まだ私にはあるわ」


エマは振り返り、信徒たちに静かに語りかけた。


「お前たち……アグアメリアの聖なる者として、冷静さを失ってはならない。精霊が力を失ったなら、まずは祈り、そして知る努力をしなさい。それが我らの道であるはずでしょう」


彼女の言葉に、信徒たちの動きが徐々に鈍っていく。中には武器を下ろす者もいた。


「……聖天様のお言葉ならば……」

「だが……我々の感覚は……間違ってはいないはず……!」


「間違ってないかもしれないわ。でも、それを正しく理解するには……暴力では足りない」


エマはアルノアたちをまっすぐに見つめる。


「今この場で、あなたたちの話を聞かせてもらうわ。アリシアも同席してくれるなら、なおのこと信じられる」


「……ありがとう、エマ」

アリシアが静かにうなずく。


その場の空気が、ほんの少しだけ穏やかになる。だが、信徒たちの疑念は完全に消えたわけではない。

これは一時の平穏であり――精霊の力の変化は、確実に“何か”を呼び寄せ始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ