帰還と報告
アルノア達は転移の光に覆われていた。
転移の光が収まると同時に、重く張り詰めていた空気が嘘のように消え去った。
地面は安定し、風が頬を撫でる。そこは、フレスガドルの塔の入口広場。あの重く閉ざされた第30層の戦場とはまるで違う、日常の喧騒が遠くに聞こえる空間だった。
「……ここは地上……? 本当に戻ってきたのか」
アストラル・ガード副隊長のサフィアが目を細め、周囲を見渡す。彼女の鎧には細かな傷が残り、戦いの苛烈さを物語っていた。
「転移装置……あの階層全体に及んでいたらしいな」
低く唸るような声でそう呟いたのは、蒼波の羅針盤の斧戦士・ガルスだ。彼の隣には、同じく転移されてきた仲間のゼルドが立ち、口笛を吹いた。
「へぇ、30階層のからまるごと転移か。とんでもない力だぜ、まったく……」
《白光の環》のリーダー・アルノアは、背後にいる仲間たちを確認しながら、静かに頷いた。シエラ、アリシア、リヒター、蒼波の羅針盤も無事。アストラル・ガードの隊員たちも、混乱はしているものの命に別状はないようだった。
塔の第30階層。あの空間で彼らは、古代の守護者と交戦し、ついにその試練を打ち破った。白金の輝きを放つ魔力。“勇者の継承”という言葉。そして……塔の奥から放たれた、不気味な呼び声。
――来たれ、継がれし者よ。五つの塔の門が開かれる。
「……あの声、全員が聞いたのか?」
転移の直前に響いた声。
アルノアの問いに、ヴィオラが小さく頷いた。
「ええ。私たちも……確かに、聞いたわ。“50層まで来い”と。あれは私たちだけでなく、恐らく世界中の塔で……」
「それならなおのこと、急がねぇとな」
ガルスが腕を組み、ゼルドが肩をすくめる。
「とりあえず、まずはギルドだな。こんな大事、真っ先に情報共有しなきゃ怒られる」
塔からの帰還者の姿に、街の住民たちは少しずつ集まり始めていた。彼らの表情には驚きと期待、そしてどこか不安の色が滲んでいる。30階層の攻略が、街全体に伝わっているのだ。
「皆さん!」
声をかけてきたのは、ギルド職員のクララだった。慌てた様子で駆け寄ってくる。
「大至急、ギルド本部へ。すでに報告を受けた幹部たちが緊急会議を始めています。白光の環への招集。蒼波の羅針盤の皆さん、アストラル・ガードの方々にも同席の要請が出ています!」
全員が顔を見合わせ、すぐに頷いた。
「了解。案内を頼む」
ギルドの重厚な扉が開き、彼らはその中へと進んでいく。
会議室に通された一行を迎えたのは、フレスガドル王国軍出身の幹部――カエルダン。険しい目元と古びた軍服が、場の緊張を引き締める。
「よう来たな。お前たちが……塔の30階層を突破した者たちか」
「はい。報告します。白光の環、蒼波の羅針盤、アストラル・ガードの三勢力で、守護者を討伐。階層ごと転移させられ、地上に帰還しました」
アルノアが端的に報告し、カエルダンはうなずく。
「よくやった。だが事態は緊迫している。お前らが帰還する前、同時に“他国の塔”からも似た反応が出ていた」
彼は机上の地図を指差す。五つの大陸に存在する、五つの巨大な塔。それぞれの塔がアルノア達が30階層を越えた直後、同じタイミングで“深層の扉”を開くような魔力を放ったという。
「まるで、世界の塔が呼応したかのように、な。“50層まで来い”――そう塔自らが告げているようだ」
「……ただの偶然じゃない。意図的に……?」
シエラが目を伏せ、アリシアが小さく呟く。
「破壊神について明確に動き出したと?」
「恐らくはな」
カエルダンが頷く。
「フレスガドル王国は、お前たち《白光の環》を“調査特使”として任命する準備に入っている。蒼波の羅針盤には、その支援および外部連絡の任を、アストラル・ガードにも戦力補助としての要請が出される予定だ」
「ふん、面白くなってきたじゃねぇか」
ガルスが笑い、ゼルドが肩をすくめる。
「ま、どのみち俺たちは放っとけない性分だしな。こっちから首突っ込んでやろう」
アルノアは仲間たちの顔を順に見渡し、決意を込めて言う。
「……なら、まずはこの塔の調査を継続する。30階層以降、何があるのか。それを確かめなければならない」
外の喧騒が、徐々に会議室の窓越しに大きくなる。人々が、塔の変化を感じ取り、騒ぎ始めている。
塔が何を訴えているのか。
“白光の環”の新たな旅が、今、再び動き出そうとしていた――。
⸻
ギルドでの会議を終え、報告と作戦のすり合わせが一段落した頃には、フレスガドルの空はすっかり夕焼けに染まっていた。塔の出現以来、街は昼夜を問わず活気づいているが、夕暮れ時の街並みにはどこか懐かしい静けさがあった。
《白光の環》の面々は、ギルドに隣接する宿の一室に落ち着いていた。
「ようやく、腰を下ろせたな……」
リヒターが大きく伸びをしながら、窓辺の椅子に体を預けた。窓の外からは、活気の戻った露店の掛け声や、子どもたちの笑い声が微かに聞こえてくる。
「緊張が切れた途端、どっと疲れが出た。」
シエラはベッドに倒れこみ、くたびれた様子で枕に顔を埋めた。塔の30階層。あの“カラド・メギア”との戦いは、誰にとっても過酷だった。
アルノアは静かに荷物を解きながら、ふと目を細めた。
「……それでも、全員無事で戻れたのは幸いだったよ。アストラル・ガードも、《蒼波の羅針盤》の皆も、全員外に転移されていたのは驚いたけど。」
「“塔の意志”か、それに近い何かの力……だろうな。カラド・メギアの消失と、あの声。塔の構造が、何か大きく変わり始めている」
アリシアが腕を組み、いつもより険しい表情で答える。仲間の中でも経験値があり理知的な彼女がこうして悩むのは、よほどのことだ。
「……それにしても、妙だったな。カラド・メギアが言った“選定”とか、“試練”って言葉。あれ、明らかにアルノアを指していたろ」
リヒターの指摘に、部屋の空気が一瞬だけ張りつめた。アルノアはすぐには答えず、静かに頷いた。
「うん。……たぶん、あれは“勇者”の力に関係してる。断片的だけど、あの戦いの最中、誰かの記憶が流れ込んできた。白い魔力……いや、“白金の魔力”を使っていた人物の」
「……古代の勇者、か?」
「わからない。でも、確実に俺の中に何かが刻まれた。それが……これからの塔の攻略に必要になる気がしてならないんだ」
シエラは顔を上げ、やや不安そうに彼を見つめる。
「……でも、一人で抱え込まないで。私たちは“チーム”なんだから」
その言葉に、アルノアはようやく笑みを浮かべた。
「ありがとう。頼りにしてるよ、みんな」
部屋には、一瞬だけ穏やかな沈黙が流れた。窓の外から、塔を照らす夕陽が差し込んでくる。
その後、軽く夕食を取った一行は、自由時間としてそれぞれの時間を過ごすことにした。
シエラは街の雑貨屋を回り、精霊の加護を強化するアクセサリーを物色していた。普段は戦いの中でしか精霊の声を聞かない彼女だが、今日はどこか穏やかにその声を楽しんでいるようだった。
アリシアは魔術師たちの集まる塔の外縁の書庫に足を運び、塔に関する古文書を読みふけっていた。新たに現れた用語や神話的記述の調査は、彼女にとって何よりの休息でもあった。
リヒターは広場で剣の稽古をつけていた。集まってきた若い冒険者たちに指南をしながら、自らの身体を整えている。彼は表には出さないが、次に塔へ向かうときのために気を緩めることはなかった。
風が静かに吹き抜け、草原の香りを運んでいく。新たな戦いが待つ塔。その深部で何が待ち受けているのか、まだ誰にもわからない。




