61.一歩ずつ
次の日は関数について……代数の話だった。
「こう、突然エックスとか、ワイとか、そういう文字が出てきて困るかもしれないけど、文字なんて飾りだよ。三角とか、四角とか、ハートとかでもいいんだ」
「む……」
「この記号には好きな数字を当てはめられるんだ。たとえば、好きな数を言ってみるんだ」
「三」
「じゃあ、こっちの記号は二だな。次の数を言ってみてくれ」
「七」
「じゃあ、六だ」
「一が引かれておるのか」
「その場合、二つの記号を等式として繋ぐとこうなる」
そうして、関数を書いてみせる。
簡単な一次関数の出来上がりだ。
「それで、これがなんの役に立つんじゃ?」
「そうだな。こんなふうに、車が走ってるとするだろ? グラフを書こうか」
「む?」
「スケールは、縦軸が百キロメートル、横軸が一時間だ。さっきの関数をこのグラフに書いてみたら、こうなる」
二時間後に百キロメートル、三時間後に二百キロメートルと、簡単なグラフが書ける。
「これは……」
「何時間後に車がどの位置にいるかのグラフだ。わかるだろう……?」
「時速百キロメートルということじゃな……」
「賢いな……」
「そうじゃろう?」
自慢げにウリエルは頷いていた。
速度という概念を既に見つけ出しているのだから、これは彼女を褒めるしかない。
そこから、二次関数の性質や、三次関数……三角関数や、指数関数、対数関数の基礎的な性質も徹底的にウリエルに叩き込んで、三日が経った。
「意外といけるものだな……」
「サイン……コサイン……。くるくる……じゃ。くるくるー」
定義から教え込んだために、三角関数も自由自在に扱っていた。
一度教えたら忘れないからか、アンドロイドの学習能力は目を見張るものがある。
「じゃあ次は、この関数の速度を求めてみようか……」
二次関数をウリエルに渡す。横軸は時間で、縦軸は距離だ。
「うにゃ?」
ウリエルは、首を傾げた。
「わからないか?」
「速度……じゃろ? 二点をとって、その傾き……じゃが、二点を取るとその間が曲がっておる……正確な速度は……」
「あぁ、だから、極限をとるんだ。こんなふうにな」
少しずらした関数から、ずらす前の関数を引く。そしてずらした分の値で割って、最後にずらした文字をゼロの極限へと近づけていく。
「お、おお! これが……」
「これが、微分だよ。そしてこれが、この距離の関数に対応する速度の関数になる」
ようやくといったところだが、微分へとたどり着けた。着実に、俺たちの目指す場所へと近づいていっているだろう。
「ところで、極限ってなんじゃ?」
「そういえば、まだ話してなかったな……」
極限について一通りと、あとはいろいろな関数についての微分をやって、一週間が経った。
微分を手に馴染ませるために、いろいろな問題をやってみたというのが大きい。
「これで微分は完璧じゃな……」
「なぁ、この関数……零から一まででいいか。下の部分の面積を求めてみたくならないか?」
「唐突になんじゃ?」
また、次のステップへと進んでいく。
「一次関数の場合、下の部分は三角形だろ? 簡単に求まる」
「そうじゃな。二分の一じゃ」
「二次関数の場合、下の部分はわからないか?」
「……わかるわけないじゃろう。こんなふうに曲がっておるのじゃから……」
普通はそう考えるだろう。
「正四角錐の体積の求め方はわかるか?」
「底面かける高さ割る三じゃ!」
「よく知ってるな……。これ自体は、幾何学的に証明できる公式だろ? じゃ、てっぺんの頂点から、横にスライスしたときの面積を順にグラフに書いていくとどうなる?」
「そりゃ……二次関数じゃな」
「一次関数の場合は、下の部分が三角形だっただろ? 二次関数の場合、下の部分は三角錐だ」
「三分の一……?」
「そうなる。それで、直感でいい。三次関数の場合、下の部分の面積はどうなる?」
「四分の一……」
その直感は当たっている。
そうして、順に、関数と、それに対応する面積の関数を並べてみる。
ただ、分数が現れないよう、全体に分母の数をかけて少しだけ手を加える。
「なにか、気が付かないか?」
「逆にすると、微分?」
「ふふ、そうだぞ? やったな! 中世に生まれていれば大数学家だ!」
「わ、わーい! わらわすごいのじゃ」
テンションを俺に合わせて、ウリエルは無理に盛り上がってみせた。
というか、ここまで休みなしで通い詰めて、少しウリエルはおかしくなっているような気がしてならない。
そこから、微分と積分の関係について、簡単な……あまり厳密ではない証明をやってみせて、積分の性質、さらには積分の典型的な解き方なんかも教えてみせる。
だいたいこれに一週間くらいかかった。
「微分積分、これが大きなパラダイムシフトだったんだ。これから俺たちは、自然法則を……自然の形を数式で書き表していくことができる」
「……っ!? 自然法則を数式で……? 書けるのか?」
「手始めに、力学から始めようか」
運動の三つの基本法則から始まり、そこから、微分積分を駆使して別の法則も導出していく。
あとは大して問題ではなかった。
力学から、解析力学的な手法に、熱力学、電磁気学と、古典的な物理学を進めていく。
「やはり、自然の法則はどの速度から見ても同じなのじゃな……」
「そうだな、そうなる。……けっこう話したが、時間はまだ大丈夫か?」
「うむ。わらわはもうここに泊まり込むことにしたのじゃ。だから、もっと話せばよい」
「そうなのか……?」
泊まり込んでなんて、とても彼女は熱心だった。
ここまで、一日たりとも休みはない。そんなハードさにも関わらず、彼女は嫌な顔を一つも見せなかった。
「遠慮せず、次に進むのじゃ……」
「いや、少し休もう」
「なんじゃ? わらわはまだまだいけるぞ?」
「俺が疲れた」
「軟弱者め……。じゃが、しかたがないの……」
そんな悪態をついたが、それでも彼女は俺に休みをくれるようだった。




