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34.最後の天才


「あ、おはようございます」


 若い少女に見えるか、手に持った端末を眺めながら歩いているようだった。物音から、こちらに気がついたのか、少しだけ、その端末から顔をそらし、俺たちの方を向いて挨拶をした。


「うん、おはよう。マリア……いい朝だね」


「あれ? その男の人は?」


「あぁ、うん。昨日偶然会ったんだよ。うん、偶然ね。記憶がないようだったから、今のところ、ボクがお世話をしているんだ」


「ふーん。偶然……かぁ。お部屋に入れてあげるなんてずいぶん……いや、いいけど……」


 なにかを言いかけて彼女はやめる。

 その後には、手に持った端末にまた、視線を戻していた。


「紹介しよう。彼女はお隣さんのマリアだ」


「あ……あぁ、よろしく」


「うん、よろしくね」


「…………」


 もう彼女は、こちらを見てくれない。

 答えながらも、ずっと視線は端末だった。


「じゃあ、私は用事があるからこれで……」


「そうだね。転ばないように気をつけるんだよ」


「わかってるって……」


 そうして、ずっと端末を見つめながら歩いていく。


 危ないと思った。

 俺の隣の彼女はやれやれと肩を竦める。その態度から、ずっとこの調子なのだろうことがわかる。


「なぁ、どうにかできないのか……?」


「ここは死後の街だからね。あれでも、まぁ、危険はないよ。彼女にも大切なものがあるんだ。未練を残さないようにね。だから、許してやってくれ……」


「未練……か……」


 本当に死後の街だとして、あのマリアという少女は、自分の未練を果たすために、全力で向き合っているのかもしれない。

 端末を見ながら歩くのは危ないが、そんな少女の行動を否定する気には、どうしてかなれなかった。


「それじゃあ、ボクたちも行こうか」


「ああ」


 彼女のお気に入りの場所ということだった。

 それなりに歩いた気がする。

 あのアジサイの咲く道に沿って、歩いて、数十分が経ったくらいのところだと思う。


「ここだよ……?」


「地球科学館……?」


 敷地は広く、大型のテーマパークもかくやというほどの大きさだった。

 いくつかの棟に建物が分かれていて、渡り廊下で繋がれているようであったが、どこか歪んでいるように感じられる。まるで重力が正しく下に働いていないような、そんな構造の部分もあった。


「首都にも、同じものがあったから、たぶんこれはそのコピーだね。ここで立ち止まっていても仕方がないから、さぁ、入ろうか」


「そうだな」


 立派な門を通って、建物に入る。

 入場の受付の場所は無人で、自由に中に入れるようになっていた。本来なら人で溢れていそうなのにも関わらず、誰もいない室内に、虚しさが感じられる。


「どうする? ここからは別れ道だ。道の上に、有名な名前が書かれた札があるだろう? 選んだ道の先では、その人物が解明した現象が体験できる。君はどれを選ぶんだい……?」


「そうだな……」


 見渡せば、それぞれの道に名前の書かれたアーチがある。


 たとえばあそこには、微分積分を発見し、光学に革命を起こし、重力の法則と天体の運動を結びつけ現代に繋がる力学を確立させた偉大な学者の名前がある。

 それ以外では、それまで連続な流体だと思われてきた空気に対してその粒子性を確固たるものとした論文、波動と信じられていた光に粒子性を導入し今まで説明できなかった現象を説明付けた論文、光速度を不変とし時間と空間の相対性を世の中知らしめた論文、質量とエネルギーを等価なものだと考察した論文、これらの論文を同じ年に発表したことによりその年は奇跡の年と呼ばれ、天才と称された学者の名前もあった。


 一通り見たが、どれも見知った偉大な学者の名前ばかりだ。

 俺の記憶は失われているが、暮らすための知識は残っていたし、これもそういう知識の仲間ということになっているのだろう。


「どうしたんだい?」


「いや、この名前が思い出せなくて……」


 だが、ただ一つ、俺の知らない名前があった。どうしても、思い出せない名前だった。


「あぁ、それならボクはよく知っている。AIの知能が人間の知能を超えたと言われる時代に、数多もの分野を横断し、革命的な論文をいくつも発表した()()()()()さ。その業績の数々は画期的で、当時人類が抱えていた問題の九割を解決したと言われている」


「……それはすごいな」


 きっと、俺がそんな人間だったのなら、胸を張って生きられたのだろう。

 実際にどうだったかは記憶がないからわからないが、太陽のもとを堂々と歩けない、そんな生き方をしていたような気がする。そんな不安にどうしても襲われてしまう。


「とりあえず、進んで業績を一つずつ見てみるかい?」


「え……」


「ふふふ、さぁ、行こうじゃないか……!」


「……あっ」


 なぜだか彼女は浮かれてしまっているようにさえ思えてしまう。

 やや押し気味だ。

 彼女に引きずられるようにして、その俺の見知らぬ学者の業績を辿る道へと進んでいた。


 それにしても、不思議だった。

 彼女が言うほどの業績があるにも関わらず、俺が知らないというのは明らかに不自然だった。

 学校の教科書にでも出て来てもいいはずだろう。それとも、忘れてしまっているのだろうか。


 その俺の知らない人物の業績を巡っていく。

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script?guid=on 一気読みするなら ハーメルンの縦書きPDF がおすすめです。ハーメルンでもR15ですが、小説家になろうより制限が少しゆる目なので、描写に若干の差異がありますが、ご容赦ください。
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