水の神廟の結末へ
神廟の中心へと続く長い回廊を、ユリウスとヴィクトール、リリアンが駆け抜ける。
3人の身体には、先程の激戦の痕が色濃く残っていた。裂けた服、焦げた肌、揺れる魔力。
「……ギリギリだったな。だが、止めた……確かに」
「デシローザ……破壊の力に染まりながらも、自分の意志で動いていた。あの力を使える時点で油断はできない」
額の汗を拭いながら、ユリウスは鋭く前方を見る。
そして、神廟の中心にたどり着いた彼らの視界に広がったのは――
崩れかけた青白い空間と、うずくまる巨大な“存在”だった。
まるで水そのものが命を宿したような透明な身体。神秘のような瞳。そしてその周囲を囲む、白く光る防壁のような魔力の膜。
精霊王――だが、明らかにその力は弱まっている。
「……っ、これは……」
「ユリウス!」
そこに、駆け寄る白髪の青年――アルノアがいた。彼の背には、同じく神妙な表情をしたリヒターやシエラ、アリシアの姿もある。
「無事か? 遅くなってすまない!」
「お前たちこそ……こっちの事情は終わった。精霊王の命、まだ間に合うのか?」
アルノアは短く頷いた。
「――まだ、生きている。でも……限界は近い」
神廟の空間全体に、紫がかったヒビのような“魔力の裂け目”が広がっていた。
それは破壊の力がこの地にまで及んでいる証。精霊王はその中で必死に、自身の魔力と命で“破壊”を抑えているのだ。
「霞滅は……この破壊の力を開放させることで、その力を得ようとしている」
「封印が破られれば、この地が――いや、世界が呑まれる」
シエラの声が震えていた。水の精霊王は本来、各地の水の精霊たちの源。それが消えれば、生態系だけでなく精霊世界との均衡も崩壊する。
「……今、精霊王をこの場から安全な場所へ移動させることは不可能だ」
アルノアが口を開いた。
「彼女はこの地に縛られている。力が融合しているから、動かせば命が途切れる可能性が高い」
「なら、どうする」
「――破壊の力を抑え込む。精霊王が命を保っている間に、根源の“破壊”と分断して融合を止める」
アルノアの手には、大鎌“黒穿”が握られていた。それは、純粋な戦の力の化身エーミラティスが宿っている。
彼女の力とアルノアの適応で破壊の力を断ち切るという力業にかけるしかない。
「けど、今も魔力の乱流が激しい……ここで使うには、誰かが結界を張って空間を安定させないといけない」
「なら、俺たちがやる。シエラにもお願いしたい」
ユリウスが一歩前に出る。
「お前たちが魔力を一点に集中できるように、空間を安定させる結界を魔力で抑える。あとは任せた」
「……了解した。ありがとう、ユリウス」
アルノアが微笑む。そして――
「みんな、準備を!」
《白光の環》とユリウスたちは、即座に役割を分担して動き始める。
リリアンとシエラが魔力の流れを整え、リヒターが周囲に展開する破壊の魔素を分散させる。ヴィクトールとユリウスは全身に魔力の盾を纏い、周囲の乱れを一手に引き受け固定する。
そして――
「……我が願い、この光に宿れ」
アルノアの手の中で黒穿は変形し、《白光の刃》が淡く発光し始める。
「流れを感じて……水の声を聞いて……」
アリシアの詠唱が重なり、空間に清浄な光が満ちていく。
破壊のヒビが、徐々に薄れていくのが分かった。
「――もう少しだ……!」
だが、まさにその時。
ゴォォォッ……!
神廟全体が轟音を上げた。結界のどこかに亀裂が走る。
「……っ、何か来る!!」
ユリウスが叫ぶと同時に、空間の奥に“裂け目”が現れる。
それはまるで――
「……門?」
黒紫の光が漏れ出し、禍々しい気配が吹き荒れる。
「これが……破壊の封印の“向こう側”か……!」
その場に緊張が走る中、アルノアは魔具にさらに力を込めた。
「間に合う……! もう少しで、封印の反動を抑え込める……!」
そして――
「――今だ、精霊王!」
《白光の刃》の力が一気に解放され、水の精霊王の身体を包み込む。青白い光が、周囲の亀裂を修復し、崩壊しかけていた空間が静かに癒されていく。
しばらくして――
精霊王が、薄く瞼を開けた。
「……ありがとう……まだ、私は……」
その声は微かだが、確かに“生”を感じさせるものだった。
「――間に合った」
誰かの声が、安堵とともに響いた。
だが、戦いは終わっていない。
破壊の裂け目は、今もこの地に“爪痕”を残している。
神廟に満ちていた光が徐々に静まり、精霊王の命がわずかに戻っていく。
アルノアの手の中で《白光の刃》は淡い輝きを残しながら、力を使い果たして沈黙していた。
「……よかった、間に合ったんだな……」
リヒターがほっと息をつき、リリアンが膝をついて崩れるように座る。ヴィクトールとユリウスもそれぞれ肩で息をしながら、ようやく安堵の表情を浮かべていた。
だが――
「……あれは……」
再び、空間の奥。
まるで空間が破れたかのように現れた“門”。
黒紫の光を帯びたそれは、まるで世界の理そのものを拒絶するかのような禍々しさを放っていた。
アルノアは一歩、門へと近づきながら呟く。
「……この門は、封印の裂け目……向こうは、おそらく……“破壊”そのものの根源」
そして、その時だった。
「……あら、せっかくのお祝いの邪魔しちゃったかしら?」
声がした。場に緊張が戻る。
その声は、どこか愉快げで、冷たく、そして……よく知った声。
「――デシローザ……!」
誰かがその名を呟いた。
気配なく現れたその女は、門の目の前に立っていた。黒いマントは既に脱ぎ捨てられ、白い肌に漆黒のように黒い髪が揺れていた。
あの激戦で深手を負ったはずの彼女は、どこか儚げなほど静かで美しい笑みを浮かべていた。
「精霊王は守られた……あなたの目論見は失敗したのよ!」
アリシアが叫ぶ。しかし、デシローザは微笑を崩さず首を横に振る。
「失敗? いいえ、違うわ。私は……“破壊の力が現れる場”を必要としていただけ」
「精霊王が居るかなんて元々知らないわ」
その視線が、門へと向けられる。
「確かに、あなたたちの努力で、精霊王の命は繋がった。……だけど、こうして“門”は開かれたし、精霊王が守っていたけど繋がりを絶ってくれた……」
静かな声の中に、確かな確信があった。
「そっちの子達に邪魔はされたけれど……この世界に、またひとつ“破壊”が顔を出した。」
アルノアが前に出ようとする。
「止める……!」
しかし、遅かった。
デシローザはふわりと踵を返すと、門の前で一瞬こちらを振り返った。
「――ありがとう、アルノア。あなたたちがいたから、この門は開いたのよ」
その言葉に、誰もが一瞬、息を呑んだ。
「貴方たちは正義で、私は悪……でもね、正しさだけでは、世界なんて守れないわよ」
そして――
彼女は黒紫の光に包まれ、破壊の門の向こう側へと消えていった。
門が、まるで彼女を迎え入れるかのように、静かに閉じていく。
「待て……!」
ユリウスが駆け寄るが、間に合わなかった。
門は音もなく消滅し、空間はまるで何もなかったかのように静寂に包まれる。
残された者たちは、誰も言葉を発せず、ただその場に立ち尽くすしかなかった。
――破壊の力は、確かに動き始めている。
そして、それに触れた者たちが、“向こう側”で何をするのか。
その意味を、まだ誰も知らない。




