32.どこかの夢
「はぁ……。疲れたな……」
死後の世界だと彼女は言ったが、疲労は溜まってしまっている。
少しだけ落ち着いたからか、一気にその疲れを感じた。
「じゃあ、眠るかい? ほら……ここが空いてるよ?」
彼女はベッドの上に座ったまま、隣にくるようにマットを叩いて催促をしている。意味がわからなかった。
流石に彼女は下着のまま寝ないようで、今は透き通るような生地でできたワンピースタイプの寝衣を纏っている。
「いや、空いてないからな。俺は床で寝る」
ソファなんて気の利いたものはなかった。
だから、床に横になるしかない。寝る場所を申し訳程度にでも、綺麗にしようと、掃除用具を借りようとする。
「え……たしかにシングルベッドだけど……ぎゅっと詰めれば二人くらい寝られるよ?」
明らかにとぼけているとわかる。
彼女を無視して、部屋の隅にあった掃除用具で、寝るためのスペースを作る。
「はぁ……こんなもんだな……」
片付けて、横になる。
思い出せない記憶に、ここを死後の世界と言う彼女のこと、さらには死後の世界と言われても納得できるような破茶滅茶なこの街。
考えなければならないことはたくさんあるが、とにかく今日は疲れてしまった。
「いやいや、本当にそんなところで寝るのかい?」
「当たり前だ」
「まぁ、うん。キミならそうするだろうね……はぁ……。本当に面倒な性格だよ……」
諦めたように彼女はため息をついた。
そんな言葉も適当に聞き流す。
「そういえば、死後の世界って……未練を果たすって話ならしたけど、死後って、どうしてなんだ? 死んだときの記憶でもあるのか? 俺はないけど」
「ん……? あぁ……まぁ、自分が死んだというのが信じられないっていうのはわかるよ。でも、死んでからみんなここに来ている。人間はみんなね……。現世への通信機があっただろう? キミには無理だろうけど、やり方次第じゃ、あれで自分の葬式を見れるからね」
「自分の葬式って、なんかやだな……」
もし、俺が本当に死んだのだとして、それを悼んでくれる人は果たしているのだろうか。そんなことが頭をよぎった。
死んだら誰かが悲しんでくれるような、立派な人間で、俺はいられたのだろうか。
寝返りを打つ。彼女に背を向ける。
記憶のないからわからないが、なんとなく、俺はそんな人間でないような気がして、自分以外の誰かを見ていることが辛くなった。
ふと、背中から温もりを感じる。
「ふふ、大丈夫さ。キミの葬式には、きっとたくさんの人が来たからね。たくさんの人に死を惜しまれた。大丈夫だよ」
首もとへと手を回して、全身を密着をさせるようにだった。
なぜ、彼女がそんなことをするのか、俺にはわからない。それでも、とにかく温かいと思った。
「早くベッドに戻ってくれ」
「明日、朝起きて体じゅうが痛くなっていたら、君のせいだからね?」
どうにかして、彼女をと思ったが、どこまでも落ち着いてしまって、体が動いてくれなかった。もう少し、このままでいたかった。
そんな心地の良い中、俺はいつしか眠って――。
***
「ねぇ、ここに連れてくれば大丈夫だったんじゃないの!?」
ここは……どこだ?
ガラス越しにはレネがいる。俺の大切な妹だ。それはわかった。
「『フェイタル・レバーサー』さえ起動できれば……です」
「そうね。けれど、大天使はそれぞれの力についての不可侵を、協定で結んでいる。神の力にも等しい技術を、そうやって独占している。科学の力は皆に等しく与えられるべきだと私は思うけれども……。まぁ、そのせいで、『セレスティアル・スプリッター』以外の使い方を知らないのでしょう……?」
「はい、たしかにそうです。けれども、わたくしたちの持つ知恵は、人に過ぎたるもの……安易に広めてはいけないという戒めから、こうなっていて……」
たしかに、大天使の持つ力は、それぞれが強大すぎる。
時に道徳さえ踏み躙り、神の御業とも思える事象を軽々と起こしてしまう。
「そんなことはどうでもいいでしょ! 今は……ラル兄が……!!」
俺は……どうしたんだったか。
確か、配給を受け取りに行って、途中、確か……誰かにぶつかって……あぁ……よく思い出せない。
何か良くないことが起こった。なんとなく、それだけはわかる。
「ええ……、ですから……。あの人の書いた論文には、全て目を通している。基本原理は知っていますから、それを完全に理解して応用すればいい……五十年……いや、三十年ほど時間をくださいませんか? 必ずや成し遂げて見せます」
「わかってるでしょう? 『グラビティ・リアクター』で時間の進みを遅らせているわ。でも、この出力のままじゃ、そんなには普通に保たないわよ?」
「と、とにかく……論文を書き出しますから……。この『フェイタル・レバーサー』を使い熟せるようにならなければ……知恵を合わせればきっと、わたくし一人よりも……」
どうやら焦っているようだった。
ただ、どういう状況かわからなくとも、ラミエルが気の長すぎることを言ったというのはわかる。
長く稼働してきたアンドロイドだからこそ、人間と感覚がずれてしまっているのだろう。
「これが……『フェイタル・レバーサー』の……?」
「ええ……。こうして丸々記録には残っていますが、わたくしには前提となる知識がいくつか欠けているので、完全に理解することはできていません……」
立式は綺麗だった。
ただ、他分野から持ってきた特殊な技法からの変形が、読者を戸惑わせてしまう。この分野の専門家が読んだとしても、式の途中に、なにが起こっているのかはまずわからないだろう。
「ね、ねぇ……? この三角ってなに……?」
「そこからなの……? いえ……えぇ……下層階級出身なら仕方ないわね……」
レネは難解な問題に触れずに育ってきた。
そもそも、才能がないと判断されたから、俺と一緒に……。レネはおそらく、簡単な数学な問題も解けないだろう。
「妹さんは……とりあえず休んでいてください。わたくしたちで、きっとなんとかしますから……」
「うぅ……」
役に立てないことを、レネは悔やむようだった。
今すぐにでも、声をかけてやりたい。けれど、なぜか体が動かない。
俺は……確か――。




