90.一線
意識が引き戻される。
他人の記憶を無理やりにインプットしたからだろう、強い疲労を頭に感じる。
抱きしめられるかのような圧迫感に、人肌のような温もりに包まれていると感じる。
「サリエル……」
なぜかベッドの上だった。
記憶を覗いて意識が現実にないうちに、押し倒されてしまっている。
「サリィも一緒に思い出した。うん。かっこよかったでしょ」
彼女は興奮をしているようで顔が赤い。無表情だが、感情と一緒にそういうふうな顔色の変化はするみたいだった。
「かっこよかったって、なんの話だ」
「あなたのこと。昔の」
今の記憶の中で、俺だと思える登場人物は、土壇場でサリエルを救ったあの男だ。
だが、俺にはかっこよかったなんて思えはしなかった。
出来過ぎていて胡散臭い。そもそも、サリエル一人を救えるのならば、他の戦場で死んで行った彼女たちの姉妹にも手を貸せばよかった話だ。
死んでからの救いより、死ぬ前の救いの方が、絶対にいい。
「なぁ、サリエル。お前の姉とは、また会えたか?」
「たぶん」
「そうか。あぁ、そうなんだな」
サリエルは、迷いなく答えた。曖昧にしか答えられないのは、きっとそういうルールだからだろう。
「サリィの全部はあなたのもの」
のしかかってくる。サリエルは俺をじっと見つめている。まるで夢中になったかのように、口付けをしてこようとする。
どうしてサリエルが、あれからこうなったのかわからなかった。
「なぁ、サリエル。そういうことは本当に親しい相手にだけ……」
「サリィはサマエルよりも親しくない? 子どもも作ったのに……」
「……な……っ!?」
あの記憶の後、俺が何をしたのか考えるだけでも目眩がする。
意思薄弱なサリエルに対して、洗脳まがいのことをしたのではないかと、疑わざるをえない。
「どうして……?」
変わらずにその瞳は俺の目を強く見つめている。
目を逸らす。
「サリエル。離れてくれ……」
「あなたはそれを望んでいるの?」
悲しげな声だった。少なくとも、俺にはそう聞こえる。
レネのことを思い出す。俺は他人を傷つけるだけの人間なのだと、否応がなく突きつけられてしまっているようだった。
「サリエル。お前こそ、俺をどうしたいんだ? アンドロイドのお前は俺よりも力が強い。そういうことをしたいんだったら……無理やりにでも……っ!!」
「いや。だったらしない」
「は……っ?」
サリエルは、立ち上がって俺から離れる。
「サリィ。怒った」
「……あ、あぁ」
俺は途端にサリエルのことが理解できなくなる。
表情を覗いても、最初から変わらない無表情なままだった。少なくとも、怒ったような顔ではない。
「サリィはそういうふうに、したくないです」
「そう……なのか?」
「怒ったから……。謝らなきゃ、もう今日はおしまいなのです」
「あぁ、わかった。すまない」
俺が悪いことは間違いないだろうと思う。
他人行儀に変わった彼女の態度に、俺は動揺を覚える。
「わかればいい……」
「え……?」
またベッド上に、俺のもとにまた飛び込んでくる。それに俺は困惑する。
「えへへ。仲直り」
さっきよりも強く、サリエルは抱きしめてくる。
サリエルの行動はわからなかったが、それでも俺はそんなサリエルに安心をする。
彼女は自分の気持ちを俺に通すことを優先した。自分の気持ちを蔑ろにしないならば、それは道具なんかじゃない。
なぜ、自分のことを道具だなんて、そんな悲しいことを言うのかわからないけれども、彼女の望むことをしてあげたいと、どうしようもなくそんな気分になってしまう。
「サリエル」
「うん……」
見つめれば、うっとりとした目でサリエルは見つめ返してくる。
今まで無表情だった彼女の顔に、感情の揺れが感じ取れた。
「綺麗だな」
そうやって、俺はサリエルに……、
――ラル兄の、バカ……ッ!!
今になって、ジンと頬の痛みがする。
そうして俺は、本来なら一線を超えているべきその瞬間に全てをやめた。
一線は超えなかった。
一瞬のうちにラミエルや、ラファエル、ガブリエルのことといった様々なことが頭をめぐり、何よりも頬の痛みが俺を押し留めてしまったのだ。




