94.私は道具で
「これは……?」
機械により立ち入りの制限がされている秘密のエリアに、聳え立つ大きな塔があった。見上げるばかりの塔だった。
秘密の場所と聞いていたが、とても目立つ建物だと思う。しかしこのエリアに入るまで、この塔はよく見えはしなかった。それは少し不思議なことだった。
「これは、世界を観測するための塔さ」
「観測?」
ようするに、この塔から世界じゅうを見ることができるということだろうか。私にはよくわからない。
「あぁ、そしてそれだけに留まらない。この塔では『円環型リアクター』を、使っているんだが……」
「『円環型リアクター』……。すごいエネルギーを使うの?」
私は自分の胸に手を置く。
彼からもらった大切なものだ。あの後に受けた説明では、無限にエネルギーを作り出すことができるという、世界をひっくり返しかねないものだった。
「そうだな。それもある。ただ、『円環型リアクター』の真価はそこじゃないんだ。エネルギー保存の法則は、時間の並進対称性……つまりは同じことを行ったなら、それがいつでも同じルールを適用できるっていう対称性に伴うものだ。だが、ここには『円環型リアクター』があるからな……」
「………」
「この塔の目的は……そうだな。終わりと始まりから外れた世界から、理を引き摺り出す」
「……?」
私は首を傾げる。
それを見て彼は、困ったように頭を掻く。
「いや、すまない。わかりづらかった。実際にやってみたらわかるだろう。とにかく入ろうか」
手を繋いで、私はその塔の中へと連れて行かれる。
塔に入って、無重力エリアを通り、だいたい三階あたりだろうか。そこにある部屋へと私たちは入っていく。
その中には実験設備のようなものがあった。
水槽のようにガラスの箱がある。おそらくは内部は真空だろう。閉じ込められた中に、吊り下げられた金属球があって、その真下には、金属の薄膜のようなものが床と平行に据えつけてあった。
「これは……?」
「あぁ、いま、起動する。ちょっと待っててくれ」
「うん」
彼は装置を動かし始める。
ガラスの内部の金属球や薄膜に対して、何度か光が照射されたように見えた。
「それじゃあ、いくぞ? 三、二、一」
ガコンと音がする。
カントダウンが終わるとともに、吊り下げられた金属球が落下する。
通過点にあった薄膜を通り抜け、金属球はその下に落ちていき、底にぶつかり勢いを失う。
「破れてない……。すり抜けた……?」
金属球が通った後の薄膜は、変わらずに形を保ったままだった。その現象に私は驚く。
「そうだぞ? すごいだろ?」
「でも、どうして?」
なにが起こったのかは私には、わからない。
「そうだなサリエル。量子力学的には、俺たちが、たとえばこのガラスの壁を超えて、向こう側へといける可能性があるってことは……」
「それは聞いたことがあるけど……その可能性は少ないって……」
戦いに出る前に教養としてそういう知識は私の中には存在する。
だからこそ、その事象を確認するには、人類の歴史は短かすぎるということも知っていた。
「あぁ、そうだな。だからこそ、これは極端な例だ。装置の近くで、かなり強い影響を受けているからこそ可能なんだ。この塔の装置は、可能性を一つに絞る力がある」
「……えっ?」
驚く。だが、同時に、それによりなにができるかというのを、私は理解しきれずにいた。
「あぁ、サリエル。たとえば、世界の全てを知ることができ、非常に高い演算能力を持つ悪魔の話は知っているか?」
「ん……」
頷く。
その悪魔は、世界の全てを計算し尽くし、未来を完全に予測することができるという話だった。だが、この世界が確率によるものだという現実に、そんな悪魔は存在できないと否定されたものだった。
「だが、これを使えば、それなりに遠く離れていても、ある程度高い確率なら、選んで、そう選んだ上でだ……決定することができる。理論上はな。今みたいにすり抜けることはできなくともな。あぁ、つまり――」
――運命を選定するわけだ。
そう彼は言った。
私は思う。それはまさしく神の所業なのだろう。
これを使って、俺はみんなを幸せにしたいと、そう笑う彼を見ながら、私は現実味を感じられずにいる。
「今も誰かの運命を決められるの?」
「いいや、まだ実験室の中だけの話だ。外に出ると誤差も酷いし、カオスが除けるわけでもない。おおよそ、狙った通りの結果は得られないさ」
「そう……」
それを聞いて、私は少しほっとした。
これが完成してしまったら、彼は人の道を踏み外して、どこか遠くへ行ってしまうかのように思えてしまったからだった。
「それでだ。この装置のコンピュータ上で描いたシナリオは、コンピュータグラフィックの三次元映像として、俺たちは見ることができるというわけだな」
そうして、彼の指し示すモニターには、さっきの、薄膜を透過する鉄球の姿が、荒いモデルの映像として映し出されていた。
コンピュータグラフィックには、あまり力を入れていないようだった。
「あと、どのくらいで完成?」
「一年……いや、半年か……。数十年はかかる予定だったが、サリエル……お前のおかげで完成にグッと近づくんだ」
「どうして……?」
「力の基礎理論を突き詰めて、現実と理論のギャップを埋める。僅かなズレも命とりだったからこそ、サリエルの力をより詳しく解析することが、確実で大きな完成への一歩になる」
手を取られ、目を熱く見つめられる。彼はそう強く私に訴えかけてきた。
彼が与えてくれた力だというのに、彼は私を必要としてくれているようだった。だから、私は、できうる限り彼の力になりたいと思った。
「わかった。協力する」
「そうだな、よし。じゃあ、契約書を詰めよう」
「ん……」
私としては、あまり働く形態については考えていなかった。
流されるままでいいとも思っていたが、そういう部分も、彼との話し合いで明文化して、契約に盛り込まれていく。
彼主導で、契約の内容が決められていったが、私にとってだいぶん有利な形になる。待遇の良すぎるものだ。
契約書は、珍しく紙で作られたものだった。彼は電子上のデータとしてこの契約書が残ることをどこか恐れているようにみえた。
「それじゃあ、これでサインだな」
互いに、サインを書いて、私たちの間での契約が成立する。
原本を私が、控えを彼が持って、しまい込んだ。
「これで、よかったの?」
契約や法律に関する知識ていどは私も持っていたが、彼に有利なものにするくらいはできたはずだった。
けれども、彼は満足をしたような表情だった。
「あぁ、それがお前の価値ってことだ。今のサリエルを欲しがる人間は、世界中にたくさんいるぞ? そんなお前のことを、俺が独占するようなものだからな」
そう言われると、今までただの紙切れだと思っていた契約書が、なんだか温かいもののように見えてくる。
「もうサリィはあなたの道具ってこと……?」
「いや、サリエル。お前はものじゃない。立派な一人の人間さ」
ずっと、戦ってきた。
自分の意思など必要なかった。
何も考えない方が楽だというのは変わらないけれど、それでも人間として、未来を歩きはじめるのだとわかった。
「だったら人間として、あなたの道具になる……そういう覚悟」
「あのな……。いや、あぁ、なら当分はそういうことにしておこうか」
私はそういう生き方しか知らないから。
できる限り、彼の力になりたかった。その意気込みは、たぶん伝わったのだろう。
ひとまず、私の在り方を彼は受け止めてくれるようだった。
私の居住スペースも、彼はこの塔に用意してくれている。もともとは機材置き場だったところを、ドローンで生活用品を取り揃えて、私が快適に暮らせるようにしてくれていた。




