5.天上
レネの誘拐はあっさりと済んだ。外敵の登場により、この街は非常事態にさらされていたからだ。レネは仕事場の控え室での待機を余儀なくされ、身動きの取れない状態だった。
ドローンは完全に殲滅され、俺たちを邪魔をするものはいない。レネの仕事場を襲撃して、混乱に乗じて拐ってきたというのが、ことの顛末だった。
「作戦の概要を説明するわ」
「あぁ」
そして作戦会議は上空、この街で一番高い塔の真上で行われていた。
今は少し落ち着ける。擬似障壁――障壁は光を鏡のように反射し、下から覗かれるようなことはない――の上に立ち、重力を取り戻したからだ。
「この塔の頂上から半径二十メートルには、強力な対時空歪曲結界が展開されているわ」
アニメでは、この少女は、一度、塔に挑んでやられている。この結界が原因だった。
時空歪曲兵器である『天使の白翼』を使えない彼女は、言わずと知れたポンコツである。塔の頂上にあるリアクターを解除し損ね、バランスを崩して転落した。
転落しながら、彼女は結界から外に出たことを確認して、『天使の白翼』を展開し、ことなきを得る。そして降り立った地上に居たのが、最愛の人の墓の前で嘆き悲しむ主人公だった。
「どうやって、リアクターを奪うつもりだ?」
「まず、下から、貴方を投げ飛ばす。そして私が外壁を吹き飛ばすから、その穴からアナタは侵入して? リアクター奪取の手順は……まあ、これがあれば可能よ?」
彼女が見せるのは、メモリーカードだった。アニメではこれを、リアクターの制御装置にスキャンして取り外していた。
最愛の人が死に、自暴自棄になった主人公は、有無を言わずにこの作戦に加わっていたんだ。
躊躇いもせず、彼女はそのメモリーカードを俺に渡した。
「無茶苦茶だな……」
「リアクターの位置は特定済み。そこ目掛けて投げ飛ばすから、アナタは隣の装置にこのカードを読み込ませるだけでいい。予備電力はあるけれど、リアクターほどの出力はない。リアクターさえ取り外せれば、私の時空歪曲兵器が使えるから、あとはどうにでもなるわ!」
「そうか……」
あのリアクターの規格外なエネルギーさえなければ、彼女の『天使の白翼』で結界は押し切れる。俺の見たアニメでもそうだった。
「少し待って……!! なんでラル兄がそんなことをしないといけないの!? ねぇ、こんな女のことは放っておいて、帰ろうよ? 私は今のままでも幸せだった! ラル兄がこんなことする必要なんてないのに……ぃ!?」
ここまで、なにも言わずについて来てくれたレネだったが、感情をあらわに俺のことを止めようとしてくれていた。
わかっている。レネにとっては、なぜ俺が必死になっているかは理解できないことだろう。自分の家族が非合法な行為に加担するとなって止めないのは、彼女でない。
「ねぇ、協力者じゃなかったの?」
白い光を操る少女は、俺の家族へと銃を向けた。
今は擬似障壁が展開されている。『天使の白翼』を起動している以上、その銃は脅しでは済まない。いつものポンコツとは違い、今の彼女はどんな悪環境でも、その弾丸を決して外したりはしない。
「レネは俺の身を案じているだけだ。協力しないとは言っていない。そうだろ? レネ」
「……ラル兄の、バカ……」
話を合わせてくれることを期待したが、レネはそっぽを向いた。
俺が危険を冒すのは、このままではレネが死んでしまうと予感しているから。レネにしてみれば、自分が死ぬとは思いもよらない。だから俺の行動の理由がわからない。この反応は当然だった。
「まあ、いいわ。なにはともあれ、邪魔をしないならいい。私はアナタが敵に近寄られないように遠距離から援護し続ける。私が直接いくより、そっちの方が成功率が高いの。さあ、始めるわよ?」
言うや否や、足もとの擬似障壁が消える。落下が始まった。
空気抵抗を肌で感じる。
擬似障壁が展開されていたその下は、もう対時空歪曲結界の中。この結界は半径二十メートル。ほとんど塔に沿って落ちて行くから、約四十メートルの自由落下となる。
だが敵も時空歪曲兵器を使えないこの隙を見逃さない。今まで隠されていたドローンが塔から湧き、聖域を侵す背信者たちを除かんとす。
「あはは!」
空からは大質量の鉄屑が降る。
時間差攻撃。『天使の白翼』を起動した状態の彼女の演算能力をもって、ドローンの軌道を予測。こちらに刃を向けた敵の全てを撲滅する。
「すさまじいな……」
この四十メートルの自由落下は、いわば囮。結界を抜けて、『天使の白翼』が再び起動。
「さあ!!」
彼女の掌に、足を乗せる。白光が強さを増す。
目標は塔の頂上、二十メートル、そこを目掛けての鉛直投げ上げ。再び結界の中に侵入する。
地球の重力が約九・八メートル毎々秒。二十メートル上昇した地点で速度をゼロとする投げ上げならば、空気抵抗を無視して、かかる秒数は約二秒。
わずかな間だ。
最初の四十メートルの落下の時に掃討されたからか、俺を狙うドローンはなかった。
ふと、下から何かが俺を追い越して行く。俺以上の大きさだった。
その何かは速度を保ったままに塔の外壁にぶつかり、大地を揺るがすほどの音を衝撃と共に響かせる。
この塔は並大抵の攻撃では壊れない強度の外壁を纏っていた。もしテロリストが大型の飛行機をぶつけたとしても無傷なほどだ。
だが、今は最上階の外壁が抉り取られている。そればかりか、その外壁ごと天井までが吹き飛ばされているのだ。彼女の『天使の白翼』の脅威度が窺い知れる。
そして、俺は辿り着いた。
着地し、床を転がる。勢いを殺して、ようやく無様に立ち上がった。外壁が破壊された際の爆音で、平衡感覚が危ういが、俺は無傷で目的地にいる。
彼女の演算能力が恐ろしかった。
外壁が壊れ、落ちてきた瓦礫にも当たらなかった。そうなるように俺は投げ上げられ、こうして何事もなく目的地へと至ったのだ。
こうしてはいられない。
彼女の援護があるとはいえ、不測の事態が起こらないとも限らない。
吹き飛ばされたせいで、天上はなく雨ざらしだ。俺の知識ではこの最上階にトラップの類いはなかった。
歩を進め、リアクターへと近づいて行く。