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56.いつかの誰かの


「よかったのかい?」


「当たり前だ……。それにしても、この救難艇……エネルギーを移すこともできない。内部に人がいなければ、射出されない。本当によくできてるよ……」


「皮肉が効いているね。まぁ、今みたいに使うことは想定されていないからね」


 背後を振り返れば、こちらの進行方向とは真逆に進む宇宙船が見えるだろう。

 ロケットの分裂問題、とでも言えばいいか。……救難艇が発進したぶん、宇宙船は前へ進める。ほんの僅かに脱出に足りなかった分を、それで補ったというわけだ。


「何かを変えるには、自分もまた変わらなければならない――( )って、ことさ」


「運動の第三法則……作用反作用の法則かい? 本当にキミは、そういうのが好きだね……」


「ともかくだ。このまま重力特異点に真っ逆さまだな」


「うん、そうだね」


 このままでは危険だと、ガブリエルへの俺なりの警告だった。


「この救難艇内じゃ、時空制御が働いている。たとえば潮汐力の影響でスパゲッティになるようなことはないけど、イベントホライズンの中に入れば変わらないぞ?」


 潮汐力――。

 重力の強さは、基本的に対象間の距離の逆の二乗に比例する。つまり、近づけば近づくほど強くなる力であるわけだが、足下から対象に近づいた際、足に働く重力と、頭に働く重力との大きさに違いがあるのは明白だろう。

 これによって起こる現象に対して、潮汐力が働いているとよく言われる。


 なんの用意もなく重力特異点近傍に近づいたのでは、この潮汐力が大きく働き、引きちぎられてしまっただろう。


「ふふ、まぁ、事象の地平面を超えない限りは、『スピリチュアル・キーパー』で確保は可能さ。キミも一緒に連れて行こうか……? 今度こそ……」


「遠慮しておく」


 ガブリエルの提案には、乗れなかった。

 彼女と一緒に行ってしまえば、今度こそ後戻りはできないような、そんな気がした。


「そう言うと思った。じゃあボクも逃げないさ」


「……どうしてだ?」


「まぁ、惚れた弱みかな。地獄の果て……というのは、ボクらにしてみれば宗教的かな……。時空の果てを見届けに、お供させてもらおうか」


「後悔してもしらないぞ?」


「そんなふうにして、キミが慌てないってことは、手があるのだろう? でなければ、ボクのことをどんな方法を使ってでも止めるはずだからね……ぇ。絶対に、ボクのことを生かしてみせろよ?」


 彼女は言った。

 まるで彼女には、俺の考えることがお見通しのようだった。彼女には、どうやら敵わないか。


「できるだけ、やってみるさ。その代わり、少しは手を貸せ……! ガブリエル」


「あぁっ、もちろんだとも……っ! キミが万全を尽くせるよう、環境を整えるのが、ボクの仕事でもあるからね」


 事象の地平面……その強大な重力により、光でも脱出不能の境界面。

 後戻りは、決してできない。


 俺たちは、沈んで。先へ、先へ――、




 ***




「……あぁ」


 涙を流していた。俺は何故か、泣いていたんだ。どうして泣いていたかは、もう忘れてしまった。


「大丈夫ですか……?」


 彼女は親しげに、優しく俺に声をかける。それがとても心に沁みた。沁みるように痛かった。


「あぁ、思い出した。ずっと忘れていた。いや、忘れたふりをしていたんだ。……そうだった……俺は、幸せになりたかったんだ……。結婚して、子どもがいて、家族のみんなが笑っていてくれるような、そんな幸せがほしかった」


「…………」


「でも、そんな子どもの頃からの夢は現実味がなかった。それは、手の届かない彼方に浮かぶ星のようだった」


 どうして、こんなことを語ってしまったのか、そんなこともわからなくなるくらい、とても古い記憶なのだろう。


「で……ですけれど……っ! いまのあなたにはわたくしがいます。そんなふうに、言わないでください……!」


 手を取って、彼女は言った。

 彼女に優しくされるたびに、俺の心は傷ついていく。返せるものが何もなかった。


「いや、忘れてくれ……少し、俺はおかしかった……」


「いいえ、なかったことにはしません。結婚しましょう、今、すぐっ……そうすれば、きっと、あなたも……」


「……俺のような人間は生きていちゃいけない。生きていていい理由がない……」


「…………」


 死、とは、ありふれている。数をかぞえるたびに誰かがどこかで死んでいるのだ。

 俺は、誰一人として救えていない。


「罪ばかり重ねてきた俺は、苦しんで死ななきゃならない。そんなふうに幸せになれないんだ。もし、それができるとしたら……生まれ変わったら、もしも、生まれ変わりなんてものがあったときには、そのときこそ、俺は……後悔のないよう……」


「……っ!?」


「あぁ、次はきっと、上手くやれる……」


 彼女は、迷っているように見えた。

 かけるべき言葉を必死で探してくれているようで、それがとても申し訳ない。


「わかり、ました……。生まれ変わったら、もしも生まれ変わったら……その時は、わたくしがあなたを見つけます。絶対に見つけます。必ずあなたを見つけてみせます。だから、その時は……その時こそ……ちゃんと結婚をしましょう」


「あぁ、約束だ」


「はい、約束です」


 生まれ変わりなんて、そんな非科学的なことは信じていなかった。なぜそんなことを言ってしまったのか、たしかその前に彼女と一緒に見た映画の影響だったと思う。


 絶対に叶わないことだとわかっていたから、そんな約束ができてしまった。

 心の底では、それが本当に叶えばいいと、もしかしたら思っていたのかもしれない。とても遠く、それももうわからないことだった。

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script?guid=on 一気読みするなら ハーメルンの縦書きPDF がおすすめです。ハーメルンでもR15ですが、小説家になろうより制限が少しゆる目なので、描写に若干の差異がありますが、ご容赦ください。
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