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01 魔法の矢

 たとえばこの世界に決まり切った「運命」というものが存在したとして、たとえばそれが絶対に受け入れられない「不幸な運命」だったとして、仮にもそれを最大限に発揮した自分の力で乗り越えられたとしよう。

 我が身をがんじがらめにする長い鎖を引きちぎり、絶対に越えられないと思っていた高い壁をぶち壊せたとしよう。

 けれど、そうやって自分の意志で手に入れた新しい結末さえ「よく頑張ったね。それこそが君に与えられていた本来の運命なのだよ」だなんて突き付けられてしまったら、俺は神というものに感謝するだろうか、それとも恨むだろうか。

 自分一人、あるいは人間が束になって数百人がかりでさえ変えられない「究極的な運命」が存在するのか、あるいはそんなもの所詮は空想の産物でしかないのか。

 ……わからん。

 国語の成績が中の下くらいで停滞している俺みたいな男子高校生が一人で頑張ったところで満点の正解なんて出せるわけもないだろうから、どれだけ考えても無駄そうだ。

 だけど考えずにはいられない。


 ――予定説、だったか。


 あまり詳しくないけれど、中世ヨーロッパで活躍したカルヴィンだったかカルヴァンだったかいう名前の宗教家が唱えた説で、人間が救われるかどうか(つまり死んだ後に天国へ行くのか地獄へ行くのか)は生まれた瞬間に決まっているという。

 へえ、なるほど、生まれた瞬間に決まってるんだな……って、ん?

 生まれた瞬間?

 ……ということは、赤ん坊のころから?

 つまり、大人になってから「どう生きるか」は関係ないってことだよな。

 すごい話だ。

 この世界に生きている人間は一人残らず、すでに神によって善人と悪人の選択がすんでいるだなんて。

 振り返れば汚点や恥ばかりの人生を送っている俺たちみたいな凡人とは違い、わざとでなければ絶対にミスをするわけがない全知全能の創造主ということになっている神様が人間を作ったんだから「そりゃそうだろうな」と思う一方で、何かとんでもないことを言われている気もしてくる。

 どう頑張っても地獄に落ちる奴は落ちる。

 逆もまたしかり。

 人間なんてものは一人残らず神様の手のひらの上で、生まれた瞬間にハッピーエンドかバッドエンドかは決まっている。

 自分の意志や行動の結果なんて運命の前には意味をなさず、人間一人の努力なんて関係ない。

 なら、人は頑張るだろうか。

 一生懸命になれるだろうか。

 学校の勉強に労働にと、時間を惜しんで必死に汗水を垂らして努力するのが馬鹿らしくなって、だれもかれもが好き勝手に生きそうなものだが……。

 けど現実はそうならなかった。社会学者として知られるマックス・ウェーバーがやけに長ったらしい題名の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に書いたように、むしろ宗教を信じる人ほど勤勉に生きた。一説によれば現代につながる資本主義を生み出す原動力となるほど、禁欲的な勤労精神がどんどんお金を蓄えるくらいによく働いた。

 どう生きても結果は変わらない――などと悲観的に考えるのではなく、すでに自分は神によって選ばれている善人であるはずだから、それを信じて真面目に生きようと考えたとか。

 きっと自分は救われるはずの人間だから、間違ったことはせずに正しく生きよう!

 なんて風に、昔の人たちは信心深く前向きに考えたわけだ。

 ……もっとも、ネットや書籍で調べて知ったこの話がどこまで本当かは知らん。百年以上も前のことだから、都合のいい憶測や誤解も入ってそうだ。

 なんだかんだと言いながら、第二次世界大戦後に一時は焼け野原となった日本が経済発展したことを考えれば、必ずしもキリスト教的なプロテスタンティズムだけが資本主義を発展させてきた原因とは言えないだろうけれども、それはそれ。

 何かを信じて人生をささげるある種の宗教観(もっと俗っぽく拝金主義といってもいいが)は人間や社会をうまく機能させてきたのかもしれない。

 大いなる運命に対する従順さというか、頑張ればきっと救われるという物語に対する信仰心やら情熱というか……。

 あいにく俺はそういう熱心さを持ち合わせていない。息抜き程度に遊びはするが、これが趣味だと胸を張れるほどのことは何もなく、今のところ何に対しても一生懸命になれていない。

 現在の世の中には明るい意味での夢や希望が見当たらない、なんて言葉を言い訳にして退廃的な生活に逃げ込んだっていいが、それは自分の自堕落さや面倒臭さを責任転嫁して、未熟な自意識を自虐的に愛するような、典型的かつ幼稚な思春期のニヒリズムだ。

 直接的に誰かの攻撃を受け続けているのでもない限り、自分の人生には自分で責任を持ちたい。

 そう、自分で。社会だの時代だのはもちろん、神にだってくれてやらない。

 ならば、やはり、最初の問いかけに対する俺の答えは決まっている。

 人間に対して「運命」を押し付けてくる存在がいるとすれば、の話だが。

 恨みこそしないが、こう言うだろう。


 ――余計なことをするな、と。


「そっか、余計か。だったら、この『矢』はいらない?」


 顔つきの幼さや背丈の低さなどから判断して、五年か六年の小学生くらいに見える少年(あるいは少女)がにっこりと笑う。

 ほらほら、と言って右に左に振っているのは木の枝や竹ではなく、ピンク色でハートマークの形をした矢じりがついた一本の矢だ。見た目はプラスチック製の、どこにでもありそうな安っぽいおもちゃ。

 それを遠くに飛ばすための弓は見当たらないが、小生意気そうな彼(あるいは彼女)が言うには弓なんて必要ないらしい。

 矢を握りしめたまま、念じればいい。そうすれば勝手に飛んで行って、不思議なことに矢が狙った相手に突き刺さるという。

 これは魔法の矢だから――とは、目の前にいる自称”天使”の言葉だ。

 はん、よりにもよって魔法とは。はっきり言って馬鹿馬鹿しい。子供だましにもほどがある。新しいおもちゃを買ってもらって遊びに来た小学生にしか見えない。

 本物の魔法の矢だと信じて無邪気に喜んで受け取れば、ハートの部分がビカビカ光ってチープな音が鳴って、「やーい騙されたー!」と腹を抱えながら笑われてしまうに違いない。

 むかむか。そう考えただけでも無性に腹が立つ。

 子供だましに騙されるのは子供だけで十分だ。

 大人たちはみんな、もっと大きなものに騙されて生きているんだから。


「ね、答えてよ。いらない?」


「……ふん」


 だけど俺は賢明であるがゆえに、根拠もなく固定観念だけで夢物語を否定しない。

 だってそうだろう。

 世界には俺の知らない事象が存在していてもおかしくはない。

 こんな小学生が各国の調査機関を差し置いて魔法の道具を手に入れた、なんて可能性が限りなくゼロに近いことも否定しないが、ともかく、ここは素直にそいつが持っている矢を指差しながら口を開く。


「ほら、とにかく貸してみろ」


 とか言いつつ、決して誤解してほしくはないけれど、これが「魔法の矢」だとかいう戯言を本気で信じているわけではない。

 ……ただ、どこか、理性や常識の色をしたペンキで塗りつぶされていない心のちっぽけな一部分くらいでは、本当だったらいいなと思っているのも事実だ。

 ちょっとした好奇心。映画や漫画みたいなフィクションの物語に対する漠然とした憧れ。

 空想上の存在でしかないと完璧に言い切ってしまえば各所から怒られかねないものの、そうはいっても神とか天使とかの存在はやっぱり現実的なものじゃない。お化けや妖怪もそう。魔法や超能力だって同じだ。

 そんな感じで理性ではほぼ百パーセント否定しているくせに、そういうものが現実の世界に面白く存在してくれていればいいと期待してもいる。


「どれどれ。ふーん。これが、ねえ……」


 なんにせよ矢を受け取り、まじまじと眺める。

 近所の子供にしか見えない自称天使に笑われてもいいじゃないか。ここは休日を持て余した男子高校生らしく、小学生の遊びに付き合ってあげるのもいいだろう。

 もし笑われたなら、同じくらいの温度感で笑い返せばいい。馬鹿を見る羽目になっても、それはそれで楽しい休日になるかもしれない。

 ここ最近、というか数年、無邪気に笑う小学生と遊ぶ機会なんてなかった。

 もっと言うと、同じ年ごろの相手とだって……。


「ぼーっとしてたって意味はないよ。矢を射る方法はわかる?」


「念じればいいんだろ? こうやって――」


 ターゲットを見定めたつもりで視線を自称天使の顔に向けて、念じるつもりで強く思う。

 ピューッと飛んでいけ!

 ズバッと刺され!

 射出!

 当たれ!

 シュート! ショット!

 ボウガン! アロー!

 どこまで本気で信じているのかはともかく、どうせ退屈だからと、遊びのつもりで疲れるくらいに強く念じてみる。けれど右手の矢はちっとも動く気配がない。魔法の矢というには説明不能の魔力っぽいものが感じられず、こうしていても時間の無駄にしか思えなかった。

 やれやれ、いつ出てくるかもわからないUFOを待ち望んで空を見上げている気分だ。

 いたずらに疲労を重ねただけの徒労感。ずいぶんくたびれた。

 すると、どうだろう。

 こちらの顔を見つめ返していた自称天使がくすくすと笑い始めたではないか。

 いや、くすくすと表現するには大げさに腹を抱えているが……。


「く、くくく、あははっ! 僕を狙ったって意味がないよ! 刺されー、とか、一生懸命に念じちゃってさあ!」


「ああ、そうかい。つまりこれはおもちゃなんだな? 電源を入れるためのスイッチはどこにある? せめてビカビカと光らせて遊ばないと受け取り損だ」


 この野郎! と叫ばなかっただけマシ。

 本当は地面にたたきつける勢いで投げ捨ててやりたかったが、ここは辛抱強くて寛容な精神を保有している立派な大人になったつもりで我慢した。いくら腹が立ったからって、大事にしているおもちゃを壊したせいで年下の小学生を泣かせてしまってもかわいそうではないか。

 というか、実際のところは世間の目が怖い。

 小さな子供をいじめたとなれば小さくない問題になるので、保護者や学校の先生に泣きつかれても大変だ。お説教や反省文はともかくとしても、万が一にも高額なものだったら弁償させられる羽目になって泣きを見るのは俺なのだ。

 となれば、いくつかの対抗策の中で最も優れているのは無視することか。何を言われ、何をされようが、しょせんは小学生。おこちゃまの考えることなので、まともには相手をしない。

 わずかにでもムッとしてしまった時点で小学生相手に大人げないが、心の中でイラッとしてもムキにならないのは大人の対応だ。

 そう思って身をひるがえそうとしたら、自称天使が慌てて両手を広げた。


「違う違う! おもちゃなんかじゃないよ! 信じてないのかもしれないけど、これが魔法の矢なのは本当なんだってば!」


「はいはい、魔法ね。そりゃすごい」


「信じてない!」


「あのなー、そりゃあ俺だって信じてやりたいのはやまやまだけどな、現実としてちっとも効果がなかったじゃないか。いいか? いくらお前が遊びたい盛りの小学生だからって、出会ったばかりの友達でもない大人を騙すにも限度があるぞ」


 先ほどから何べんも自分で言っておいてなんだが、俺たちみたいな高校生が大人であるかどうかは微妙な線だ。そりゃ小学生に比べれば大人に近いけれども、世代全体でみれば圧倒的に子供の範疇。いくら成人年齢が十八歳になったといっても、自分より年上の大学生や社会人を目の前にすると、やっぱりまだまだ子供だと感じてしまうものである。

 まあ、なんにしても年上をからかっちゃいけないのだ。小学校の中にだって上級生と下級生の間にそびえたつ壁みたいなものがあるだろうに。

 でもまあ、そういう常識を無視しちゃうところが小学生らしいといえばらしいけどな。


「だから違うってば! 効果がないのは僕が相手だったからだよ! 天使の矢が天使に突き刺さるわけないじゃない。そんな危険なもの人間に与えたりしないよ」


「それはまあ、確かにな……」


 小癪だが一理ある。よく考えたものだ。

 かといって、他の人間で試すほどのことだろうか? 手にした矢をくるくる回しながら確認してみるものの、やはり安っぽいおもちゃにしか見えない。どんなに探してもスイッチがないのでビカビカ光ることもなさそうだ。

 もしも本当に魔法の矢でなければ、壁に向かって投げて、ダーツの代わりにして遊ぶしかないが。

 ちょうどいいターゲットでもあればいいが……と思っていたら、向こうから一匹の野良猫がトコトコと歩いてきた。人間に慣れているのか警戒心もなく、のんきに尻尾を立てている。

 かわいい。


「あの猫でいいか。おい、矢を使う相手は別に人間でなくたっていいんだろ?」


「猫? うーん、どうだろ。人間以外の動物には試したことないからね」


「だったら試してみるまでだ」


 折れそうなくらいに矢を強く握りしめて、先ほどと同じように念じてみる。

 ええい、ぶすっと刺され!

 ……待て、待て。冷静になれよ、俺。

 なーにが、『刺され!』だ。

 どうせ魔法の矢なんて嘘なんだろうな。しばらくいろいろな方法で念じ続ける必要があって、それらも結局は徒労で終わるんだろうなと思っていたら、一発目で強烈な違和感があった。


「え! あれっ? 矢がなくなってる!?」


 なんと、刺されと念じた瞬間に右手の中にあった矢が消えていたのだ。

 いや待て、消えていた?

 そんなことはありえない。物理現象としておかしい。ありえないことが実際にありえたということは、これは超常現象ということで、要するに魔法なのか。

 それとも少年は凄腕のマジシャンで、気づかぬうちに俺の手から矢を消し去ってみせたのか。

 それはそれですごいが。


「なくなったんじゃなくて刺さったんだよ。ほら、あの猫を見てみてよ」


「は? 猫? ……って、おい!」


 自称天使に疑いの目を向ければ落ち着いた声で言うので、そんなわけないだろと思って猫を見てみると本当に矢が刺さっていた。驚くべきことに背中からお腹に突き抜けている。

 血こそ出ていないが、明らかに貫通しているじゃないか。

 どうか夢であってほしいと願いつつ、さすがに我が目を疑った。


「おいおい、嘘だろ! かわいそうじゃないか!」


 かわいそうどころか犯罪だ。分厚いことで有名な六法全書を読んだことはないので詳しくは知らないものの、よく聞く動物愛護法とかそういう法律で猫などの小動物をいじめるのは禁止されている。

 ……というか、法律がどうなっているか以前に常識としてありえない。

 猫をいじめるなんて人の道に反する悪行だ。

 こんなことが許されてはいけない。

 一刻も早く助けなければ。


「え、あれ? な、なんだ? おかしい……。動けないぞ!」


 理解できない事態が発生している。

 端的に言えば、まるで動けない。

 頭が混乱しているのでうまく説明できないけれど、自分の体が自分のものではなくなったような感覚だ。どんなに前に進みたくても体が言うことを聞かず、不思議なことに足が一歩も動かない。焦れば焦るほど沈んでいく底なし沼にはまってしまったみたいだ。

 おかしい。

 どうしてか、口と思考だけは動くのに……。


「動けないのは当たり前だよ。だってほら、周りを見てみればわかるように時間が止まっているんだよ。矢が放たれた瞬間にね」


 まったく何を言っているのやら、だ。

 時間が止まっている? まともに相手をしていれば頭がおかしくなってくる。

 だが動けないのは事実。時間停止の概念や仕組みはさっぱりわからんが、そう考えると一応は納得できる。


「よくわからんが、その余裕さを見る限り、どうやったって動けない俺と違ってお前は自由に動けるんだろ? だったらあの矢を抜いてやれ。そして近くの動物病院に傷ついた猫を連れて行ってやってくれ。いや、待て。血が出るから矢は抜かないほうがいいか……?」


「そのことなら安心してよ。あれは魔法の矢だからね。どんなに深く刺さっても死にはしないんだ。それよりほら、そろそろ矢の効果が出てくるころじゃない?」


「矢の効果って……」


 そんな状況じゃないだろ、まずは矢の刺さった猫を何とかしてあげるべきだろ、などと思っていたら、その猫の声が頭の中に直接響いてきた気がした。

 それどころか、不思議な選択肢が浮かび上がってくる。



<A>

 ニャンニャン。


<B>

 ミャア~。


<C>

 シャー!!



「な、なんだこれ……」


「渡す前にその矢の効果は説明しておいたはずだよね? 使った相手の行動を”ある程度”左右できるって」


「ああ、そうだったな。それはお前の口から聞いている。てっきり冗談だとばかり思って話半分に聞き流していたけど、だったら、じゃあ、これが……」


 相手の行動を(ある程度までなら)操ることができるという、魔法の矢。

 つまるところ、この三つの選択肢の中から一つを選ぶことによって、矢が刺さっている猫の行動を操れるということか。

 それが事実だとすればすごい魔法だ。限られた選択肢の中から選ぶという条件付きではあるものの、いわゆる暗示や催眠術のようなものじゃないか。

 しかし今回のケースに限って言えば、それとは別に問題が一つある。それも大きな問題だ。どれも猫の鳴き声なので、何を選べば正解なのかわからないことだ。

 いや、おそらくCは威嚇の声なので、嫌われたくなければ選ばないほうがいいだろう。AとBの違いはさっぱりわからんが、人間の立場から考えたところでわかりそうもない。

 ここは運に任せてどちらかを選ぶとしよう。


「じゃあBで」


 という言葉が合図になったのかは知らないが、特に理由もなく俺がBを選んだら、その瞬間から世界が動き始めた。止まっていた体は自由に動かせるようになっており、俺が足を一歩踏み出すと同じく、銅像みたいに止まっていた猫ものんきに散歩を再開したのである。

 魔法の矢を受けても命に別状はないらしく、ぶすりと刺さっていた矢は時間が動き始めると同時に消えていた。動物愛護の観点から危惧していた傷跡も残っていない。

 そして数秒後、すれ違う際、こちらの顔を見もしないで野良猫が「ミャア~」と鳴いた。餌をくれとか頭をなでろとか、何か猫なりの用事でもあるのかと思ったら、そのまま歩き去っていく。


「あれま。ただのあいさつだったみたいだね」


「それも消極的なあいさつだったな。やる気のないコンビニ店員のいらっしゃいませくらい低調だった。少なくとも友達になりたがって声をかけてきた感じじゃない」


 すなわち、俺はあの猫に魔法の矢を使って「控えめにミャア~とあいさつをしてすれ違う」という行動をするように操ったのか。

 時間が止まったり選択肢が出てきたりした不思議な過程はともかくとして、得られた結果だけを見れば普通だ。うまく操れたのかどうかも判断できない。

 どうせなら他の二つを選べばよかったのかもしれない。

 正直よくわからん。相手は猫だしな。


「くそ、こうなったら人間で試すしかないか……」


「お、やっとやる気になってくれたんだね?」


「なんだよ。今更やっぱりダメなんて言うんじゃないだろうな?」


「そうじゃないってば。せっかく魔法の矢をあげるんだからね。どうせなら積極的に使いこなしてほしいんだよ。つまり喜んでるってわけ」


「ふうん。ならいいが」


 自称天使の思惑はわからないものの、くれるというなら遠慮なくもらっておこう。

 すでに決まっている運命というものがあるのなら、天使の力を借りてでも歯向かいたい。たとえそれで結果的に不幸となってしまっても、俺は自分の人生を自分で選び取りたいのだ。

 こちらの都合で多少なりとも行動を操られてしまう相手には申し訳ないが、自称天使の説明が正しければ、矢を使って出てくる選択肢は「その時点で相手がとりうる行動」だけに限られているらしい。

 要するに、完全に嫌いな人間を好きになったりはしないし、本気で信じていることを簡単には捨て去れないということだ。

 あくまでも、その時点において本人が自発的にとりうる可能性がある行動だけ。

 つまるところ、ほんの数パーセントの可能性であったとしても本人が自主的にしようと思っている行動だけが選択肢として表示されるなら、そのどれを選んだとしても、その決断を第三者視点から後押ししたに過ぎない。

 無理矢理に心変わりをさせたのではなく、ちょっと特殊な手段で講じるアドバイスだ。

 所詮は我田引水じみた理論武装だが、あまりにも危険だと思ったらブレーキを踏む。

 特別な力を駆使して世界を支配したいのではない。世間の人間がそれぞれコミュ力、学力、財力といった諸々の手段で身を立てていくように、俺はこの矢で自分の人生をよりよくしようと努力するまでだ。

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