33.おいしい朝ご飯
「ん……」
夢を……夢を見ていた気がする。忘れてはいけない夢だったような気もするが、思い出すことができない。
夢というのは、そういうものだ。
「起きたかい? 朝食なら、できているよ?」
そうだった。見知らぬ街で、見知らぬ女性の部屋に閉じ込められて、一晩を過ごしたのだった。
「あぁ……」
まだ起きたばかりで、意識がはっきりとしない。
ただ、寝違えたのか、首筋の痛い。それだけはわかった。
「やっぱり、そんなふうに痛がるなら、無理にでもベッドに連れて行けばよかったかな?」
しきりに俺が痛む首筋を触っていたのを見てだろう、不満げに彼女は言う。
だんだんと頭が働いてきた。昨日のことを思い出せる。どうしてか、彼女は俺を同じベッドに寝たせたがっていたのだった。
「そういうのは良くないだろ」
「でも、結局、ボクと一緒に寝たじゃないか?」
「…………」
思い出した。たしか後ろから抱きつかれて、その後に強烈な眠気に襲われたのだった。
自分のあり得ない失態に後悔し、こわばり、眉間に皺がよるのがわかった。
「それにしても、信じられない。頑張って女の子の方から誘ったんだぜ? それでなにもしないとか……ありえないじゃないか?」
「…………」
彼女がどこまで真実を言っているかわからない。適当に聞き流しておくのがいいだろう。
「はぁ……まぁ、いいけど……。さっ、朝ご飯だよ、朝ご飯。冷めないうちにとは言わない。何度でも温め直すからね……っ」
彼女はエプロンを片づけていた。
どうやら着替えを済ませていて、チュニックに、カジュアルなショートパンツを合わせて足を大きく露出させている。
服選びも含めてか、やはり大人と言うにはやや幼い印象を受けてしまう。
「俺の分まで……」
テーブルの上を見ればもう朝食が用意されている。
フレンチトーストに、ベーコン、フライドエッグ、あとはコーヒーか、一般的な朝食だった。
「ん? あ……キミのはこっちだった!」
さっと、彼女は取り替える。
少し予想しない行動だった。替えたからには理由があるのだろう。とっさに何か違うのかと見比べてしまう。
全体的に量が増えているか。あとは、そう、コーヒーがスープに変わっている。
「別に俺はどっちでも構わない」
「いやいや、男の子だから、それなりに食べるだろう? それに、コーヒーは嫌いな人もいるから、まぁ、そっちを出そうと思ってね。コーヒーの方がよかったかい?」
「いや……」
記憶はないが、俺はコーヒーは苦手だったと思う。
彼女の言う通り、苦手な人はとことん苦手な飲み物だ。彼女の行動も、おかしいわけではないか。
「さぁ、さぁ、食べてくれよ。ボクが丹精こめて作った料理だ。……まぁ、そんなに時間をかけてもないけど」
「……あぁ、いただくよ」
どんなに手軽と言われるものでも料理は料理だ。手間がかかっている。
本当なら、自分でなんとかしたかったが、こうして用意された以上、温かいうちに食べるのが礼儀だろう。
促されるままにフレンチトーストを口に運ぶ。
「どうだい? 味はするかい?」
「少し甘すぎるかもな……」
味に繊細さはなかった。
ただただ甘く、それだけを舌は感じる。
「え……ほんとに? あぁ、ほんとだ」
不意に、こちらに体を寄せて、俺が手に持つフレンチトーストに彼女は齧り付いていた。
味見はしなかったのだろう。
場当たり的で不完全な手作り感の溢れる料理に、どこか懐かしさを感じてしまう。
「でも、うん、美味しい。俺は好きだよ」
それに、この頭に染み渡るような甘さは、俺は嫌いではなかった。
「ふふ、そうかい? なら、ボクも好きかもね」
「俺に合わせる必要はないんだぞ?」
「ん……? ほら、こっちも食べなよ?」
俺の言葉は聞き流された。
そのままに彼女はフォークで俺の皿のハムを突き刺して、俺の口もとに突き出している。
彼女の予想外の行動に、少しだけ面をくらう。
彼女の顔を伺ったが、特に何かを、思ったような顔をしていなかった。
「あぁ……」
差し出されままに食べる。
塩気があって、肉の旨味が感じられる。好ましい焼き加減だった。
「美味しいかい?」
「あぁ……美味しい」
こんなふうな、だれかと一緒の食事に、安らぎを覚えてしまう自分がいる。
味についての感想を言い合いながら、食事が進む。
楽しい時間、だったと思う。
「ふう、食べ終わったし、片付けようか」
「あぁ、俺がやる。これくらいはやらないとな」
「え、あぁ、ボクがやるから……」
「いや、そういうのはよくない」
作る方が大変だろう。
皿洗いに、食器や、料理道具の片付けくらいなら、俺でもそれほど苦労なくできる仕事だった。
「まぁ、じゃあ、ボクは後ろで見てよう」
彼女は少し心配げだった。
俺のことが、あまり信用できていないのかもしれない。
実際に、いくつか口出しをされて、片付けが進んでいく。
俺のやり方はいくつか大雑把なところがあったか、彼女には少し呆れられる。
「こんなものか……」
「まぁ、及第点だね。これからに期待かな……。それじゃあ、出かけよう。キミも着替えてくれよ」
「うん、わかった」
どうやら、服は用意されているようだった。
よく見れば、昨日着ていたものとは違う。黒地に白で、有名な式がいくつも書かれている柄物のワイシャツだった。ちなみにズボンは無地のものだ。
「さぁて、今日はどこに行こうか? 遊園地で遊び尽くすかい? 高級料理店でも食べ歩くかい? それとも、学校で青春を取り戻すかい? この街では、人生でやり残したいことのおおよそはできる」
死後の世界というのも、内心では半信半疑だった。
彼女をどこまで信用していいかもまだわからないけれど、昨日よりは、まだ歩み寄れる。
「俺には記憶がないから……そう言われてもな。よくわからない」
「じゃあ、今日もボクのお気に入りのところに行こうか。ついてくるんだ」
そう言って、彼女はドアを開ける。
密閉された室内とは違い、外は爽やかな風が流れる。
風、というのは空気の流れだ。太陽の光に地面が暖められ、暖められた地面から空気に熱が伝わり膨張、気圧差から風が吹く。
だが、ここが死後の世界と言うならば、この空を照らす太陽とはなんなのだろうか。ここは地球と同じような、惑星なのだろうか。




