9.雷鳴
「レネ! ふさげ! 耳をふさげ! ……くそ」
反応がない。今のレネの失意を俺は推し量れない。
仕方なく、俺は両手でレネの両の耳を塞いだ。
「……!?」
そして迸ったのは雷光だ。
おおよそ人間には予測が困難であろう、不規則な光の筋。それはあの『白翼』の少女を倒すために有効な手段だった。
もちろんのこと、『天使の白翼』でその電撃は弾かれる。直撃はない。これはわかっていたことだった。
ただ雷撃というのは、それだけではない。
続く雷鳴に、『白翼』の少女は吹き飛ばされる。
「うぐ……っ」
「衝撃波です。いくらあなたでも、これを計算しきり、全て受け流すことはできないようですね」
雷の脅威というのは、その電圧だけではない。
熱膨張を知っているだろうか。
熱膨張とは、物質が暖められ、その体積を増加させる現象のことだ。無論のこと、それは気体も変わらない。
雷が気体を通過する際、抵抗を流れる電流と熱の法則に従い、大量の熱が発せられる。そうして生まれた熱を受け、気体は急速に膨張、その速度は音速をも超える。
音速を超えて動いたならば、衝撃波が放たれるのは自明の理だ。
「これは……痛いわね……」
あの少女が『エーテリィ・リアクター』を動かす際に必要な計算は、受けた攻撃をどう弾き、反作用をどう処理するかというもの。その計算を失敗をすれば、体はバラバラになりかねない。
複雑な雷の軌道に、そこから放たれる衝撃波。この二段攻撃に対しては、計算が煩雑となり、消し切れない。アニメでも、少女を苦しめたものだった。
「いますぐ降参をするのなら、きっと『主』もお許しくださるはず……。でなければ、跡形もなく……」
「く……っ」
たまらずに少女は飛翔し、雷撃の照準を合わせられぬよう速度を上げ、逃げる。
攻める『雷霆』の天使は、ちらりちらりと耳を塞いでいない俺の方を見る。こちらに気をつかい、本領を発揮できていないのか。
落雷の速度は、おおよそ二〇〇キロメートル毎秒。『雷霆』の天使の放つ雷撃は、それよりも遅い。『天使の白翼』を最大出力で用いれば、避け切れない速度ではないはずだった。
「そんな動きでは、避けられませんよ?」
彼女の掌から放たれたのは、一発の雷撃だった。
少女の動きを予測した位置に、寸分の狂いもなく届くものだ。
「このくらいなら……」
だけれども、予測は予測だ。『天使の白翼』を用いた少女は、反射神経さえ異常。雷撃程度ならば、見てからでも――、
「さぁ、どうでしょう?」
その雷霆は、何本にも枝分かれ、逃げる少女を囲い込む。
なす術がない。
「……それは、ズル……」
嘆きながらも、『白翼』で雷撃をいなし、衝撃波にもそれなりの対応はできてはいたのだろう。
「あぁ……痛々しい……」
左腕があらぬ方向にひしゃげていることを除けば、人の形保っていることは幸いか。
見えていないだけで、肋が折れているか、内臓が傷ついているかしているのかもしれない。
確実に、『白翼』の少女は追い詰められている。
「…………」
ふと、目が合う。戦いに窮し、なにかないかと視線を彷徨わせた少女とだ。
「……なっ」
一瞬だった。空間が歪んだのだろう。
気がつけば俺は、宙に浮き、少女の手元に引き寄せられていた。銃を突きつけられていた。
「この男がどうなってもいいのかしら? この男の命惜しくば、私の言うことを聞いてもらうわ?」
「なんて、卑劣な……っ!」
人質だった。
宙に浮かんだ『雷霆』の天使は、悔しげに、ぐぬぬと綺麗な顔を歪めている。
俺はそれを尻目に、小声で銃を突きつける少女へと語りかける。
「なぁ、こんなので効果あるのか?」
「知らないわ。他に手はない。というか、どうしてあなた、夫に? 知り合いだったの?」
「そんなわけない。俺は下級の労働者だ。会うなり……拒否権はなかった。誰かと勘違いしているのかもしれない」
「そう……災難ね……」
友好的に話してくれた彼女だったが、場合によっては引き金は引くという意思がありありと感じられる。というか指トリガーだった。
「ふふ……やむを得ません……。『主』はお怒りになるでしょうけれど、これは渡しましょう。わたくしにとって、いちばん大切なのは愛する人……ですから……」
大天使は自らの役目を放棄し、『円環型リアクター』を差し出した。
それを見て、俺を捕らえた少女は、そちらへと腕を伸ばす。
「そう、なら――」
銃をその手に握ったまま、銃口を向けて。
「やめろ! 違う!」
「――くたばりなさい!」
「愚かですね……」
爆発音が響く。