それぞれの動き
神廟の奥へ進むにつれ、空気がどこか重たく、異様な圧を帯び始めていた。
「……水の精霊の神廟、っていう割に、なんか静かすぎるよな」
リヒターが眉をひそめ、周囲を警戒する。
「精霊の気配も薄い。代わりに、感じる……妙な“波”が」
シエラが低く囁く。
その“波”――それは明らかに精霊の力とは異なるものだった。魔力であるにも関わらず、自然の理を拒むかのような粗暴なうねり。どこかで見た何かが、底から湧き上がるような感覚。
《……これは、やはり。破壊神の力が滲み出している。封印が――急速に脆くなっているのだ》
エーミラティスの声がアルノアの内で重く響いた。
(この場所に、封印が?)
《いや……この遺跡は、“それ”の一部だ。元々は精霊王が祈りと水の力で穢れを抑えていたのだろう。だが……もう限界だ》
水の神廟――それは本来、精霊たちが安らぐ静謐の場所。だが今、その中心に近づくほどに“穢れ”が満ち始めていた。
「霞滅は、“破壊の力”を狙って動いてる」
アルノアが口を開く。
「水の精霊王を保護するためには、その力の源に近づかなきゃならない。先にたどり着かれたら、精霊王ごと危ない」
「……ああ。敵は精霊王を助ける気なんてさらさらないってことね」
アリシアが剣を引き抜きながら呟く。
「精霊王と思われる存在は、もう長く“ここ”で破壊の力を抑え続けているのかもしれない。だとすれば、時間も、余裕もない」
アルノアたちは小さく頷き合い、水の神廟の中心部へと歩を進めた。
――薄い靄が満ち、石造りの通路の奥で、音もなく何かが脈動している。
そして、そのさらに先に、霞滅の気配が、すでに届きつつあった。
⸻
静寂な森の中、空気が張り詰めていた。
ユリウスたちは、水の神廟とは別のルートから、霞滅の痕跡を追っていた。折れた木々、焦げた地面、そして何より、濃い“悪意”を帯びた魔力の残滓――。
やがて、古びた祠の裏手に回り込んだとき、彼らは“それ”を見つけた。
「いた……!」
ヴィクトールが息を呑む。
黒いマントを翻し、無造作に立つ人影がひとつ。頭巾の奥からは表情こそ見えなかったが、その胸元には見覚えのある、赤黒い十字架の紋章。
「……間違いない。霞滅の人間だ」
ユリウスは低く呟いた。
相手は一人――だが、油断はできない。霞滅の構成員の多くは、少数であっても高い戦闘能力を持っている。中でも、精霊や魔力の“異常”に特化した者は厄介だった。
「俺が仕掛ける。……今はまだ、気づかれていない。先手を取る」
木陰に身を潜めたまま、ユリウスはゆっくりと構えを取る。魔力を最小限に抑えながら、長剣に力を込めると、刃に淡い雷の奔流が走った。
「合図を待て。奴が動いた瞬間、一気に仕掛けるぞ」
仲間たちが小さく頷く。
――敵はまだこちらに気づいていない。
――この一撃に、すべてを懸ける。
ユリウスの瞳が、鋭く光を帯びた。
⸻
「今だッ!!」
ユリウスの叫びとともに、空間が弾けた。
炎・雷・風・水――四属性を束ねた混成の大魔法が一挙に炸裂する。雷鳴が轟き、炎が舞い、斬裂する風が周囲を切り裂いた。その中心、黒衣の人物を逃さず包み込む。
爆風が辺りの木々をなぎ倒し、土煙が天を突くほどに巻き上がる。
「……やった、か?」
ヴィクトールが剣を構えたまま呟く。しかし。
土煙の中から、一歩、また一歩と足音が響く。
「……っ!」
現れたのは、傷一つ負っていない黒いマントが風に揺れ、その胸元の十字架が不気味に輝く。
「なるほど。強い魔力が近づいてきているとは思っていたいたが……確かに、面白い力を持っている」
声は淡々としていたが、どこか底冷えするような響きを含んでいた。
「だが、その程度では“我ら”には届かん」
敵が右手を上げると、その手のひらに禍々しい魔力が収束していく。それは炎にも似ず、闇にも似た、形容しがたい色――破壊の本質すら思わせる。
「退いて、ユリウス!」
リリアンが叫んだ瞬間、黒衣の男の掌から放たれたのは、空間そのものを削り取る一撃。ユリウスは咄嗟に身を翻してかわすが、背後の地面が抉れ、深いクレーターが生まれていた。
「くそっ……なんなんだ、あの魔力は……!」
ユリウスが歯噛みする。対する霞滅は、静かに答える。
「この場所は、“器”にとって相応しい。あの水の遺跡も、いい“素材”になるだろう」
「お前らの狙いは……!」
「我ら霞滅の目的は、破壊の力の継承と進化だ。この地に残された“神”の力、それを新たな器に刻む。それだけのこと」
その言葉に、ユリウスの目が鋭く光る。
「なら、余計に……ここで止める!!」
雷が再びユリウスの周囲に走る。だがその時、敵の背後に、幾重にも刻まれた魔法陣が浮かび上がった。
「今度はこちらの番だ。君たちに……“進化の結果”を見せてあげよう」
魔法陣から現れたのは、異形の精霊だった。精霊というよりも、精霊だった“何か”――その姿は、まるで破壊の呪詛を受けたように歪んでいた。
「お前……精霊を……!」
黒衣の者の視線が、まるで空間そのものを見透かすように巡る。
「貴様……さらに精霊王を狙ってるのか!」
ユリウスが叫ぶ。しかし、首を小さく振る。
「精霊王? いや、そんなものには興味はない。……今はな」
その目が細められる。眼前の戦いではなく、もっと遠く、何かを“探って”いるようだった。
「だが、この地下に眠っている。“核”に似た揺らぎ……まるで、封じられた神の息吹のようだ。ここは、ただの神廟ではない」
ヴィクトールが低く息を呑んだ。
(……やはり破壊神の力が溢れているのか)
「精霊だかはどうでもいい。俺が求めているのは“力”そのもの。破壊の本質に近づける何かがあるのなら……掘り返すまでだ」
黒衣の者が静かに手をかざす。地に向けて、じわじわと魔力が染み出していく。まるで地脈を探るように、根を張るように。
「まずは貴様らが……その“鍵”ではないと証明してもらおうか」
魔力の波動が再び膨れ上がる。歪められた精霊が吼え、異形の気配が周囲に広がっていく。
「くそっ、やっぱりここで止めるしかない……!」
ユリウスが剣を構え、仲間たちも戦闘態勢に入る。
一方で、アルノアたちは神廟の奥へと進み、水の気配が強くなる場所へ向かっていた。だが、アルノアの中でざわめく気配が、何かを警告していた。
『アルノア。……お前も感じているな? “力”が揺れている。この地の奥、何かが目を覚ましかけている』
――エーミラティスの声。
それはまるで、時間が無いと告げるように、静かに、だが強く響いていた。
⸻
「アルノアたちが戻るまで……ここで、お前を食い止める。それが今の俺たちの役割だ!」
ヴィクトールも剣を抜き、リリアンがサポート魔法の詠唱に入る。
「やっと決まったな、役目ってやつが。だったら……負けるわけにはいかない!」




