8.反撃
「遅すぎだ……」
尊厳が失われたようにさえ思える。俺も、レネも、傷つけられて、心が今にも限界だった。
「少しここは危なくなります。下がっていてくださいね?」
まるで俺の味方のような台詞を吐き、彼女は俺を庇うように前に出る。
彼女のその態度に、なにもかもを奪われてしまったかのような感覚が襲ってくる。取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないと、今になって思う。
これだけ遅れたからにはと、俺は、上からこちらを見下ろす少女を睥睨する。
「勝算はあるんだろうな……?」
「正直なところ、勝てるかはわかりません。あの密度の『天使の白翼』……その相手には、万が一もあるからこそ、わたくしたち大天使は単独での戦闘を禁じられている。ですが、逃がしてもくれないでしょう。ようやく念願が果たされ、これからだというときに、相も変わらず、『主』は試練をお与えくださる――ただ、今は……わたくしにはあなたが付いていてくれますから、負ける理由がありません……!」
高揚感がひしひしと伝わる口上だった。
勝算があるかと尋ねた俺は、本来ならば尋ねられたはずだった少女と目を合わせる。台詞を奪われ彼女は当惑していたようだったが、俺の動揺を見て、ほっと胸をなでおろしていた。
「ま……いいわ。もとより勝てるかは分からなかったけれど、そこまで大口を叩かれるとさらに不安になってくるわね……。ご容赦願いたいわ」
そう言いつつも泰然とした様を崩さない。余裕の滲む態度で腕が組まれる。
「それにしても……核ですか……。ずいぶんと久方ぶりに見ましたね……? 時代遅れだというのに、こんなものをいったいどこで?」
ラミエルは電磁気を用いて中身を透視したのか、周りに突き立てられた六本の金属の柱を見回しながらそう尋ねる。
核――かつて、核は人類の脅威だった。核のもたらすそのエネルギーに並ぶ兵器はなく、さらにはばら撒かれた放射性物質が、以後何十年にも渡り人を蝕み続ける最悪な兵器だった。
だが、時代は進む。人類は進歩を続ける。
発展した、時空歪曲による爆風の無効化技術。『エーテリィ・リアクター』を用い、時の進みを早めることによった、放射性核種の半減期の短縮。さらには『円環型リアクター』の登場によりエネルギー資源としても無価値になる。
もはや、人類は核を克服したのだと、言ってもいい。
「ええ、そうね。時代遅れ。そこの河原で拾ってきたわ」
「ご冗談を……。核兵器――落ちぶれようとも大量破壊兵器には変わりがありません。あなたたちのようなものが、扱っていいものではないことが、まだ分からないのですか?」
たしかに核は時代遅れだ。だからといって、それを持ち出した彼女のことは、正気と思えなかった。
「ごめんなさい。本当は台風でも拾ってこようかと思ったのだけど……近くにはなくてね」
「当たり前です。災害は私たちが対処していますから――」
そして翼が開かれる。 ラミエル――『雷霆』の天使――彼女の背からはプラズマが散り、スパークが迸る。それが彼女の翼の正体だった。
彼女に組み込まれた『単電磁形成兵器』――『セレスティアル・スプリッター』の起動の証。
……『天使の霊翼』、そう呼ばれる翼だった。
「……っ!?」
「さあ、これでもう、六基全て作動しません。わたくしの、この翼の影響化にある限り、そのような蛮行は許しませんよ?」
わざわざ持ってきたその兵器は無駄になったと、『雷霆』の天使は勝ち誇った。
「ええ。わかっていたことよ」
白翼の彼女は片手をあげる。同時に五本、彼女が腰を下ろしている以外の柱が、全て動き出す。
振り回され、床を削りながらも、迫る金属の柱に、『雷霆』の彼女はなおも動かず、立ったままに――。
「野蛮ですね……ただ、わたくしを前にして、力学的な攻撃は意味をなさない。悔い改めなさい」
彼女を中心とした斥力を、越えられないかのように、一度は接近をした金属の柱たちは押し返される。
「そう、ならこれは?」
彼女が懐から取り出したのは銃だった。
ただ、火薬を用い鉛玉を撃ち出すような、旧式の銃ではない。高エネルギーの光を撃ち出す光子銃だ。
その攻撃は情報伝達の限界速度に等しかった。まさしくそれは不可避の一撃。
「あぁ……。わかっていた」
だけれども、光速程度で仕留められるならば、この大天使たちは人間を支配し君臨し続けることはできなかっただろう。
すでに飛び立ち、光は当たらない。
「……っ!」
白い翼の少女は銃口を振り回し、追随させる。それでも、まるでその動きが、未来がわかっているかのように、『雷霆』の天使は捉えられない。
いや、わかっているのだ。
環境データを入力、そこから起こりうる未来の可能性を全て導き出すプログラムが、大天使と呼ばれる彼女たちには備わっていた。
神の領域を脅かした知恵の実の一部――その精度は完全であり、入力されたデータ外からの影響さえなければ、決して違えることはない。
そのプログラムから計算され得られる情報は、空間、時間の四次元……さらにはそこから起こりうる可能性も網羅されるため、結果として五次元。人間には、おそらく処理に膨大な時間がかかる情報群だった。
だが、彼女たちにとって、それらを理解するのは当たり前だ。
人間が視覚から得た情報を、三次元の映像として理解しているように――彼女たちは、受け取った感覚からプログラムで解析された情報を、基本的に現在から五秒後まで、五次元の構造のままに理解している。
いかに光速での攻撃とはいえ、それを放つ前に理解されていれば、大天使ほどの機動力を持つ相手に、当てることは至難の技だろう。
「少しうるさくなります。鼓膜が破れてしまいかねないので、耳を押さえてくださいね?」
警告に、彼女が何を始めるのかは理解できた。
振り返る。少し離れた場所でうずくまるレネに駆け寄る。レネは無気力に、ただ呆然とこの戦いを見つめているようだった。






