58.一緒なら
「逃げよう。私と一緒に! あぁ、ボクとキミならなんだってできるだろう」
はにかんで、彼女は言う。
いつもいつも、作りもののような笑顔を貼り付けていた彼女だったが、いつになく自然な笑みを彼女は俺に見せていた。
「いや、今までは一緒だったが、ここからはお前一人だ」
そんな彼女に、真剣に俺は伝える。
少し、うろたえ、動揺したように、俺の表情を窺っていた。
「どうしてだい? ボクはキミとならって……うん、豪華な暮らしの必要なんかない! 服も……こんな綺麗なドレスなんかじゃなくてもよくて! 食事も、高級な料理なんかじゃなくていい! 狭いアパートで二人ぐらしでも! ボクはキミとなら幸せだって……!」
「俺なんかいなくたって、お前は、一人でなんだってできるよ」
さる企業の代表の娘の彼女は、道具として育てられた。
彼女に期待されたことは、人間を超える知性として、結婚相手の完璧なサポートをして、さらには生体パーツの遺伝子を絶やさせないこと。
今、俺が働いている彼女の会社は、結婚相手への貢ぎ物だと、自嘲して、彼女は言っていた。
「だ……だって、私一人じゃ、ずっと苦しくて……。息ができないくらい……自由が、……そう、自由がなかった」
「自由なら、あったさ。ないと思い込んでいただけだろう? それに、逃げる必要なんてないんじゃないか? 恐れるものなんてないくらいに、お前は強いよ」
その強さは、とても眩しい。
ずっとだ。河原で彼女に拾われたときから、その強さに俺は憧れていた。
「私が……強い……? 父様に怯えて、言われたとおりに従うしかない私が……?」
「もう、今は違うだろう。この会社だって一年で前よりずっと成長した」
「それはキミの力のおかげさ。キミとボクなら、世界の全てだって手に入れられるって、ボクは思ってる。いや、確信してる。そう、そうなんだ。キミとなら、なにも怖くないんだって……」
すがるように、俺の目を見つめている彼女だった。
「俺は行くよ。ここでのことは、間違いだったから」
「間違い? キミは人類の全てが救われることを望んでいたんじゃないのかい?」
「あぁ、そうだよ。でも……どんなに報われなくとも、きっと死後には救いが待っている。……そんなのは違う。本当は、生きているうちに救われなくちゃダメだ」
それに、鋭い彼女に言われてしまったんだ。
――もし、救われるとしても、俺は最後でいい。
――ふふ、最後でもいいから救われたいって、キミは思っているんだね。
この『魂の不死化計画』は、生きているうちに救われることを諦めた、俺への慰めでしかなかったんだ。
こんなものは間違いとしか言うことができない。
だから、彼女に背を向けて、俺はもう行こうとする。
「ふふ、キミが抜けたら出資元からなんと言われるかな……。大天才様のネームバリューもあるからね」
彼女の会社を育てるための戦略によって、メディアへの露出もあり、俺も少しだけ有名になったのだった。
「会社のことはよくわからないけど、お前ならなんとかできるだろ」
「全く、無茶を言うね……」
振り返った。
やれやれと、彼女は肩をすくめる。けれどもそれはいつもの彼女で、切羽詰まった様子はなかった。
そんな彼女に、俺は言う。
運命とも言えるような、彼女との出会いを振り返りながら。
「お前は、全てを手に入れるんだ」
「そしてキミは、全てを救う」
そういう約束だった。
二人でそんな約束をして、互いの大きすぎる願いを叶えるために、彼女とは共に歩んだ。
手助けが必要だった、あのときの彼女は、もうここにはいないだろう。
「じゃあな……」
それだけを最後に告げて、俺は歩く。
「あーあ。私、振られちゃったよ……」
寂しそうな、そんな声が、俺の胸には残ってしまった。
***
今までなにをしていた。
確か、恒星ウリエリで、ウリエルと戦って、俺は救難艇で事象の地平面の中に落ちたはずだ。
とても古い、そしてあるはずのない記憶。それが、思い出のように頭の中に呼び起こされ、また、消えていく。
けれど、そのときの想いも、消えてしまうわけではない。彼女たちへの懐かしい愛着が、胸の内を満たしていた。
「ここは……?」
体が動かない……。
いや、動かせないと言った方が正しいのかもしれない。
この体は、きっと今の俺のものではない。
そして、目覚めたばかりのこのときの俺が手を動かそうとすれば、ジャラリと金属の擦れるような音がする。手錠のようなもので拘束をされている。足は縛られていた。
見渡せば、みたことのない部屋だった。
「ふふ、ようやく目覚めたかのぅ」
甲高い声が耳に入る。
「……お前は……?」
女性だろう。
どこかの国の民族衣装を着崩したように纏った赤毛の女だった。
大きくはだけて、肩、そして胸もとまであらわになってしまっている。
笑みを隠すように彼女は、手に持った扇のようなもので口もとを覆っていた。
「わらわの名はウリエル! 驕り高ぶる人間どもに、裁きの鉄槌を下す者なり!」




