63.事象の地平面
やっているのは電磁気学だった。
「この電磁気の四式に、相対速度の変換をやってみるんだ」
「ほう……?」
俺の膝の上に座る彼女は、筆を動かして式に変形を加えていく。
「どうだ?」
「……おかしいのぅ……。さっきと、かたちが変わっておる。今まではこんなことはなかったはずじゃ……」
今まで、やってきた力学では、相対速度の変換をおこなっても、式の形が変わることは決してなかった。
「式の形が変わるってことは、どこかに基準となる速度があって、そこからの観測者の速度の違いによっては物理法則の見え方が違ってくるってことだ」
「それは……おかしくはないか……?」
「ふふ、そうだな。これを解決する方法の一つは、光速度を無限大に持っていって、この電磁気の法則をぶち壊し、なかったことにすることだ。簡単だろ?」
「ふざけておるのか?」
現実に、光速度は無限ではなく有限の値をとる。人はこの忌々しい有限の光速度に囚われて生きているのだ。
「あぁ、だからこそ、変換に補正を加える。時間という概念を相対的なものへと変える。特殊相対性理論だ」
特殊相対性理論的な変換をおこなえば、式の形は変わらない。
実際にやってみせる。
「な……っ、それは……っ」
「そうだな。いままでやってきた自然法則は、光速度が無限の速度でなければ成り立たないものだったんだ。だから、力学の法則も、あわせて変える必要があるな……」
そうやって、新しく修正されていく法則を並べていく。
ここからは、特殊相対論について、詳しくやっていくこととなった。
特殊相対論的な記法に、新しい時空の解釈を、一週間をかけて学ばせていく。
「ふふん。これが噂に聞く相対性理論か……。実際にやってみれば、他愛もないものじゃった」
「まだ一般が残ってるが……まだいいか。それじゃあ、次は……いや、その前に虚数について、やっておこう」
「む……虚数なら知っておるぞ? 二つかけたらマイナスになるんじゃろ?」
「虚数自体についてもそうだが、虚数の積分の扱いについてもやらなきゃならないんだ……一応な……」
虚数について、ざっくりとやって終わらせる。
それほど深入りはせず、一日でできるところまでやっておいた。
「して、今になって、なぜ虚数じゃ?」
「光について、やっただろう? 光は電磁波だって……」
「ん? そうじゃな。波動方程式も導いた……」
「あぁ、光は波だった。けれどもその光にも、運動量がなければ、粒子的に振る舞わなければ辻褄が合わないことがわかったんだ」
そうして、量子力学へと入っていく。飛び飛びな値を持つ量子的なふるまい、確率解釈、さらには量子力学での基本的な波動方程式の解き方、不確定性定理など、時間をかけでじっくりとやっていく。
さらには統計力学もおこない、一ヶ月ほどの時間が経った。
「スピン……やはり、角運動量を持つなら回っておるじゃろ?」
「いや、何回も言うが、回ってないんだ」
「じゃ、じゃが……角運動量じゃぞ!」
「回ってない、スピンしてるんだ」
「やはり、納得いかぬ……」
スピンについて、彼女は気に食わないようで、スピンが出てくるたびにこうして同じことを訊いてくる。
スピン自体、実際に回転をしていたと過程するなら、その回転の速度は光速度を超えているだろう。運動が光速度を超えられないということを、彼女は理解しているはずだった。
「一旦、量子力学から離れよう。重力……重力について考えようか……。力の中で極めて特殊だ。たとえば箱の中にいるとき、下に引っ張る力が重力か、それとも、慣性力かは判断がつかない」
慣性力は、観測者自身が運動を行うことにより、働いている気がする力だ。座標系を上手くとってやると、なかったことにできる。
遠心力や、コリオリ力なんかもその仲間だ。
「む……たしかに、重力を働かせる質量と、運動にかかる慣性の質量は同じじゃものな……」
「だからこそ、重力は時空の歪み、そう考えて記述することができる。一般相対性理論だな」
一般相対性理論の考え方から、新しい概念である測地線方程式の取り扱いを説明していく。
「む、これは、重力が強すぎて、光でも戻って来れぬ……」
「ブラックホールだな。こんなふうに時空図を書いてやることもできる」
数式をもとにした図だ。
「なんじゃ? ホワイトホール?」
「あぁ、数学的に求められる結果だな。ブラックホールが事象の地平面を境に中に入ることしかできないなら、ホワイトホールは事象の地平面を境に外に出ることしかできない」
ブラックホールを、ちょうど時間反転してやれば、ホワイトホールになる。
時間反転をしようと、起こる現象は同じという場合が多いが、これはどうにも違う様子だ。
「いや、じゃが、時間反転をせども、重力は同じはずじゃろう? 内側に引っ張ってるのに、外に出ることしかできぬとは……なかなかに面妖じゃ……」
さらに、一般相対論的な座標の取り方を説明して、時空の歪みからは、一度離れることになる。
ここからが本番と言ってもいいだろう。




