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愛されなかったリーリアと、  作者: ほねのあるくらげ


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12/14

23:10

「ん……」


 妙な寝苦しさを感じ、ジェカルドはうっすらと目を開けた。

 人の気配がする。暗くてよく見えないが、誰かが入ってきたようだ。


(きっとリーリアだな)


 ジェカルドはふっと笑みをこぼした。自分を起こさないように、慎重になっているのだろう。遠慮することなどないのに。


 ジェカルドは背中を向けたまま寝たふりをして、リーリアがベッドにもぐりこむのを待つ。

 だが、リーリアはジェカルドの予想以上に情熱的だった。ベッドの上に飛び込んできたのだ。


 そのことに若干の驚きはあったものの、奥手な妻が珍しく積極的になったことにジェカルドは気を良くし、彼女を抱き寄せた。


「待っていたぞ、リーリ……ア……」


 だが、すぐに違和感に気づく。

 ジェカルドが眠るベッドに落とされたのは、まぶたと唇を固く縫われた母、マリージェスだった。


「ぎゃあああ!?」


 ジェカルドは掛け布団ごとマリージェスを蹴飛ばす。マリージェスの遺体は、驚くほど軽く吹き飛んでいった。


 呆然とそれを見送ったジェカルドは、ベッドの傍に黒い死装束ドレスの女が立っていることに気づいた。マリージェスをベッドに投げ込んだのは彼女のようだ。


「なっ、何者だ!?」


 その女を照らすように、ジェカルドはベッドサイドテーブルの燭台をかざす。


 充血して濁った目、涙の痕がわずかに残る頬、赤黒い肌。

 乱れた赤毛に、歪んだ口からだらりと垂れる舌と涎。

 細い首にくっきり残る、大きな赤い指の痕。


「く……来るなっ! 来るなぁぁぁ! この……化け物め!」


 ジェカルドは力任せに女を殴った。その衝撃で女は床を転がるが、何がおかしいのかケタケタと嗤っている。


 何かが腐ったような、不快な臭い。風船を押し潰しているかのような、ぐにゃりとした手ごたえ。なによりも、闇に慣れた目が映し出すその顔は。


 思い出した。思い出した。どうして妻たるリーリアの姿がずっと見えなかったのか。どうして縁を切ったはずの愛人シャロルティナが、我がもの顔でここにいるのか。


「い、忌々しい魔女が! いつまで私達を苦しめる気だ!?」


 床に頭を打った時に折れ曲がった首を正しい位置に戻そうとしながら、女は笑い続ける。けれど折れた首は元には戻らず、またぐにゃりと曲がってしまった。


 手近にあった枕やら本やらを手あたり次第に投げつけ、ジェカルドは女の逆側からベッドを転がり落ちた。


 無様に這いつくばりながら、なんとか主寝室を抜け出して廊下へと飛び出す。


 ジェカルドは半狂乱になってわめきながら、この恐ろしい屋敷から逃げ出そうとした。


 磔にされた元恋人にも、エントランスホールに散らばるシャンデリアの残骸にも、手足があらぬ方向に曲がって頭がぱっかりと割れている乳兄弟の近侍にも、一瞥すらくれることはない。

 ジェカルドの頭の中にあるのは、自身の安全だけだった。何故なら彼は知っている。幾度も繰り返されてきたこの惨劇が、己の犯した罪が見せる幻影であることを。


「た……助けを……助けを呼ばなくては……」


 厩舎に向かってプライスティ・ホールの敷地から出て、丘を下ってカレリス村に行こう。もう夜も遅いが、きっと誰かに保護してもらえるはずだ。

 この醜聞はウィラスティ家の名誉をひどく傷つけるだろうが、もうそうするほかない。それ以外の方法を、ジェカルドには思いつけなかった。


(待てよ? あれは……なんだ?)


 ジェカルドは前方に目を凝らした。とても小さいが、何か光のようなものが二つ揺らめいている。足が自然とそちらに向かった。


「ああ、侯爵閣下ですか」

「ソディア司祭、無事だったのか!」


 光の正体は、司祭アドニスだった。より正確に言えば、彼がくわえている細長い棒のようなものと、左手に持っている筒のようなものだ。白煙をたなびかせて燃える棒はともかく、筒はあまりにもまぶしい。彼の足元には、大きな革張りの鞄があった。

 筒の明かりに照らされたジェカルドが小さく声を漏らして目を細めている中、アドニスはあまりにも悠長に尋ねる。


「そんなに慌ててどうしたんです?」

「説明している時間はない! 君も早くここから逃げたまえ、化け物が……いや、まて、月聖教の聖職者なら、あの化け物をどうにかする秘跡が使えるのではないか!?」


 ジェカルドは熱心な月聖教信者ではない。それでもああして不可解なモノに襲われた以上、超常的な手段での救済に縋りたくもなる。必死の思いで言い募ったジェカルドだったが、返ってきたのは冷笑だった。


「あいにくですが、神は人を救わないんですよ。どんな善人も悪人も、神の前ではみな同じです。人を救えるのは人だけだ。神はただ愛するだけだと聖典の最初のページにも、」

「御託はいい! 今はそんなくだらん説教を聞いている場合ではないんだ!」


 ジェカルドはアドニスに乱暴に掴みかかった。アドニスの胸ぐらを掴んだまま、ジェカルドは彼を荒っぽく揺さぶる。


「私がやれと言っているんだぞ!? 今すぐあの化け物をどうにかしろ!」

「ちょっと、落ち着いてくださいよ。着替え、もう持ってきてないのに……」


 アドニスは不快そうに眉をひそめた。うんざりとした様子で何かぶつぶつ呟いている。


「ったく。普段は神の奇跡なんてまるっきり信じてない奴ほど、いざ何か起こるとコレだよ。そりゃ、神はどんな人間も愛してくれるらしいですけどね。聖職者こっちはそうもいかないんですよ。神の代弁者しもべって言ったって、同じ人間なんですから」

「何を……ぐぅっ!?」


 アドニスは、膝を使ってジェカルドの腹を勢いよく蹴り上げた。予想だにしない反撃にうめくジェカルドに、アドニスは続けざまに肘打ちを入れ、背後に回り込むと片腕だけでジェカルドの身体を押さえ込む。その動きはただの聖職者だとは到底思えなかった。


「貴方だけはなんだか特別・・みたいですね。きっと、よほど恨まれてるんでしょう。仕方のないことだと思いますが」

「き、君は……一体、何者だ……?」

「やだなぁ。さっき自分でおっしゃったでしょ、説明も御託も説教もいらないって」


 そのままぎりぎりとジェカルドの首が締めあげられる。夜のおそろしさを秘めた瞳がジェカルドを捉えていた。


「救われたいっていうならさっさと答えてください──?」


 これだけで伝わるだろうと言わんばかりの短い言葉は、刃物じみた鋭さをもってジェカルドの言葉を刺し貫いた。


 豹変した司祭の拘束から逃れようともがきながら、ジェカルドは口をぱくぱくと動かす。


「な、中庭……中央の……バラの、下……」

「秘密はバラの木の下で、か」


 臀部を蹴り飛ばされて解放される。こわごわとアドニスを振り返れば、その背後にあの黒い死装束の女が迫っているのが見えた。


「くそぉっ!」


 女から逃げるため、ジェカルドは必死になって走り出す。使えないどころか自分をおどしてくる司祭なんて、もうどうなっても構わなかった。せいぜい自分が逃げるまでの時間稼ぎとして、あの女に殺されてしまえばいいのだ。



「……あーあ、行っちゃった。せっかく自分の罪を思い出したのに、向き合うこともしないとは。第一、全部自業自得じゃないですか」


 残されたアドニスはウェットティッシュ・・・・・・・・・で手を拭い、カソックに付着した汚物も取り除く。

 そしてアドニスは鞄を持ち上げて、振り返ることなく中庭に向かった。


「愚かで間抜けな侯爵閣下。貴方がどれだけ馬鹿だろうと、神は見捨てず愛してくれますよ。どこにも行けずにさまよう貴方を、最期まで何もしないで見ているだけですけど」


 深夜のプライスティ・ホール。館にいる人間の中で唯一の部外者だったその青年の皮肉に満ちた呟きは、もうジェカルドの耳には届かなかった。



 一心不乱にジェカルドは走った。少しでも走るのをやめてしまえば、あの女が今にでも自分の首を絞めに来るような気がしたからだ。


 全身の毛を逆立てるような嫌な風が吹く。喉はすっかり乾ききっているのに、身体は火照るどころかどんどん凍えていくようだった。


「こ、ここは……」


 辿り着いたのは、大きなネムの木だった。


 少年時代、父が庭師に命じてそこにブランコを作らせたことがある。

 過保護な母によってその遊具はすぐに撤去されてしまったが、ピートに背中を押されてブランコを漕ぐその時間は幼い日の大切な思い出として胸の内に残っていた。


 無垢だった日のきらめきに救いを見い出すかのように、ジェカルドはネムの木へと駆け寄る。


 枝には何かがぶら下がっていた。けれどそれは記憶の中にあるブランコではない。先端が円を描くように結ばれた、麻縄だ。縄の下には、おあつらえ向きに小さな台が用意されていた。


「私に、首をくくれというのか……?」


 ジェカルドは周囲を見渡した。誰の声も聞こえない。それでも、闇の向こうで何かが手招きしているような気がした。 


「い、嫌だ……嫌だ、いやだいやだいやだ!」


 そう叫びつつも、身体は抗えない。動かすのを止めてはいけないと思っていた足は、勝手に絞首台へと向かう。


「君を殺すつもりはなかった、本当になかったんだ……!」


 台の上に足を乗せ、吊縄を手に取る。情けない懇願は虚空に飲まれて消えていった。


「待ってくれ! これが君の望みで、私に求める償いの形だというのなら受け入れよう! 何故なら私は君を愛しているからだ! 愛を証明するために……ぐぁっ!?」


 冷や汗を垂らしながらジェカルドは説得のための弁舌を振るうが、その声は虚空に虚しく響くだけだ。これ以上の御託は聞きたくないとでもいうように、吊縄はひとりでにジェカルドの首を輪に通した。


「死にたくない……! ゆ、許してくれ、許してくれ!」


 その声に呼応して、闇から黒いドレスの女が現れる。ジェカルドは引きつった笑みでそれを迎えたが、女は意にも介さない。よく回る男の舌を力任せに引き千切り、女は再び闇へと消えた。


 けれど、その前に。


 とん、と。


 ジェカルドの乗る台が、軽く蹴飛ばされる。自重によって縄が一気に締まった。


「ぅ"、う"ぅ"ひ"ぃ"っ……」


 もがけばもがくほど締める力は強まる。かつては気高さにあふれた美貌と讃えられたかんばせは、とっくにその面影すら失っている。


 けれど彼は、いつまで経っても動きを止めることはない。


 首に食い込んだ縄は、肌の中にずぶずぶと沈んでいく。それでも崩れ落ちることは赦されない。


 何故ならジェカルドは、死の恐怖と痛みにさいなまれ続ける運命さだめにあるからだ。

 時計の針が零時を刻む瞬間を迎えるか、その腐った肉体と堕落した魂を照らす朝日が昇るその日まで。


*


 アドニスの鞄には様々な道具が入っている。折り畳み式のシャベルもそのひとつだ。


(自白を引き出せたのは運がよかったな。ここまで追い詰められて、あの男がやっと自分の罪を認めたからだけど)


 吸っていた煙草を携帯灰皿にしまったアドニスは、庭をシャベルで掘り続ける。このどこかに、すべての秘密が眠っているはずだ。


「アドニスさん!」


 少女のか細い声がした。誰にも助けを求められず、理不尽に抗うこともできなかった、あまりにも頼りない声だ。……否、抗った途端に叩き潰されてしまったのだろう。


「貴方は何がしたいんですか? このお屋敷に来てから、ずっと変なことばかりなさって……」

「困らせてしまってごめんなさい、リーリアさん。だけどこれは、やらないといけないことなんです」


 懐中電灯・・・・で照らされた地面は、やっと望みの物を掘り当てた。


 土の中にそのまま埋められた、黄ばんでくすんだ小さな無数の欠片達。すなわち、人間の骨を。


「きゃあ!?」

「ようやく見つけた……!」


 アドニスは地面に膝をつき、黒い布のまとわりついている骨の中から髑髏どくろを恭しく拾い上げる。その手つきはまるで貴重な宝石を取り扱っているかのように繊細だ。


「ど、どうしてそこに骨なんて……っ!? ちょっ、アドニスさん、やめてください! それ・・をわたしに見せないで!」

「怖がらないで、リーリアさん。大丈夫です。……僕は、貴方を救済したすけにきたんですよ」


 リーリアの止める声に構わず、アドニスは髑髏についた土を丁寧にぬぐった。


「今までずっと寂しかったでしょう。つらかったでしょう。ですが神は、決して貴方を見捨ててはいません。……神は誰のことも救わない。ただその人生を見届けるだけです」


 愛しい恋人を前にしているかのように、アドニスは髑髏を大切に抱き寄せる。


「──それでもぼくは、貴方を愛するでしょう」


 屍と交わすにはあまりにも優しすぎるその口づけを、アドニスはためらいもなく髑髏に捧げた。


「あ……愛して、くれるの……? こんな、こんな醜い……怪物を……」

「怪物なんかじゃありません。リーリアさんは真面目で努力家で、一生懸命だけどちょっぴり内気な、どこにでもいるような女の子です」


 髑髏を抱きしめたまま、アドニスはリーリアを見つめて柔らかく微笑む。黒い死装束ドレスを着せられて、醜い死に顔を晒していた悪霊を、慈愛に満ちた目でゆるしてくれる。


 すっかり変わり果てたリーリア。けれどアドニスだけは恐れることも厭うこともせずに接してくれた。


 リーリアの双眸から涙が零れ落ちる。その源は、歓喜だった。


 その瞬間、夜空に大きなひびが生まれた。大地が揺らぎ、荒れ果てた古城・・・・・・・を覆っていたすべてのまぼろしが崩れ去る。


「あ……ありがとう、司祭様……。わたしの話を、聞いてくれて……わたしを助けてくれて……見つけてくれて……愛してくれて、ありがとう……」


 少女の影が儚く消えていく。

 プライスティ・ホールの夜明けを感じ、アドニスは孤独な少女の亡骸を抱いたまま夜天を仰いだ。

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