82.何も知らなくて
「そうだ……記憶がない」
「記憶がない?」
「あぁ」
サリエルは、疑問を浮かべる。
「サリィのこと、覚えてない?」
「そうだ。お前のこともよく知らない」
アニメではサマエルと戦い、相打ちになる。その際の、機械的な口調に、無表情な受け答え。それくらいしか、俺は彼女のことを知らなかった。
「アザエルは?」
「アザエル……?」
「私たちの娘のこと」
「娘っ!?」
「そう。それも忘れた?」
俺の目を強く見据えて、サマエルは尋ねてくる。
そんな彼女の瞳に、一切の嘘偽りが許されないと、そんな心持ちになる。
「すまない。覚えてない」
「悪い子になったから、サリィがあそこに封印してる。あなたがいなくなった後、たぶんサリィの育て方が悪かったから……。ごめんなさい」
彼女が、指をさしたその先は、中央の白い柱だった。
白い柱は、サリエルの障壁を柱状に形成したものだ。サリエルの障壁はシステムの完全な切断だからこそ、その柱の内部にいる者は、外部には決して干渉できない。
「いや、いなくなった俺が一番に悪いだろう。お前が謝る必要はない」
「記憶がなくても……そんなふうに。変わってない」
悲しそうに、けれどもどこか嬉しそうに彼女は言った。
掴めない距離感と、罪悪感に俺はなにを言っていいのかわからない。
「この柱……一人を閉じ込めているだけなら、どうしてこんなに高く……」
「グリゴリごと、だから」
「グリゴリ……」
その単語に、どこか聞き覚えがある。どうしてか、俺はそれを深く知っているような気がする。
「本来なら、量子力学的に未来は未確定。けれども、このグリゴリでシナリオを綴れば、起こりうる未来ならば全て起こせる」
「それは、本当に可能なのか……?」
にわかには信じがたい。
この量子力学の不確定性に関しては、議論が続けられてきた。ある有名な物理学者は神は賽を振らないと、この不確定性について疑義を唱えた。
そこから時代を経ても議論は続けられたが、結果的に、ある期待値に関する不等式の破れが証明されることにより、そんな決定論的な考え方はひとまず否定されることとなった。
未来は不確定で、確定したものではないはずなんだ。
「『円環型リアクター』を使っているから。『円環型リアクター』は理外の機構。基本的には無限のエネルギーを得るために『円環型リアクター』を使っているけど、その真価は別のところにあるから。でもサリィには、きっと理解しきれない」
「どんな現象も理の中にある。どんなに無秩序に見えたって、きっとどこかに法則があるんだ。一歩ずつ、進んでいけば大丈夫だ」
「ごめんなさい……」
「いや……どうして謝る?」
「サリィはあなたほど頭が良くないから。ごめんなさい」
自虐的なサリエルの言葉に俺はうろたえる。
アンドロイドは、基本的に人間よりも頭がいい。アンドロイドを超えるような結果を残せる人間がいるとしたら、それはなんらかの卑怯な手を使っているとしか考えられない。
もし、俺が前世の知識を持ったままに、今よりも前の時代に転生していたのならば、サリエルの今の自信のなさは、そのせいで生まれてしまったものなのだろう。
「そんなことはないと思うが……」
「今はサリィのことを知らないから」
「あぁ、確かに……そうだが」
「思い出して……ううん、サリィのこと、知ってほしい」
サリエルは俺の服を掴んで、こちらへと縋り付く。
迫ってきたサリエルに、俺は少し気圧されながら、そんな彼女の手に手を重ねた。
「あぁ、話なら……」
「やっぱり、肌を重ねるのが一番手っ取り早い」
そうしてサリエルは服を脱ごうとする。その動作を見て動悸と目眩いが起こったが、深く息をして平静に努める。
「いや、服を着ろ。そういうのは、違うだろ」
「サマエルよりは上手くできる」
「だから、そういうのは……」
「サマエルよりは上手くできる」
サリエルは無表情だ。だが、そのセリフに揺るぎない自信が感じられる。こちらを見つめる圧が強い。
「できれば、別の方法を頼めるか……? 普通に話すだけでも、お前のことを知ることはできると思うんだ」
サリエルは首を傾げる。今ひとつ、納得がいっていないように見える。
「ただ話すだけじゃ伝えきれない。別……なら。そう、わかった。サリィの記憶……見る?」
「記憶……それは、大丈夫なのか?」
「『スピリチュアル・キーパー』を使えば、可能。同期すればいい。簡単。ガブリエルに頼む?」
サマエルに体を売ることを代償に手に入れたものなら、ちょうど手元にあった。
「あぁ、『スピリチュアル・キーパー』なら、俺が持ってるよ。ただ、俺が言いたいのは、そういうことじゃない」
「どういうこと?」
「記憶、見られてもいいのか? 隠したいこととか、筒抜けになるんだぞ?」
基本的には人間には、どんなに親しい相手でも知られたくないような恥ずかしい過去があって、普通、自分の記憶を見せたがりはしないだろう。
「それなら大丈夫。サリィはあなたの道具だから」
俺の目を強く射抜いてサリエルは言った。
その態度で、彼女の存在が、とても危ういものだと、俺は理解してしまう。
「わか、った。いいよ、お前がそれでいいなら……」
「うん。準備しよ」
彼女の考え方について、俺がとやかく言える立場ではないだろう。それに、俺が言ってしまったら、そのとおりに彼女は動く。きっと、それは何の解決でもない。
俺の持ってきた『スピリチュアル・キーパー』に機材を繋ぐ。塔の壁面には、無数の機械が据えつけてあったが、ちょうど活用できるものをサリエルが見つけてきてくれた。
サリエルが、じっと後ろから見つめるなか、俺は『スピリチュアル・キーパー』を調整して、準備を終える。
「サリエル……いいか?」
「うん、ばっちり」
そうして俺は、『スピリチュアル・キーパー』を起動する。
いつか、過去とは対峙しなければならない。彼女たちにとってみれば、深く心に俺の存在が刻まれているからこそ、知らないではすまされないのだろう。
だから、俺は――、




