69.力は世界のどこでも変わらず
再開します
救世主は、罪過を贖い死んだという。
人は生まれながらに、罪を背負うと誰かが言った。生きている限り、誰かに迷惑をかけ、ときには傷つけ、あるいは競争で蹴落とし追い詰めるかもしれない。
それらを罪と呼ぶならば、罪なくして、人は生きることができないだろう。
救世主は、その贖いが認められ、蘇ったと伝わっている。
全ての人を救うために、みんなの罪を一身に抱え込んだそうだった。本当なら自分のものではない罪さえ受け止めたのだ。それは悲しいことだと私は思う。
だからこそ、復活は皆にとっての救いなのだと、私は勝手に思っておく。
それは彼についても同じことだ。
辻褄が合わないと、ことあるごとに彼は口にしていたが、私にとっても彼の死はそう思えた。
だからこそ、またこれも、私にとっての救いだった。
***
力、について考えたことはあるだろうか。
物を触れるのも、なにかを見ることができるのも、あるいは思考をすることさえ、物理学的な力が働くことによる産物だった。
力、とはなんだろうか。
まず、俺たちがものに触れられたり、動かせたりするのは原子から発せられる電磁気力という力のおかけだ。俺たちが大きく影響を受け、感じている力のほとんどが電磁気力と言っても過言ではないだろう。
そして、俺たちが良く知る力のうち、もう一つ、常日頃から感じているのは重力だ。
重力は、電磁気力と比べたら、果てしなく弱い力とよく言われる。
例えばそうだ。
地面に鉄製の釘が置いてあるとしよう。俺は手に小指の先ほどの小さな磁石をもっているとして、それでさえその釘を引き付けて、持ち上げることができてしまう。釘は、地球ほどの大きな物質に重力で反対に引かれているにも関わらず、だ。
これは、重力が電磁気力よりも果てしなく弱い力である証左に他ならない。
重力と、電磁気力以外には、核の現象に関わる力が存在するが、これはなかなか身近ではない。
核力に関して言えば、その力に関わる粒子が、まるで植物学のように――とはいささか言い過ぎであるが、それらを基本的な素粒子と考えた場合、あまりにも多く発見されすぎたため、当時の学者たちを大きく悩ませることになったりもした。
ただそれは素粒子ではなく、素粒子の組み合わせにより、バリエーション豊かに作られた粒子たちだと後に判明したというのが、この話の意外性のないオチだった。
核力、さらには電磁気も含めて、力は粒子の交換により起こっているとよく言われる。力を媒介とする粒子が存在し、相互作用を起こしているのだ。
あるいは、重力もそんな粒子の交換によるものであるはずなのだが、時空の歪みにより起こる力だと、一般相対性理論による解釈ならば、そうなるだろう。
力、というのは、身近ではあるものだが、そこには身近であるからこそなのだろうか、その正体を掴もうとすれば、自然界の法則の深淵を覗き込まなければならないのだ。
力についてを本質的に理解することは、この宇宙の理を、その手でじかに触れることだと言えるのかもしれない。
この広い宇宙で、どこにいても、なにをしていても、法則の見え方は不変だ。数式は、いついかなる時も揺らがない。
あぁ、たとえ一人孤独でも、手を伸ばせばそこには変わらない法則と宇宙がある。
俺はどこにいるのだろうと、思った。
「じゃあ、会合を始めようか」
茶会に集まったような気軽さで、彼女たちの話し合いははじまっていた。
彼女たちは、一つの卓を囲んでそれぞれ座っている。
ガブリエルだ。声の出どころ、そして視界から、ガブリエルに俺の意識が重なっているように思える。
「また、ウリエルは欠席かしら……? 一体、あの子はいつまで燃え尽きているつもり? 心配だわぁ」
「今日に関しては、ラミエルのヤツも休みだろう。もっとも、あいつは色恋にうつつを抜かして、とうぶん仕事をしないつもりだがな……」
「あらぁ? ラファエルは張り合いがないのかしら? いつも、とても仲が良さそうにしているから……ぁ。ラミエルは、ずっと休みなしで働いていた頑張り屋さんだったから、ちょっとくらい許してあげましょうよ。ね、ラファエル」
「あんなストーカーのことなんて知らないさ……」
ラファエル。確かラファエルは、ラミエルとサマエルと戦って、消滅したはずだったが、五体満足に動いている。
なんらかの仕掛けがあったのか、そんな無事な彼女を見て、俺は安堵を覚えた。




