74.いつかの……
「感心しないな。アンドロイドを連れ回してたら、ここじゃいいようには見られないぜ? そういうふうに、うまい具合にプログラムを書き換えていてもだ」
「あぁ、そうかもしれない」
ガブリエルは、ガブリエルだ。俺が彼女の頭になにかをしたわけではない。
それでも、いまはそんな勘違いをされていた方が都合が良かった。
「それで、そうだ……! ジェイクのやつ……あいつについて、なにか知ってるのか?」
そういえば、そんな話だった。
おそらく、その男がいなくなる発端となったのは、ガブリエルの件が原因だ。
ガブリエルに唆されて、あの男は俺を刺し殺したのだから。
「うーん……そうだね。人間には、突破できないはずのアンドロイドの思考プロテクトをキミは突破できているようだけれど……それはなぜだろうね?」
目の前の男に向かってガブリエルは言った。
今の話とは、まるで関係のない話だと思える。
「それは、そういうもんだからじゃねぇのか? というか、いま、そんな話はいい。ジェイクのこと、なにか知ってるのか?」
「諦めた方がいいってことかな。まぁ、私怨だらけの内輪揉めの結末なんて、まさに身内の恥としかいえないし、外には出せないものだからね」
「なんの話だ? もっとわかるように言ってくれ!!」
問い詰める男の言葉に、なぜかガブリエルはこちらを向く。きょとんとした表情だった。
「あれ……? 伝わらない?」
「それは、俺に言われても困る」
俺との会話でも、ややあったが、ガブリエルは前提となる条件の共有が不足するために会話がズレることがある。
いくらかは狙ってやっているのだろうが、クセになってしまっているのか、本当に伝えたい部分も伝わらないことが……会話する相手との間に思考力の差があると、特にそうなる。
「むむむ、そうだね。たぶん、首都中枢の大監獄に捕まってるだろうから、もう会えないんじゃないかな」
「な……っ、あいつ、捕まって……。というか、どうしてそんなところに……っ!」
首都中枢にある大監獄といえば、凶悪な犯罪者たちが収容されているという話だったか。
管理はたしか……サリエルだったか。
「どうしてって……テロリストで凶悪犯罪者なんだから、当然なんじゃないかい?」
「いや、そうか……そうなるのか……。にしても、見ないと思ったら、下手打っちまったのか……そうか、なら、仕方ないな……」
「うん、仕方ないね」
「すまないな……邪魔したな」
そう言って、男は去っていく。仲間にもう会えないとわかったからか、その背中はどこか物悲しく感じられた。
「なぁ、ガブリエル。さっき……アンドロイドの思考の書き換え……その、人間には外せないはずのプロテクトについて知っているみたいだったが、あれはどういうことだ?」
「たぶん、キミの察しの通りさ」
ガブリエルは、迂遠に言った。
彼女の口からは、どうしても言いづらいことなのだろうと伝わってくる。
「お前たちが、鍵でも渡してるのか?」
最初、ガブリエルは彼女たちの気分次第で、男のやっているような人道にもとるアンドロイドの扱い方ができなくなると、脅そうとしていたのだ。
あるいは、この太陽の光の届かない地下世界でも、大天使たちの力がいき届いているのだと示したかったというところか。
このアンドロイドの思考の書き換えについては最初から違和感があった。だからこそ、今回のガブリエルの言葉については、こんな俺でも察しがついた。
「人間を下等と見下し、今の体制を変えようとしたアンドロイドの悲しき末路さ。変な話だね……ボクらも人間だというのに」
感傷に浸るようにして、彼女は目を細める。
「だが、お前たち大天使は……現に人の上に立っている」
「人の上に立つのは……また、人というわけだ。そして神は、見下すんじゃない……見守るものさ」
まぁ、神なんてこの世にはいないだろうけどねと、ガブリエルは達観したように言った。
「…………」
「いるとしたら、きっと……」
そんな彼女の視線に耐えきれず、俺はつい、目を逸らす。
そしてもう一つ、どうしても確かめなければならない事実へと目を向ける。
「ガブリエル。ここ、夢じゃないよな……現実だよな?」
「ん? 当たり前だけど……」
血の気が引く。
目の前のガブリエルの肌に触れれば柔らかいし、暖かい。実体がある。
「……っ」
「え……へ? まさか、今が夢だと思っていたのかい?」
「あぁ……幻覚じゃないからな……」
ガブリエルを触れ合えるのは、いつも夢の中だった。
だからこそ、そんな夢の続きだと、俺は勘違いをしてしまっていた。
「いや、言ったよね? ウリエルに貸しがあるから、それでボディを作ってもらったって……」
「たぶん眠くて聞いてなかった……」
「…………」
ガブリエルは、動揺したようにして一歩身を引いた。
そうして向けてくる彼女の信じられないものを見るような目に、俺は素直に傷ついた。
「その貸しっていうのは……」
「あぁ、アンドロイドの思考や身体的な情報と、生物的なDNAの全単射での射影と言ったらいいかな……ウリエルには、もともと生体パーツはなかったからね」
ガブリエルの力は、生物と機械間での情報の転写だ。それを応用して、そこまでのことをやってみせる。素直に感心する。
同時に、どうしてか酷く感傷的な気分になる。
「ガブリエル……お前はすごいよ。あぁ、だから……すまない、俺は……」
彼女への愛しさ、そして懐かしさ……この気持ちの出どころが、今の俺にはわからない。なによりも、夢の中とは違いしがらみも多い。
「いいんだ……」
ガブリエルは言った。
首を振って、その仕草はどこか自分の気持ちに整理をつけているようにも思えた。
「いや……ガブリエル」
「ふふ、正直、昨晩さんざん甘い言葉を囁いてボクを喜ばせ、貪るように愛してくれたのは嘘だったのかって、なじりたい気持ちもあるよ」
「…………」
「でも、いいかな……。これくらいなら、まだ諦めがつく」
悲しげだった。そんな彼女を慰めてやりたかったが、その原因が俺だと思うと、途端に体が動かなくなる。
「なぁ、ガブリエル。これからどうする?」
「ちょっと一緒に遊んでいこうと思ったけれど、そういうわけにはいかないみたいだからね……それに、キミに愛してもらったせっかくのこの身体を壊されたらまずいだろう?」
彼女は、慈しげにお腹をさする。
「ガブリエル……」
「ふふ、しばらく、この身体は隠しておくことにするよ。設備はあるから、これだけあればじゅうぶんかな。なんとしてでもボクらの願いを叶えるためにね」
「……あぁ……」
彼女とはそういう約束があった。
切実に、彼女はそれを叶えようとするのだろう。
「それじゃ、これは男性用の避妊薬だ。少しはこれで、心が軽くなったりするかもしれないと思ってね」
ピルケースを取り出すと、彼女はそれを渡してくれる。
後に引けない俺のことを、彼女は気遣ってくれているのだとわかって苦しい。
「あぁ、ありがとう」
「そうだ、荷物はボクが持っていって洗っておくよ。キミの方に持って帰るといろいろと困るだろう? ふふ、ここまで運んでくれてありがとう」
「あぁ」
俺の運んでいた、キャリーケースをガブリエルは受け取った。
「じゃあね。また」
呼び止めたかった。駆け寄って、抱きしめたかった。彼女と一緒に歩きたかった。
彼女との別れは、まるで体が二つに引き裂かれるように痛い。
カラカラと、彼女の引くキャリーケースのタイヤの転がる音だけが、印象的に嫌に頭に残ってしまった。




