ICレコーダー
私はその頃、あるラジオ放送局の営業所の事務員をしていた。事務員は私1人で、あとは所長と営業の社員の男性1人きりという小さなところだ。
その営業所は放送局や出版関係の事務所がたくさん集まる地域のビルの4階にあり、下の階は空室で、上の階は何か知財系を扱う法律事務所になっており、日中は静かすぎるほど静かだった。他の2人も、ほとんど一日中外回りをしており、その営業所の中で私は日がな一日、届いたCMのテープを確認したり、領収書を集めて出納帳をつけたりと呑気に仕事をしていた。あくせくしなくてよく、とてもいい職場だった。一つのことを除いては。
帰る時はエレベーターを使うのだが、いつも上から降りてくるエレベーターの中から、人の気配がするのだ。
そりゃそうだ、上の階にも人がいるんだから。法律事務所ならビシッと定時で帰る人がいたっておかしくない。ところが、エレベーターがドアの向こうに止まった時にははっきりと人の声が聞こえるのに、いざその扉が開くと誰も乗っていないのだ。
これにはいつまで経っても慣れなかった。今日こそ確かに人の声を聞いた、きっと中に誰かいるはずだと思っても、いざ開いてみるといない。単なる音の反響のせいだとしても気味が悪かった。仕方なく階段をできるだけ使うようにしていた。
そんなある日、所長がICレコーダーを買ってきた。この所長という人が、とにかく機械に弱くて、レコードボタンを押せばいいだけのことも一緒にやってみてほしいと言う。まあそんなものかと所長がぎこちなく新品のレコーダーを箱から取り出し、新しい電池を入れて録音を回してみるのをそばで見ていた。
「あーあー。マイクテストマイクテスト」
もう1人の社員さんはもう出ている。営業所の中には所長と私だけで、他に何の音もしない。昔はラジオのパーソナリティもやっていたという、滑舌の良いおっさんの声が部屋の中に響いた。録音を停める。
「どれ。これで入ったのかな? どうやると聞けるんだろう」
「そうですね。ここを押せば」
「なるほど。聞いてみよう」
所長が再生の三角ボタンを押す。
ザザッ
〜♪
『……って……』『キャー』『ウフフ』
……ヒャラ……トントントン……。
『あーあー。マイクテストマイクテスト』
……シャン……プツ。
なんだ今のは。
ぞっとした。そのICレコーダーは、確かにフィルムの貼られた新品だった。音が入っているはずがない。でも今再生したその録音には、まるでお祭の喧騒の中で録音したような、お囃子や人々のさざめき、太鼓の音が入り込んでいた。
「いいね。入ってるね」
「……いや、あの」
「かなり感度がいい感じだね! よし、取材の時はこれで録ってこよう。パソコンに移す時また教えてね」
「……」
所長はそのままそのICレコーダーを持って出てしまい、しかも上書きしてしまったので、この一番最初の録音を再び聞くことはできなかった。ただ、この一件で、今まで「この階につくエレベーターの中から聞こえる」と思っていた人の声が、もしかしたら誰もいなくなった事務所の中から聞こえていたのかもしれないと思った。
それから1人でこの事務所にいるのが怖くなった。