35.業績
新暦0年――重力場における光子の振る舞いに対する考察。
新暦元年――対称性と磁気単極子の相転移理論。
新暦2年――エントロピーの限定的減少と範囲の拡張に関する理論。
新暦4年――ポテンシャルに対する質量減損とNi以降の原子番号の原子核の結合の機序に対する考察。修正一般相対性理論。
新暦5年――万物の理論。
それからも、目が眩むような業績が続いていく。
本当に、一人の人物によって打ち立てられたものかと疑うほどに、いくつもの分野を横断していて、ある意味で節操がないとも感じられてしまうものだった。
「どうだい? 彼は」
「正直、信じられない。これだけのことを一人の人間ができるのか?」
「あぁ、信じられない。信じられないけど、それでも彼はやってしまったんだ。驚くことにね……っ。すごいだろう? 特に当時は説の分かれていた重力について記述した理論を一まとめにして、当時、誰も見向きもしなかった数学の理論で全てを一つの綺麗な式で書き表したところなんて、非常に独創的さっ」
その偉大な人物についてを語る彼女は、今までよりも生き生きとしているように感じられる。
「そんなに、好きなのか?」
「好き……っ? あぁ、好きだよ。正直に言えば、ボクは実利ばかりでこういう基礎的な部分はあまり詳しくはないけれど、すごいってことはわかる。偉大な人間は、偉大なほど憧れるだろう? ボクは彼以上に偉大な人間を、知らないからねっ」
「そういうものか……」
ここに並ぶ数々の業績を見てしまえば、それに憧れるというのも納得がいく。こんな人間になれればと、俺もかすかに思ったからこそ、彼女には共感した。
「ふふ、すごいだろう? すごいだろう?」
我がごとのように自慢する彼女だ。気持ちはわからないでもない。
そんな偉業の数々を眺めていたら、少し疑問が浮かんだ。
「なぁ、ここ。毎年毎年……死ぬまでずっとなにか革命的な論文を発表していたように思えるけれど、ここだけ一年、空白がある。なにかあったのか?」
本当に一つだけだ。それ以外は、年表が詰まっているのに、そこだけ一つ、ぽっかりと抜けがあった。
当たり前のはなしだが、毎年、このレベルで革新的な論文を出せること自体が異常なのだから、抜けていること自体は、普通だ。なにもおかしいことではない。
けれども、言い知れない違和感を、そこに俺は覚えてしまう。
「彼は人間さ。人間だからね。そういう年があっても別にいいんじゃないかい? 別に不自然ではないだろう?」
「あぁ、うん、そうだな。そうだ」
彼女の反応から、病気に罹っていたとか、投獄されていたとか、そういう理由でないことがわかった。
ただ単に、時期が合わなかっただけだろう。もしかしたら、ここに載っていないだけで、小さな成果を上げているのかもしれない。
「さて、ここから行こうか?」
文字の書かれた扉だった。これは……磁気単極子に関する論文の題名か。開けて進んでいく。
「『セレスティアル・スプリッター』……」
床一面に磁石が敷き詰められた部屋だった。
わずかに地面から浮いた板がある。
「そうだね……鉄製品はくっ付いちゃうから、ここに置くようにね……と言っても、ボクの用意した服だから、そんなものはないから……。それに最近は磁石にくっ付くような純粋な鉄で出来た製品の方が珍しいかな……」
「鉄……か……」
鉄、というのはありふれていて便利なものであった。
なぜ、鉄が地球で他の金属より多く取れるのかは物理的な理由がある。核融合、あるいは核分裂でエネルギーが生じることはよく知られているが、融合や分裂を繰り返した終着点が鉄となっている。
鉄は基本的に核分裂でも、核融合でもエネルギーを取り出すことができない。全ての元素は鉄に向かって融合や分裂を繰り返していくため、必然的に地球上では鉄がよく取れるようになっているわけだ。
ただ、舗装された道路に磁石が使われるようになってから、合金でない磁石にくっ付くような鉄の製品は、身につけるものを中心に、めっきり減ってしまったのだった。
同時に、科学技術の進歩により、あらゆる金属が鉄並みに安価に手に入るようになったこともあり、変化はより円滑に起こっていた。
「見てくれよ……? この板、ひっくり返してもまだ浮いているんだ」
「そうだな……磁気単極子だもんな……」
きっと、彼女は何度も来たことがあるのだろうに、新鮮で楽しげにしているのが、少しおかしかった。
しまいには、板の上に乗って、扇をあおいで部屋を縦横無尽に移動し始めている。
磁石の効果で浮いているからこそ、地面との摩擦抵抗を受けない。たとえば彼女がやっているようなパタパタと扇ぐわずかなエネルギーでも、運動エネルギーの減損率が少ないおかげで移動が可能だった。
けれども、そうやって必死に団扇であおいで移動している彼女の姿はどこか滑稽だった。
「なんだい? そんなふうに見るなら、キミがやってみるんだ」
「え……?」
こっちまでパタパタとやってきた彼女は、俺にその団扇を渡して、別の場所へと引っぱっていく。
二人で乗った磁力で浮く板は、二人乗り用だからか、彼女が一人で動かしていたものより大きい。質量がある。
「さぁ、行こうか、次の部屋まで」
「え……あ、あぁ」
敵は空気抵抗だった。
それほどの距離ではなかったが、腕にそれなりの疲労が溜まる。歩いた方がきっと楽だっただろう。




