人間コンプレックス
『七咲西高校は、多様性を尊重します。
リッチな高等教育のみならず、グループワークによる多様な価値観の共有や、職業体験による多様な世界への接触...
研究室へのアクセス、豊富な図書。地域ボランティア、大学見学...
どれも、これも、学生の多様な未来を照らすためにあるのです。
...七咲西高校はその理念のため、一年中条件付きながら、転入生の募集をかけております。
希少な魔法。
珍しい身体的・精神的特徴。
稀な出自、生い立ち。
斬新な思想。
そのような、この学校の多様性を広げる学生を、常に求めています──』
ちり
ちり
ちり
──ちりちりちり、ちりちりちりと。5月の生暖かい陽光が、葉っ多な木々をかき分けて地を照らす。
光は行く場所を選ばない。体育館からグラウンド。庭園、プール、どこまでも。
光が校舎を見下ろした。七咲町、七咲西高校。
校舎のニ階の、ある教室。四枚の窓と、アクリル戸が一枚。ベランダを隔てるものである。
教室が、なんだか賑やかしな様子。
光は好奇心に駆られ、窓を抜けて中を覗いてみた。
生徒一同が席に座し、1人の男子が教壇に立つ。教師は傍らでそれを見守るのみである。
男は硬い表情で口を動かした。
「ヒールです」
「好きな食べ物はミカンです」
「得意な事は狩りです」
「趣味は読書です」
「よろしくお願いします」
彼は台本を流し読むかのように、抑揚のない言葉を並べた。
「では、質問のある方」
中年の教師が、座る多数の生徒に呼びかける。
真っ先に真っ直ぐに手を挙げたのは、教室の中央のある少女。
「冷凍ミカンと焼きミカン、どっちが好きですかっ」
「...常温です」
「ありゃ」
彼の淡白な応答に、教室に温かな笑いがにじむ。
続く挙手には、穏和な表情をした男子。
「出身地は、どこですか?」
「...七咲町です」
(おお、同じだ!)
男子は穏和な口を更に緩ませた。
多様性を謳う七咲西高校には、町の外からも人が集まるのだ。結果として七咲町民が少数派になるクラスも珍しくない。
「...」
ヒールの予感とは裏腹に、ここまでの部屋の雰囲気は常温程度には暖かかった。
だが嫌な予感は、大抵当たる。
「──え、魔法は何ですか?」
曲がった挙手をすると同時に、教師の合図を待たずその女は喋る。
教室の中央、リントの隣にその女はいた。
「見せてよ!」
彼女はヒールに魔法の披露を促した。
その目は半分の好奇と、半分の私欲に色づいていた。
「...見せられない」
「見せづらい魔法なんだ」
「なんでー」
「狩りが得意だから、戦闘系のやつ?」
「まあ、そんな感じ...」
「じゃあ見せてよー!いいじゃん!」
彼女は駄々をこねるように催促する。
(何が『じゃあ』なんだ...)
ヒールは彼女の欲を感じ取っていた。
彼女の腹の内が見えていた。魔法において自身の優位を誇示しようという魂胆が見えていた。
「...見せたくないなら、しょうがなくない?」
隣から、リントが彼女を諭そうとする──
「──うっせ!」
「そうでもないよお!?」
驚き反応するリントを差し置いて、彼女がヒールに向かって立ち上がる。
周囲でどよめきが起こる。
「転入って、テメェも多様性枠っしょ?」
「みんなムカついてるだろし、ウチが試してやんよ」
「試すだと?」
「狩りが得意なんだろ?」
「じゃ、ウチを狩ってよ」
「......は???」
「こっちの魔法も戦闘系だから。今すぐテメェを吹き飛ばせるしっ」
そう言って、彼女が構えをとる。
周囲のどよめきが強まる。穏和な男の表情ですら固くなる。
「ちょっとミドリちゃん、やめときなよ!」
リントが彼女を止めようとする。
(まずいよ...ミドリちゃんが脱がされる!!)
そう思い焦るリントの様子を、また別の男が眺めていた。厳つい背高の男である。
その男は後方窓際でくつろぎ、事の成り行きをまだ見守っていた。
(...先生?)
ヒールは教師の方をチラリと見た。教師が彼女を止めると思ったのだ。
彼の期待は裏切られた。
(...マジか、クソ無視してやがる)
教師は人体模型の如く、無表情で何もせず立っていた。
彼はひとまず教師に失望し、それからミドリという名の女に向き直る。
「...やめておけ」
彼は彼女と違い、構えをとらない。
「恥を晒すだけだぞ」
「はあああああ??」
彼の挑発めいた忠告が、彼女の怒りをはるかにたぎらせた──
ガッ
タンッ...!
「「!?」」
──強烈な衝突の音に、誰もが後ろを振り向いた。そして、教室のざわめきは止まった。
ヒールも音の正体に目を向けた。
「ヒール...だったよな?」
椅子を後ろに蹴り飛ばして立ったのは、後方窓際の席の男。
「...そうだけど」
ヒールも困惑しつつ答えた。
「ダイキ...?」
リントは呟くように、その男に向かってそう呼んだ。
「なあ、ヒール」
男は厳つい目をギラつかせて言った。
「こんなかまちょは放っといてよ」
「あ!?」
男の台詞によって、ミドリの怒りの矛先が変わろうとする。
だが男はヒールだけを見ていた──
「──代わりにオレが相手してやるからさあ!!」
それだけ言うと、男はヒールに向けて左手をかざす。
「ハアッ!!」
すると、男の手の平から炎が放たれた!
「なにっ!?」
炎は窓際から、ヒールの立つ教壇に向かって伸びる!
「いイっ!?」
ミドリは頓狂な声を上げて腰を曲げる。
「「うわっ!!」」「「ばか!!」」
席にいたその他の一同は、慌てて頭を下げ机に擦れる。
「...ちっ」
ヒールは口を歪ませる。
そして、魔法を行使した...
...彼の姿は消え、主を失った服がフワリと宙に揺れる。
「あれ?」「消えた...?」
クラスメイトがまず確認できたのは、ぱたりと教壇に落ちるヒールの服。
それから、ヒールが元いた場所から逸れて...的外れな黒板に当たった炎。
炎は間も無くして消えた。
そうした後、皆は消えたヒールを探して見回した...
そして、窓際のモノを目にした。
「...んあ?」
厳つい背高の、裸の男が立っていた。
「「──きゃああああ!!」」「「うわあははは!!!」」
教室は混沌の声に満ちる。
皆の視線が窓際の裸体に吸われている内に、ヒールは教壇に現れ瞬時に服を着直した。
「あはは...」
リントはしかし着替えるヒールを見つめ、如何ともしがたく苦笑する。
彼もまた彼女の目線に気づき、くすりと肩をすくめてみせた。
騒動の最中、脱がされた男はイヤに落ち着いた様子で、自身が蹴飛ばした椅子を引き戻す。
「...やるじゃねえか」
そう言って男は席に着いた。
「──裸でイス座るな!!」「ケツつけんなや!」
口々にツッコミを受けた。
「...」
ヒールは再び、教師の方を見た。
教師も困惑しているように見えたが、しかし沈黙を貫いていた。
このまま落ち着くまで待つつもりだろうか?
(...そんなものか)
熱っぽい教室の中で、ヒールは小さくため息をついた。
──程なくして平熱を取り戻し、音の割れたチャイムが鳴り響く。
その教師は軽い挨拶を済ませ、そそくさと教室を離れた。
ヒールは自身に割り当てられた席に座していた。それは部屋の扉からごく近く。
「よろしく...」
そのように緩い笑顔を向ける、穏和な男の隣であった。
「...」
ヒールは無愛想にもそれを聞き入れず──
「あれ...?」
──教師が廊下へ出るのを見てすぐに、自身も黙って教室を離れた。
カツン、カツンと、冷たい床を踏み歩く。ヒールの影が廊下の奥に消えていく。
それを追って、消えていく影がまた1つ、2つ。。。3つ?
カッカッカツン、カッカツンと。彼を追う拍子の拍は速い。
...そうした廊下の区切りにて彼は独り、誰に向けるでもなく愚痴を溢す。
「...きつい」
きつい、きつい、きつい、きつい。
人への不信を募らせたヒールにとって、学校とは鬼の巣窟。朝礼は地獄の審判に等しい。
冥府の門からの隙間風が、彼の首筋を凍えさせる。
(...帰りたい)
...彼は車酔いを醒まそうとするかのように、遠く窓の外の景色を見やる。
「...」
ぼんやりと眺める雲が、彼の思考と共に逆行する。
そして話は1ヶ月前に遡る───
───
──
─
──ああ、そうだ。ピョンコドリの金の2割を渡すはずだったな──
──あはは...そういえば、そうだったね──
──悪いな...お前が期待してたより、ずっと少ない額なんだが──
──ううん、やっぱり僕は要らないや...それよか、君の新生活のアテにしなよ──
──いや───
──だったらさ、僕の分のお金でさ...いっしょにお昼ご飯食べに行こうよ──
──テマリ町を大きく離れてここは、リントの暮らしているという町。
彼女の導くままに道を行き、あるレストランへと行き当たる。
それは周りの街並みと良く馴染んで見えた。彼女が生まれる前から続いているファミリーレストランだと。
ガラスの引き戸を右手に開くと、扉に紐付けられた銀色の鈴から、カラコロリと軽い音が鳴った。
「いらっしゃいませ」
「何名様ですか」
「2人ですっ」
彼女がそう言って2本の指を立てると、従業員は承って席へ案内する。
店内は人々のざわめきでざわめく。ファミリーレストランの名の通り様々な世帯の人間が集い、食べて飲んで会話している。
「こちらへ、どうぞ」
そして着いたのは、薄いカーテンが緩くはためく窓際の丸い2人席。
「...同じのでいいよ...」
「...を、2つ...」
「かしこまりました」
すぐさま注文を済ませて、料理を待つ時間が生まれる。
「──ひとまずは、戸籍ゲットおめでと〜だねっ」
正面に座った彼女が、氷水の入ったグラスを持ち上げる。
「んっ」
持ち上げて、持ち上げたその腕をこちらへ伸ばす。
...俺は彼女の仕草に促されるままに、此方のグラスを手に取った。
浅く広い凹みのついた、掴みやすい形になっていた。
「ん」
がちょんっ
「えへへっ」
2つのグラスは丸いテーブルの中央でぶつかり、思いのほか鈍い音が立った。水の量が多かったみたいだ。
彼女はゆっくりと腕を引くと、ぐびーと水を半分まで減らす。
「ふうっ」
「うんまいね〜」
水気のついた唇で水の旨さを口にする彼女を、俺は満杯のグラス片手間に見つめる。
「...ただの水だろ?」
「おいしい水だよっ」
「...」
グラスを傾ける。
「...おいしい」
「でしょうっ!」
...本日の疲れも相まってか、その水は驚くほど旨かった。
乾いた喉をすんなりとすり抜け、冷たい感触が身体中を駆け抜けていく。
「...驚くほど、すんなりと行ったな」
「戸籍を得るのがここまで簡単だったとは」
グラスを置いてから俺は、本日をもって戸籍持ちとなった所感を語る。
「ねっ」
「うまくいって良かった〜」
これほど早く済んだことには、俺に身寄りがいないことも寄与していた。
「んん、でも完璧ではないか」
「...結局、ギルドはだめだったからね」
口をにごませ、彼女は目を伏せる。
「まあな...」
ギルドの登録に要するのは戸籍だけではない...未成年者は、やはり登録に保護者の同意も必要だった。
戸籍の下りはともかくとして...俺がギルドに登録できないという点では、あの受付の話は正しかった。
「ごめんね。場合によっては必要ないなんて、僕の思い違いだったみたいで...」
「いいって。国からの補助金で、そもそも金に困ることが無いんだし」
俺がギルドに登録できなかった場合は、彼女が狩りの仲介をするという約束があったが...先の通り、補助金で足りるのでその話は無くなった。
「...それより、家までもらえたってのが凄えよ」
子供の孤児であれば、通常は孤児院へと送られるそうだが。
俺は十分に生活力があるとみなされ、継続的な補助金と共に、さるアパートの一室をいただいた。俺としてはそっちの方が気楽で良い。
一連の役所手続きは彼女...リントの町の市役所で行われた。
その結果いただいたアパートは、やはりその町のものであった。
...つまり俺は、上層に来てからの2年を過ごしたテマリ町を抜け...
...リントと同じ町の住人となった。
七咲町。それがここの名前。
「そうだ...これから荷物の引っ越しもしていかなきゃいけないのか」
俺は未来のことを考えた...
「...」
「...ヒールはさ、今までテマリで暮らしてたんだよね?」
「...ん」
「暮らしてたよ」
彼女は木造りのテーブルの上に、指を絡めた両手を置いている。
「それってさ、路地裏で過ごしてた...とかじゃないよね?」
「ちゃんとホテルとかに、住んでたんだよね?」
リントはやたらと俺の生活環境を気にしているようだ。
「...テマリ町に、投棄されたコンテナ置き場があるんだが」
「そのコンテナの1つを使っていた」
「うそっ」
「コンテナの中で寝泊まりしてたってこと?」
「...まあ、そうなるな」
「布団とかは、流石にあったよね?」
「なかったな」
「そんな!」
信じられない、という顔をしているが。
嘘をついているのだから当然だ。
実際のところコンテナは、ただの荷物置き場として使っていた。
...仮にコンテナを家としていたとしても、あの頃の家よりは余程良いのだが。
「床が硬くって、寝られないんじゃないの?」
「...それは、本でも下敷きにすればいいんじゃないか?」
「本があるんだっ」
「ああ」
「...つか、ほぼ本しかねえな」
今回のピョンコドリの金も、セール中の本にアテる予定だった。
「へえ、本読むの好きなんだ」
絡めた指がぴくりとうごめく。
「好きだよ」
「どういうジャンルが好きとか、ある?」
「ジャンルか...色々読むけど」
「学問系かな。理科とかのやつ」
「へえ、すごい!」
「なにがさ」
「この年で勉強に興味持つなんて、すごい──」
言葉半ばで、彼女が口ごもる。
「──んんっ...」
何やら神妙な面持ちで他所を見る。
「?」
「...!」
「あっ、料理きたよ!」
彼女は手をテーブルから離し、提供される料理を受け入れる体制をとった。
「──お待たせしました」
「花形ハンバーグセット、2つ...」
黒いエプロンを着た男性が、カートを引いてやって来る。
男はカートからプレートを2つ取り出し、それらをテーブルに並べて置いた。
彼女は会釈してそれを迎えた。
「失礼しました」
男はそう言うと、別のテーブルへ向かってカートを押して行った。
「...」
なるほど花形ハンバーグセットとは、肉とスープと野菜とご飯のセットのことのようだ。
熱いプレートに乗せられた肉が、ジワジワと悲鳴を上げている。脂が跳んでいる。
「ふっふっふ、僕のイチオシだよっ」
彼女は鼻高な表情でナイフを手に取る。
「花形ってのは、ニンジンのことなのか」
みたところ、肉の隣には桜の花模様に切られたニンジンが。あるいは、初めからこの形なのだろうか。
「それと、そのハンバーグの表面っ」
彼女がハンバーグと呼んだその肉を見る。
「...マシマグサ?」
「おお!よく分かったね」
その表面には、マシマグサの花弁を模した刻印がされていると気がついた。
「マシマグサのエキスが入っててね、それが美味しくって人気なんだよ」
「へえ」
「とにかく、熱いうちに食べてみなっ」
彼女がそう促すので、俺もナイフを片手に取った。
「これと、このフォークを使うん...だよな?」
「ああっ、そうそう」
俺が尋ねると、彼女は慌てて自身のフォークをもう片手に拾う。
「まず、フォークでハンバーグを固定して...」
彼女は俺に食べ方を実演するために、左手のフォークで肉を刺した。
「...で、ナイフで切るとやりやすいんだっ」
右手のナイフで肉を一口分に切り離し、フォークで刺したその方を口へと運んだ。
「んん!やっぱり美味しいなあ」
幸せそうにとろける彼女を見て、俺も学んだ通りに切り離す。
肉に食い込んだ三又の槍を、持ち上げて慎重に口へ入れ込んだ。
「!」
その味わいは、俺の想像を絶していた。
「おいしい?」
既に2切れ目を嚥下したリントが、こちらの様子を伺った。
「...おいしい」
それは正直な感想だった。
圧の強い肉の見た目とは裏腹に、薄く華やかな風味が口から鼻を抜けて出た。
焦げ目のついた外殻を噛み砕けば、その中は驚くほど柔らかい。
「えへへ、よかったっ」
彼女は気に召した様子で、ニンジンをフォークで刺して食べた。
「...」
俺も今度は慣れた手つきで切り分けて、2切れ目へと進んでいく。
小さく切ってなお有り余る食べ応え。植物由来のしつこくない後味が、すぐに次の一口へと駆り立てる。
「...」
熱い汁が口内を跳ね回るのも、また趣として楽しめるのだ...
「...ねえ、他のも合わせるともっと美味しいよ」
指摘をされて、気がついた。
「んあ」
ハンバーグだけを、食べきるところであった。
「それだけ夢中になってくれるのは、なんか嬉しいけどねっ」
彼女はそう言って、にやにやと口角を揺らす。
なんだか恥ずかしく思って、俺は取り繕うようにササッと他に手を出した。
分厚い花形のニンジン。
肉汁が染み込んだタマネギ。
癖のない具なしのスープ。
粒の立った甘みのある白米。
全てメインの肉に合わせて作られていた。
「──食べたね〜」
「そうだな...」
お互いプレートを空にした。
お互い腹を膨らませた。
「んっ...」
彼女は脂の乗った唇を紙で拭く。
「ふうっ」
「...」
俺は脂の貼り付いた喉奥を水で洗う。
「ね、ヒール」
彼女が紙をプレートの空きに置く。
「なに?」
「これから、どうするつもり?」
「どうって?」
「新生活の計画...的な」
「何かやりたい事とか、行きたい所とか...ある?」
辺りは楽しげ声に包まれて、2人の会話はまるで目立たない。
「別に」
「成人までは補助金頼りで...大人になったらギルドで狩りをして金を稼げる」
「その金で、適当に本でも読んで暮らすかな」
「そっか...」
「...」
俺の答えに対して、彼女はなんとも言えない反応をする。
それから、一度水を継ぎ足したグラスを再び半分にする。
ごきゅりと彼女の喉が鳴る。
「やっぱりさ、ヒール」
「...学校、来てみない?」
彼女がそれを口にした途端...周りの喧騒と、俺たちとが、切り離されたように感じた。
「...」
...学校。
最初に彼女がそれを提案したのは、俺が戸籍を手に入れてから、ギルドへの登録を試みた時。
正式なギルドの登録には、本人の戸籍等の身分証明書...そして未成年者の場合は、保護者の同意または特定機関への在籍が必要と言われた。
その特定機関とやらに、リントも通っているという『七咲西高校』が含まれていた。
彼女は俺に、そこへ行くことを勧めているのだ...
「...さっきも断ったが、俺は人間が嫌いなんだ」
俺はそう言って彼女を見つめる。
彼女はグラスを両手で掴んでいる。
「学校なんて、それこそ人間の塊みたいな所だろう」
「そんなとこで過ごすなんざ、無理だ」
「君は...人が嫌いだって、いうけどさっ──」
彼女は尻を持ち上げて姿勢を直す。
「──君が読んできた本の中には、人が書いたものもあるんじゃないの?」
「...まあな」
上層で手に入る現代著書は、大抵が人によるものだ。
「君が受け取る補助金だって...人間が、ヒールみたいな人のために作った制度だよ」
「...」
知っている。
「...君が、美味しいって言った、この料理だって──」
「──わかってる」
耐えかねて、彼女の言葉を遮った。
「別に、嫌いじゃない人間だっている」
「でも俺は、依然として人間全体が嫌いだ」
「...もっと根本的な問題なんだよ」
心に矛盾を抱えている。
「...そして俺は、そんな人間に頼って生きている」
嫌っているはずの人間の、その社会の恩恵にあやかっている。
とんだ恥晒しだ
「どんな面して、人と関わればいいんだ」
強烈な自己嫌悪
「...気にしすぎだよ」
「しすぎなもんか」
「いいんだよっ、君はもっと堂々として──」
「──できねえよ!」
「何より俺自身が、嫌いなその人間だってのに...!」
「!」
嫌悪する者と自分自身が、しかし同族であるという事実。その避けられない現実を、どう受け止めれば良いのだろうか。
俺はどうしようもなく人間で
そして、それが問題なんだ
「......」
「...」
「...ははは」
彼女が押し黙る中で、俺はため息のような笑いをこぼす。
...彼女は俺の事なんて知った事じゃないだろに、昂った感情をぶつけてしまった。
幸い俺の声も表情も、すべて周りの騒がしさに紛れていたようだ。
「...」
リントに焦点を合わせる。
彼女はまだ、グラスを掴んでいた。
「...よっぽど...な事が、あったんだね」
彼女はそう言って、グラスを握る両手にぎゅうと力を込める。
「でも...やっぱり、行った方がいいと思う」
リントの主張は変わらない。
「むしろ君の話を聞いて、僕のこの気持ちは更に強まったよ」
「...なんで?」
「きっと、君のためになるんだ」
「...意味が分からない」
「君は──」
「──俺がどうなろうと、お前には関係ないだろう」
「!」
彼女の込めた力が緩む。
「...お前には、十分手伝ってもらったよ」
「もう十分だ、本当に十分だ」
テーブルに乗せた俺の手に、自然と力が入り込み、木目をギシリと歪ませる。
「礼は必ず返すから、これ以上踏み込むのはやめてくれ」
「俺たちはそもそも、他人じゃないか──」
「──他人じゃないよ!」
「いっしょに話したし、歩いたし、いっしょにご飯だって食べたじゃないか!」
彼女は左手にテーブルをついて、感情そのままに立ち上がった。
右手に強くグラスを握ったまま。
「...そんなことで──」
「──他人だったとしても、僕なら君を放っておかない!」
「...意味がわからない!!」
「ふっふっふ」
困惑しきりの俺に対し、彼女はわざとらしく笑って見せて...ゆっくりと席に座り直す。
左手を再び元に添える。
...なんなんだ、こいつは?
「...色んな生き方があるって、知ってほしい」
「多くの人と関わって、たくさんの経験をしてほしいんだ」
「学校ではそれができるんだっ」
彼女は俺を真っ直ぐに見つめて言う──
──そうして、人を好きになってほしいんだ──
──そうすれば...自分のことも好きになれると思うんだ──
「...!」
「ねっ」
彼女は微笑む。
彼女の熱がグラスに伝わり、氷が水に溶けていく。
「...」
「......」
しばらくの沈黙の後、俺は黙って席を立つ。
そして黙って通路へ歩き出す。
「あっ、ちょっと、どこ行くのさ」
彼女が慌てて立ち上がる。
「学校」
「!」
「...あははっ」
彼女はテーブルに置かれたレシートを手に取ると、ピョンっと身軽に飛び跳ねて、あっという間に俺の横へ立った。
「そうだね、行こっか!」
...会計を済ませて、俺たちはガラス貼りの扉の前に立つ。
ギルドの赤い扉とは少し違う。開く前から、外の明かりが透けてくるのだ。
扉を開くと、鈴の音色が響く。
胸にすっと浮く、軽い音だった。
───
──
─
「...きつい」
(...帰りたい)
「──ヒール!?」
追う1つが、そんな彼の肩に手を掛ける。
「...リント」
彼はその手の主に顔を向ける。
「大丈夫?」
「...どうかな」
「俺は、大丈夫だったか?」
「うん、応対はバッチシだと思うよ」
彼女はグッドサインを出す。
「...なんか」
「ずいぶん嫌われているよな、俺...?」
「そんな事ないよっ」
「んじゃアレはなんだ」
「多様性枠がなんとかって──」
カツンッ...
「──多様性の評価で受かった奴は...」
「!」「...!?」
ヒールの疑問に食い気味で答えるのは、今し方追いついたばかりの男。
「...フツウに受験した奴から嫌われる事もある」
「そう...か....」
ヒールは彼...と、彼が引きずっているモノに目を配る。
「──だがコイツはただのかまちょだ!」
男は厳つい腕を振り回し言い放つ。
「わぎゃあ!!」
そして振り回されたモノから悲鳴が上がる。
「ちょっと、ダイキ...?」
リントがそれを見て心配で駆け寄った。
「ダイジョブ...?」「きゃう...」
彼女は力無くうなだれるそれを揺り起こす。
そしてその様子を伺っているヒールにダイキが話しかける。
「コイツ...んまあ、ミドリってんだけど。お前を嫌ってる訳じゃねえんだ」
「単にガチでかまちょなんだよ」
「...何、かまちょって」
ヒールは渋い目をして男を見る。
答えたのはミドリを介抱するリント。
「自分に構ってほしい!注目してほしい...って気持ちが強い子のことだよっ」
「へえ」
「──かまちょとか言うな!」「あ、起きた」
ガバッとその本人が跳ね起きる。
「でも、ごめんね。ウチ...やりすぎちゃった?」
ミドリが立ち直ってヒールへと謝る。
「いいよ、別に」
彼はさっぱりそれを認めたが、それより男の方に気を取られていた。
「お前...さっき俺が脱がしたやつだよな?」
「おう」
「オレはダイキ。『ダイキ・バルンダ』だ、ヨロシク!」
男はニッと口角を上げる。
「...復讐でもしに来たのか?」
「おいおい、そういうテンションに見えるか?」
「恨んでなんか無えって」
ダイキは両手を挙げ敵意の無しを示す。
「ヒールっ」
「ダイキはね、ミドリちゃんを庇おうとしたんだよ」
リントが2人の会話に割って入る。
「え、そうなん?」
当の彼女は知らぬ様子。
「ミドリちゃんを庇って、代わりに脱がされたんだよ」
「いや...てっきり暴力で来ると思ってたんだが」
「脱がされんのは予想外だったぜ」
ダイキは小笑いしつつも軽く顔を背ける。
「...」
ヒールは、転移した直後に気がついた。
ダイキの放った炎が、ヒールに決して当たらない位置に飛んでいた事を。
「...ごめん」
それが意図的だったと今、理解した。
「いいよw...そもそもミドリが吹っかけたんだしな」
「ミドリちゃん...大分かまちょだから、偶にさっきみたいな問題事しちゃうんだ」
「あの、かまちょ言うのやめてくれん?」
「たまに?3日に1回はやってるだろw」
男がぬるい茶々を入れる。
「...」
「──でも、根は悪い人じゃないんだよっ」「も〜リンちゃん♡」
リントがフンスカと言を放つ。
「......なら、あの先生はなんだ」
「生徒同士のトラブルを、黙って見ているだなんておかしいだろう」
ヒールは話を教師に移す。
彼がこれまで読んできた本の中には、学校に関するモノもあったが。
その作品における教師はたいてい、良くも悪くも生徒とよく関わっていた。指導であれ、体罰であれ...
...しかし、目の前にいながら、口も挟まず静観とは。人をそういうものと思っているヒールですら、これには思うところがあった。
「──うん、僕もおかしいと思う」
リントは彼に同意を示す。
「だろ?」
「でも、この学校の先生って...もちろん生徒思いな先生もいるけど、殆どはあんなカンジなんだよね〜」
彼女は少々落胆の声で言った。
「...マジ?」
「真面だぜ。ここのは放任主義だからな」
ダイキが真面目に補足する。
「生徒の主体性に委ねる!生徒間のトラブルは、できるだけ生徒だけで解決させる!」
「みたいな...ねっ」
「──んで放ったらかしだよ」
「基本的にゃあ先生なんざ当てにならねえ」
「なるほど──」
「──だからオレを頼れ!」「僕もっ!!」
ダイキはビシッと親指で、リントはニョキっと人差し指で顔を指す。
「はあ...?!」
「なんかワケありっぽいのは何となく分かった!」
「お前がちゃんと楽しめるように、オレがガンガン協力してやっから!」
「そうだそうだ!」
「そんな都合の良いお人好しがいるか?!」
ヒールは2人の熱意に気圧される。
「...リント以外で」
困惑もする。
「はっはー、ヒールよ」
「僕がお人好しだとしたら、ダイキはもっとお人好しなんだよっ」
そう言って、リントは自身に向けていた指を上に立てる。
「それは知らねえけどよ」
「とりあえず戻って、他のヤツらとも話してみろよ?」
「!」
ぽすっ...とダイキは、ヒールの背を軽く叩いた。
「意外と良いヤツらかもしれないぜっ」
「...どうだか」
ヒールの口の片側が綻んだ。
彼らは教室へと足を揃えた。
「もうすぐ、一時間目始まっちゃうからねっ──」
カラカラカラ、と戸が擦れて開く。
ヒールはひょいっと荷を下ろし、入ってすぐの席に腰掛ける。
「──あ、おかえり」
その隣、穏和な笑顔を湛えた男が出迎えた。
「...ただいま?」
「ははっ」
──ぼく、ホシっていうんだ。君と同じ、七咲町の──
──ヒールだ──正直...七咲のことはあまり──
───
──
─
──事業の終わりの鐘が鳴る。じゃかましい音で校内を揺らす。
日の傾きだした空に響く。
「では、さようなら」
教師は無機質に連絡を済ませ、挨拶と共に去っていく。
去ると共に、教室は騒がしく。
集まり話す者、ゆったり帰る者、急いで部活へ向かう者...
...俺はというと──
「おつかれ〜」
「おう」
...リントが俺に語りかける。彼女はリュックを背負っている。
「どうだった?今日1日っ」
「んんー...」
「ああでも今日はずっと座学だったから、退屈だったかも...?」
「...いや、結構良かったよ」
「ほんと!」
彼女の手が俺の机に乗る。
「授業を受けるのは初めてだが...本だけで学ぶのとは感覚が違うな」
「...悪くない」
「楽しんでるみたいで良かったよ」
「これからね、グループワークとかも増えていくからもっと楽しくなるよ!」
「それは要らない。座学だけでいい」
「好きだね〜」
「...あ、僕もう帰らないと」
彼女はハッと思い出したように、机にかけていた体重を引き戻す。
「ヒールも帰る?」
「それも良いけど...」
「図書室だけが、どうしても気になるんだよな」
広告によれば、3万冊を超える蔵書を収めていると。
「おおっ、さすが本好き」
「ぜひ行きなよっ素敵な場所だよっ」
「へえ...期待しておくよ」
「じゃ」
そう言って、彼女も教室を後にした。
「...」
存外に、皆悪い奴ではなかったよ。
といっても、まだ全員と話したわけではないが。少なくとも俺の魔法を見た上で、さらに喧嘩を売ってくるアホはいなかった。
俺もさっさと荷物を片付けて、席を立ち廊下へと踊り出た。
階段を登り、その場所へ。俺は図書室へと辿り着く...
...結果は大変満足致しました。
ジャンル毎に整列された、信じられないほど多くの本、本!
それが期限つきとはいったものの、無料で借りることができるのだ。
さらに静かで涼しく落ち着いた部屋。それだけでも単に心地よい空間だ...
まったく朝礼の時は本気で帰りたいとも思ったが、こんな素敵なモノがあるなら耐えられる。
だいたい俺が悪いワケでもないのに、なぜ俺の方が逃げなきゃならない?
...そんな負の感情も楽しみに薄れ、あれま俺は小一時間ほど滞在し、結局2冊の本を借りて出て行った。
スタスタスタ...
1つは夜空に関する、もう1つはその更に上...宇宙に関する本である。
やはり空と、空の向こうには、誰しも興味を持つものだろう。
俺の転移魔法なら宇宙に行くだけなら可能だが、長くは体が保たないだろう。なにせ宇宙には酸素や重力が──
「──ねえっ」
「...?」
廊下を歩く足を止める。
...今、窓の外から声が聞こえた気がした。4階の窓の外側から──
「──噂のヒールって、もしかしてキミ?」
「!?」
窓の外に、確かに女子がいた。そして俺に語りかけていたのだ。
「...俺はヒールだが...?」
訝しく、彼女を凝視して返事を起こす。
彼女は、浮いていた。
文字通り...窓の外の空に浮かんでいた。
夕焼け時の空であった。
「わおっ」
彼女は俺の返答を確かめると、フワリと窓に更に近づいた。
「...!」
そして驚いた事に...閉まっていた窓の内鍵が、ひとりでに回り出したのだ。
そうしてカラリと空いた窓から、彼女は廊下へぬるりと着地する。
それから長い髪をたなびかせ、駆け寄り距離を詰めてくる──
「──ねえ、私を転移させてみてよ!!」
「...は?!」
そう頼み込んだ彼女の瞳は、好奇の模様で満ちていた──
パッ...
...とした瞬間の後、廊下に男女の服が散らされた。
そして学園の屋上に、裸体の男女が現れた。
「──すっごい!!!」
「ホントに一瞬じゃん!!」
彼女は夕日に体を向けながら、期待大な笑顔をこちらに振りまく。
「...満足したか?」
「うん、大満足!ありがとっ」
「キミの魔法を聞いたときから、一度体験してみたいと思ってたんだ──」
「──じゃ、戻るぞ」
俺はまた彼女の手に触れようとしたのだが...
「おっと」
...そいつはひょいっと避けられた。
「ねえ、もうちょっと待ってよ」
「せっかく良い景色なんだし」
「ええ...」
彼女は俺に背を向けて...ぴたぴたと素足で端に寄り、両手を腰に当てて胸を張る。
「うーん、風も気持ちい〜...」
山からビル群へと吹き続く風が地肌をなぞって抜けていく。
「...」
俺は彼女の骨盤の方に目が行く。
「...マジで抵抗ないんだな、裸になることに」
俺が転移させられるのは生物だけなので、服は連れていけないと事前に話した。
この女はノータイムで頷いた。
「うん、これも新鮮な体験じゃん?」
「そーいうの好きなんだ」
「そうかい」
「これだって中々ないでしょ、夕方に屋上!...なんて」
「そもそも屋上の扉って鍵かけられてて、ホントは来ちゃいけないんだよ?」
「は」
「...いいのかよ、それ」
知らなかった。直接ここまで転移してきたから...
「ううん、それって落ちたら危険だからだし...私らだったら心配ないよね!」
そう言うと、彼女は素早く加速して──
──落下防止の柵を跳び越えた。
「!」
「おいっ」
俺は柵の手前に転移して、落下する彼女を目で追った。
「──ッハハ!心配ないって!」
「!」
すると彼女は垂直にターンし...柵の数メートル上で頂点を迎えた。
その空で留まりこちらを向いて、腰に手を当てて胸を張る──
「だって私は『白雲さやか』だから!」
「...はあ?」
彼女は声高に名乗りをあげて、俺の目の前に降り立った。
「どう?」
「どうって...」
前が見えない。彼女の背は俺より大きく見えた。
「こんなこともできるんだよ」
彼女は校庭の木々に目を向けて、落ち葉をひとつ浮き上がらせる。
それは右へ左へと宙を舞い踊り...終いに彼女の二指に挟まれた。
「念力...みたいな感じか?」
「うん、そんなカンジ...私の見える範囲で、自由に力をかけれるの」
それが彼女の魔法であると。
「それは便利だな!!」
「ふひっ」
さやかは粗い笑みを浮かべる。
「...でも、私ゃヒールの魔法が羨ましいよ」
そうして背に後ろ手を組む。
「そう?」
「そっちのが、自由そうに見えるが───」
「──だって、テレポートだよ!?」
組んだ手を力強く離す。
「どこでも行けるんだよ!なんでもしたいじゃん!」
「...!」
ずずいっと顔を近づけられる。ぴとりと肩に両手を置かれる。
「海とかパフェとか山の中とか!」
「外国とか塔とかブリュレとか!」
「揺らすな肩を」
「──てか一瞬だけなら、中層とか下層にも行けんじゃないの!?」
「...そうだな」
「スゴイよ!行き放題じゃん!!」
「ぐえっ」
勢いよく肩を押し出され、よろける。
「...わ、ゴメン」
「別に」
褒められて悪い気はしない。
「じゃあさ、やっぱ名所巡りとかしまくってんでしょ?」
「してないよ」
「ええっなんで!?」
「なんでって───」
───なんでだ?
なぜ、俺にはこんな魔法があるのに...この上層のどこへも行かず。
...あんなテマリの町で縮こまっていた?
「どした?」
彼女が俺の目を覗きこむ。
「ああ...」
「なんか、どこにも行く気がしなかったんだよな」
「ふーん...」
さやかは更に更に覗き込む...
目の内の心まで見透かされるような...
「おけいっ」
彼女はようやく、視線を顔全体に移した。
「じゃ、今度どっか遊び行こ!」
「...え」
突然の提案に、思考が固まる。
「パクンチョ横丁で決まりねっ」
俺の意思を無視して話を進めだす──
「──勝手に決めるな!」
「えー、じゃあどこがいいの」
「なぜ行く前提なんだ...!」
振り回される俺に対し、
「だって、今、キミ」
さやかは飄々とした顔をして言う。
「寂しそうな目してたからっ」
「......俺が?」
「うん」
「...マジか」
「...」
...俺は人間社会に馴染めずに、暗がりの世界に逃げ込んだ。
そうしてふと気がついたときには、テマリでの生活を選んでいた。
...選んだのではなく、ただそうなっただけだろうか。俺にはこの生き方しか見えなかった。
思考に錆がつくみたいに...
「なあ」
「なに?」
彼女が耳を傾ける。
...リントは俺に、こう言った。「色んな生き方があるって、知ってほしい」と。
俺は変化を恐れている。
現状維持に甘んじて、未知へ踏み出す勇気がなかった──
「──科学館じゃ、だめか?」
「あっ!ハクスラ市に新しくできたやつ!?」
「いいじゃん行こ!!」
「うん」
「...つか、そろそろ戻ろう」
「...ああ、そだね」
さやかは夕日の沈む屋上からの光景を、少し惜しみつつも納得し、
「ん」
こちらに右手を差し出した。
それに右手を重ね、テレポート。
屋上の変質者共は消え失せた。
「──わ、着替えるのはやっ」
まだ下着姿のさやかは、既に完了した俺を見て驚く。
「慣れたもんだよ」
俺にかかれば、1秒もかからずに服を着れる。
...ところで数分間、この廊下脇の空き教室に俺たちの服が落ちっぱだったワケだが。
誰にも見られていないといいな。
「んしょ...」
「...よしっ、OK!」
彼女もすっかり着替え終える。
「...じゃあ、今日はもう帰っていいよな?」
「うんっ」
「ありがとね、付き合ってくれて!」
「ああ」
本だけ借りて帰るはずが、とんだ出会いがあったものだ。
...リントは俺に、こう言った。「多くの人と関わって、たくさんの経験をしてほしいんだ」と。
「...」
シャツ越しに、手で胸を抑える。
俺の怯えを、彼らに悟られてはいないか。
──人と関わるのは、やはり怖い。
けれど、彼女の意を汲んで俺はここへ来た。
もう少し頑張る。もう少しだけ。
俺は、日が落ち切る前に帰路についた──
「──あ」
1人空き教室を去ろうとするさやか。彼女は落とし物に気づく。
それは自身に貼っていたはずの絆創膏。
「やばばっ」
彼女は慌てて拾い上げる。
「あ〜そっかあ...生物だけ転移だから、バンソーコーも落ちちゃうんだねっ」
「見られてないといいな〜...」
こそこそ独り言を言いながら、それを骨盤に貼り直す。
そうして隠した肌辺には...奇怪な網目の紋様に、『9』という数字が彫られていた。
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