7.もしも生まれ変わったら
「さて……まあ、ここにいない方は良いとして……この場所にいる、あなたは一体何者で――、……!?」
「…………」
神に仕える天使はこちらを見つめる。見つめ合う。
まず目につくのは、冴えるように赤い虹彩だった。そして全てを見透かすように深く、宇宙の深淵を覗いているかのように黒い瞳孔に捉えられているとわかる。
「……似ている……?」
たしかに呟いた声が聞こえる。
意味がわからない。俺がなにに似ているのか。わからないが、俺にはやらなければならないことがあった。
「すまない。取り返しのつかないことをしたのはわかっている。俺のことはいい。できるなら、レネの命だけは助けてほしい。お願いだ」
地べたに這いつくばる。全てはレネのためだ。レネのためなら、俺はどんなみっともない真似だってできる。
「『主』よ。大いなる『主』よ。私はこのために生きていたのですね! あぁ、祝福に感謝を……!」
何かがおかしい。まるで狂ったようだった。
恋を覚えたばかりの少女のように、頬を上気させ、俺たちの敵はそうのたまう。
「な……なんなんだ……」
「結婚しましょう! 今……! すぐ……っ! わたくしの生涯はこの時のためにあった! 二度と元には戻らない……あなたは口癖のようにそう言いましたが、全ては取り返しのつくことだった……っ! そんなものはないと、あなたは否定するでしょうけれど……これがっ、きっと、運、命っ! もう一度やり直せる。これでわたくしの念願が叶う……あぁ」
この機械は壊れてしまったのかとも思った。アニメでは、主人公と会ってもこうはならなかったはずだ。
おかしい。
致命的になにか認識のズレがある気がしてならない。後になっていくにつれて、取り返しのつかなくなって行く……まるで問題の最初、一番簡単な部分を間違えているような、気色の悪い違和感だった。
「待ってくれ……? 結婚? ラミエルは――アンドロイドで……」
「ええ、たしかにそうですが、ちゃんと生体パーツはここに……」
恥じらうように頬を赤らめ、目を伏せつつも、慈しむような表情で、彼女は自身の下腹部を摩った。
「……っ!?」
「男女として、真に愛し合うことも……。赤ん坊を、わたくしとあなた、二人の愛の結晶をこの身に宿すことも可能なんです!」
――双生アンドロイド。
かつての人間の試みだった。
もしアンドロイドが自我を持ち、人間と恋愛をした場合、その不幸はなんだろうか。それは、自分たちの子供を作れないことだ。
例えば、卵子や精子の提供、それを用いて子どもができたとしても、アンドロイドの方に似てはいないだろう。よしんば容姿が似た人間から生殖細胞を提供されたとしても、その性格は……。
そう考えて作られたのが、この双生アンドロイド。人間の良き隣人だ。
提供者とともに、幼少の頃から成長していく。双子として、容姿を、遺伝情報に含まれる最低限の思考パターンをも借り受けたのがこのアンドロイドだった。
そして最後に細胞の養殖技術で、生体パーツ――生殖器を埋め込まれて完成する。そうなれば、もはや人間との違いはいったい……。
「培養もして! 長持ちさせて! ちゃんと、ダメになれば交換もしてきたんですっ! 本当ですよ? あぁ、わたくしの道ゆきは間違ってなどいなかった。きっと『主』もお認めになるでしょう! この日の祝福に、この地に足を踏み入れたことも不問とします。あぁ、ようやくわたくしは、あなたと永遠に結ばれる……」
ふと、目に入る。
あれは、銃……あの白い光を操る少女が持っていた銃だった。持たされていたのか、落とされたものを拾ったのか。背後から、この色ぼけアンドロイドに、銃を突きつける少女がいた。
「黙れ、このっ、泥棒猫が……っ!」
レネの声は、今まで聴いたことが、ないくらいにドスが利いていた。
「やめろ! レネ! 撃つな!」
――銃声が響く。
打ち込まれた弾丸は、目の前の大天使には突き刺さることはない。
何か壁に阻まれたように、あるいは空間に固定されてしまったかのように、弾丸は標的のうなじの手前で動きを止めた。
止めた彼女は振り返らずに――、
「わたくしは今、幸せを取り戻したんです……! 邪魔をするだなんて……無粋。……あ。この禁忌の地に足を踏み入れた罰です……死をもって償いなさい!」
止まった弾丸の向きが反転。弾丸を放った相手に、その先が向けられる。
電気か磁気かはわからないが、この天使が操っているのはたしかだ。金属である以上、電荷を行き来させ、どうにでも動かせるのがこの天使に許された力だった。
「ま、待ってくれ! 俺ができることならなんだってする! だ、だからレネは……っ! レネだけは助けてくれ!」
「な、なんでも!?」
俺の言葉を聞いて、この天使の名を持つアンドロイドは耳まで真っ赤になってしまう。ただ俺には、相手がなにを考えたのか推測している暇はなかった。
「た、頼む……。レネは……レネのことだけは……」
「そうですね……デート……っ、デートをしましょう! アジサイの咲く綺麗な小道を知っているんです。ふふ、二人で腕を組んで歩いて……花を愛でて……それから、それから、お食事をするんです。美味しい料理のレストランが、わたくしの知るホテルにあるのですよ? そのホテルには、夜景が綺麗なベッドルームがあって……VIP専用なんです……。ゆったりと、そこでお話をして……シャワーを浴びて……柔らかなベッドで寛いで、最後に二人は……あぁ……愛を確かめ合う……」
「うるさいっ、黙れっぇええ!」
二発三発と銃弾が撃ち込まれていく。
その贅沢なデートプランは、貧困の街でのやっとの暮らししか許されてこない、レネにとっては耐え難いものだったのだろう。
だが、もはやレネは一顧だにされない。弾も変わらずに『雷霆』に触れることなく止まってしまう。
「そうと決まれば、まずは『主』に永遠の愛を誓いましょう……! この場で愛を誓い合うんです……! わたくしは偉いので、それだけで夫婦っ! わたくしたちの愛の前には、面倒な手続きは不要っ! 素晴らしいでしょう?」
この女の言いなりになれば、レネは救われる。そう思えば、これくらいはなんでこともない。
「……くっ」
「さ、愛を誓いましょう?」
にこりと、天使は微笑みかける。
「わ、わかった。誓う。誓うから、レネのことは……っ」
手を取られる。
「あぁ、『主』よ。大いなる『主』よ。私は、病めるときも、健やかなるときも、幸いなときも、窮するときも、たとえ死が二人を分とうとも、貞淑に、過去も、未来も、いかなるときでも、あなたを愛し続けることを誓います」
「……っ!?」
「私たちは……永遠の愛を――」
慎ましやかに目を閉じて、頬を紅潮させながら、顔を近づけてくる。唇が迫る。
「……黙れっ! 黙れっ! やめろぉおお!」
ラミエルの向こうに、レネの姿が見えた。この間も、レネは銃を撃ち続けていたが、もうすでに弾切れだった。
カチャリ、カチャリと引き金を引く虚しい音だけが響いていく。
「…………」
「うぅ……。うぁあああっ!」
レネの泣き崩れる姿が見える。
レネが泣いている。もう俺にはそれ以外のことはわからない。どうにかしなくてはと思ったが、どうすればいいかはわからなかった。
なにが起きているのか、理解したくはなかった。
――そのときだった。空から降る何かがあった。
「ずいぶんと面白いことになっているのね……」
六つ、こちらを囲うように、等間隔に、金属の柱が空から突き立てらていた。
その柱のうち一つ、前方にあったそれに座り、こちらを見下ろす少女が一人。
「あぁ、だれかと思いましたが、なるほど……。あなたが、わたくしの夫を、そそのかしたのですね?」
「夫……? まあ、いいけど……。ごめんなさい? 武器を調達していたの。……遅くなったわ」