セーフティゾーン
塔内・第30階層 セーフティゾーン──。
空間を守る結界の内側、静かに流れる魔力の空気の中で、《白光の環》の面々が慎重に足を踏み入れる。疲労と緊張の残る表情に、淡い安堵が滲む。
「他にも……人の気配があるな」
リヒターが空間に漂う風の流れを感じ取りながら、目を細めた。
アルノアたちのすぐ近くには、重装を身にまとったアストラル・ガードの数名がいた。彼らは《白光の環》とともに、この階層を探索してきた王国直属の警備班だった。
「よう、やっぱりあんたたちだったか!」
その時、豪放な声が空間に響く。
姿を現したのは、蒼色のマントを羽織った屈強な男──《蒼波の羅針盤》のリーダー、エギルだった。彼に続いて、妻のミア、若き剣士ラウド、盗賊のゼルド、斧戦士のガルス、ヒーラーのエリスが次々に現れる。
「久しぶりね、アルノア。こんな場所でまた会えるなんて」
ミアが優しく微笑み、ラウドもどこか照れくさそうな笑顔を見せた。
「元気そうで安心したぜ。お互い、生きてりゃまた会えるもんだな」
エギルが親しげにアルノアの肩を叩き、懐かしさと安堵が交差する空気が流れる。
一方その様子を、少し離れた場所からじっと見つめていた人物がいた。
銀の鎧を纏った女性──《アストラル・ガード》副団長、サフィア・レーン。その背後には、主戦部隊の数名が控えている。
彼女は鋭い眼差しをアルノアたちに向けると、静かに口を開いた。
「……あなたたちが、《白光の環》か。報告では名前だけは目にしているが……まさか、警備班と共にこの階層まで行動していたとは」
その言葉に呼応するように、警備班の一人──年配の男性兵が一歩前に出て、姿勢を正した。
「副団長。彼らは途中で我々と合流し、その後の探索では共に行動しました。塔内の魔物への対処も的確で、無謀な真似は一切せず、こちらの指示にも協力的でした」
「……そうか」
サフィアの鋭い視線がわずかに和らぐ。
「《白光の環》の代表として名乗らせてもらう。アルノア・グレイだ。貴方がアストラル・ガードの副団長……サフィア殿ですね」
「ええ。サフィア・レーン。王国直属部隊の指揮を任されています。……なるほど、聞いていたよりずっと穏やかな印象ですね」
言葉にはまだ探るような色があったが、敵意は見えなかった。
その様子を見ていたエギルが、笑いながら割って入る。
「そうそう、サフィア。こいつら、《白光の環》だよ。言ってたろ? 黒きオーラと敵対する魔術師の噂。そいつがこの中にいる」
「……あなただったんですね」
「信頼に足る存在かは、これから判断させてもらいますが……少なくとも、あなた方が我々と共にここまで来たことは事実。ならば、この先も“協力者”として扱いましょう」
そう告げるサフィアに、アルノアがうなずく。
「感謝する。今後の探索においても、目的が一致するなら協力は惜しまないつもりだ」
副団長の言葉に、アストラル・ガードの兵たちも一様に警戒を緩める。
──こうして、《蒼波の羅針盤》、《白光の環》、そして《アストラル・ガード》の三者は、情報と信頼を交わす第一歩を踏み出した。
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セーフティゾーンの一角。三つの勢力が一堂に会し、円形に座を構えていた。
《白光の環》
《蒼波の羅針盤》
そして、《アストラル・ガード》。
アストラル・ガード副団長サフィアが視線を巡らせ、まずは促すように口を開いた。
「まずは、情報の共有から始めましょう。状況を把握し、今後の方針を立てる必要があります」
すると《蒼波の羅針盤》の盗賊、ゼルドが前に出た。
「俺たちはこの階層を探索中、地形そのものの異常を確認した。一見普通に見える道が、何度通っても同じ場所に戻る。ループしてるような錯覚……いや、錯覚じゃない。空間がねじれていたんだ」
「空間構造の異常……」
サフィアが眉をひそめる。ゼルドは続けた。
「それだけじゃない。出会った魔物の中に、明らかに“制御されている”ような動きを見せる個体がいた。魔力の放出が均一で、人為的な干渉を思わせた」
その言葉に、一同が静まり返る。
次に口を開いたのは、エギルの息子であるラウド。
「正直、あいつらは……普通の魔物じゃなかった。俺たちを“排除すべき対象”とでも言うような、無感情な殺意を向けてきた」
それを聞いて静かに前に出たのは、地の聖天アリシアだった。
「私も、この階層に異常を感じました」
その名が告げられた瞬間、アストラル・ガードの中に小さなどよめきが走る。
副団長サフィアも軽く目を見開いた。
「あなたは……地の聖天、アリシア・グラント……?」
「ええ。塔の奥で、地脈が不自然に乱れていました。まるで“誰かの手で引き裂かれている”かのような断裂が走っていたのです」
「地脈に干渉……? 精霊の循環を乱すような真似が……」
アリシアは静かにうなずく。
「魔力の流れに不自然な濁りも確認しました。しかもそれは塔の構造にまで影響を及ぼしている。空間の歪みや魔物の異常行動は、その結果だと考えられます」
「つまり、誰かが塔そのものを“内部から歪めている”というわけか……」
サフィアが険しい表情で言うと、アルノアが補足するように口を開いた。
「俺もその異常を感じている。俺の武器宿りし魂がわずかに乱れていたんです。誰かが封印に触れているか、内側から浸食しようとしている……」
それを聞いて、ヒーラーのエリスが小さく声を漏らす。
「封印が崩れかけているということですか……?」
「断定はできませんが、その兆しは確かにあります」
場に静かな緊張が走る。
サフィアは数秒の沈黙のあと、言葉を絞り出すように口を開いた。
「……実は我々も、王宮より“階層深部に異常魔力の集中がある”との情報を受けていた。解析が追いついていないのが現状です。だが今の話を聞いて、それが現実の脅威であると確信した」
続けて、サフィアは《白光の環》を見据える。
「《白光の環》には、調査警備班と行動を共にしてもらっていると報告を受けた。警備班の者たちが“信頼に足る存在だ”と言っていた。……その働きぶり、確かに副団長として認めよう」
アルノアは小さくうなずき、静かに答えた。
「僕たちはただ、この塔で起きていることを見過ごせないだけです。選んだ道に従い、進むだけです」
「……頼もしいな」
サフィアはそう言ってから、全体を見渡し、宣言するように続けた。
「これよりアストラル・ガードは調査範囲を広げ、階層深部へと向かう。異常の源を突き止めるためだ。同時に、皆に正式に協力を要請したい」
エギルが立ち上がる。
「こちらも同じ判断だ。脅威があるなら見過ごせん。……それに、久々にアルノアと肩を並べて戦うのも悪くない」
三つの陣営が意志をひとつにしようとしていた。
敵はまだ姿を見せていない。
だが、確実に“何か”が階層の奥で蠢いている。
そして今、それに立ち向かうための“共闘”がここに結ばれようとしていた――。




