57.愛し合えても……
軽く口づけを交す。それから、しばらく優しく彼女の身体を撫でて、眠るのを待つ。
満足そうな彼女の表情を見れば、今日もうまくいったとわかる。
もし、どこか失敗をしていれば、機嫌の悪いままの彼女と明日一日を過ごさなくてはいけないが、それはなんとか避けられるようだ。
「あ、そうだ。オマエには言っておかなきゃならないことがあったぞ」
「……? どうした?」
少しだけ改まったようにして、彼女は切り出す。
俺はそんな彼女を変わらずに撫で続ける。
彼女の寝顔を見届けた後、シャワーへと行くのが日課となっていたが、それはお預けだろう。
「ワタシ、今のプロジェクトが終わったら、研究を辞めようと思うんだ」
「え……?」
動揺で、固まる。
まるで予想外な彼女の言葉に、頭がついていかなかった。
「ふふん、このまま続けても、ワタシはあまり役に立てないだろうしな。潮時というやつさ」
たしかに学術研究には、向き不向きがある。成果を出せずに挫折し、辞めて行く人間は何人も見てきた。
けれど、どうして彼女がそんな考えになったのか、俺は理解できずにいた。
「わからない。お前は続けるべきだと思う」
「はは、冗談はよせ。オマエはワタシが一生をかけて解くことを覚悟していた、あの未解決問題を一瞬で解いてみせたんだ。ワタシはアンドロイドだぞ? そういうのは、得意なはずだったんだけどな……。本当に人間か?」
「……あれはお前が解きかけだったからだ。お前の力がなきゃ、ああもアッサリとはいかなかった……」
彼女の柔軟な発想があったからこそ、解けた問題だ。大したことを俺はしていない。
「あの日のことは、一生忘れてやれないな」
その言葉のままに、彼女は抱きついてくる。
そうだった。
彼女と初めて関係を持ったのも、あの日だった。大泣きをする彼女をどうにか慰めようとして、俺は失敗をした。
彼女は、軽はずみだった自身を恥じてか、一夜の過ちということにしようと提案し、それで終わった。そう思った。
だが、次の日に、目の色を変えた彼女からの誘いで、俺たちは今の関係になった。
過程はどうあれ、弱った相手につけ込むような形になってしまった負い目から、俺はどうしようもなく、彼女の望むままになってしまっている。
「……やめて、その後どうするんだ? どこかの企業にでも行くのか?」
彼女くらいの実力があれば、引く手数多だろう。辞めてしまうなんて、本当にもったいないと思う。
「ん? いや、どこにも行かないさ。結婚でもして、旦那の世話をして、子育てもして、穏やかに暮らそうと思う」
「お金は……どうする?」
「いや、特許があるだろう? ワタシのやつがな。ライセンス料が入ってくるだろうし、まぁ、後十数年で切れるだろうが、それでも、普通の人間が一生で稼ぐくらいは超えるだろう。問題はないさ」
彼女の人生だ。
本来なら、彼女の自由でいい。
だけど、たぶん、俺のことを考えて、彼女はそんな選択を取ろうとしているのだ。それが我慢ならなかった。
「いや、そこまでしてくれる必要はないだろ。俺は大丈夫だ。一人でだって生きていけるよ」
「冗談はよせ? 放っておいたら数日も何も食べずに過ごすやつが、一人で生きいけるだって? ハハッ、絶対に早死にするだろう?」
「それは……っ! 空腹を感じないんだ。集中したら、時間感覚も曖昧になる。仕方がない……」
「仕方がないわけあるか? それに、味もわからないときた。ワタシが丹精込めて作った料理も、オマエにとっては泥水とさして変わらないのだから、困ったものだ」
「すまない……」
「本当に困ったものだ。その傑出した才能の代償とでも言えばいいか……。はぁ、まったく……」
「…………」
昔は、こうではなかった。
お腹も空いたし、味覚もあった。いつからか、気がついたら、本当に気がついたらなくなってしまっていたのだ。
空腹は、なんとなくそんな気はしていたが、味覚に関しては指摘されるまでわからなかったくらいだ。食べ物の味を気にする習慣がなかったからだろう。
「なんにせよ、これからワタシは旦那様のために尽くすさ……」
「…………」
そんなふうな役割に、彼女を縛り付けてしまうことを、俺はいいとは思えなかった。
「ふふ、現実の真面目な話をしたからか、余韻が覚めてしまったなぁ……」
「あぁ、そうだな」
彼女の望むままに、口づけを交す。
なんとなく、流されるままにこうして彼女との関係を続けているけれど、このままではダメだった。
俺の存在が、彼女の足枷になってしまっている。
こんな心地のよい生活を、続けているべきではなかった。
彼女という人類の資産を無駄にするなら、俺はここにいない方がいい。
「俺は、今がとても幸せだと思うんだ。ずっと続けばいいって」
「……? 私もだぞ……?」
俺の願いは決して叶えるべきではないとわかっている。
明日にでも、ここを出ようと心に決めて、だからこそ、今だけはと、彼女のことを――、




