31.シャワールーム
この世界の仕組みについて。彼女の思惑について。考えれば考えるほどに、分からないことが増していく。
何か見落としていないかと、今までの出来事を振り返ってみるが、まるで分からなかった。
「…………」
聞こえてきた音に押し黙る。
シャワールームから、シャワーの流れる音に混じって、喘ぎ声が聞こえてきていた。
なにをしているかはわからないが、聞こえるたびに思考を蝕まれる。そんな甘い声だった。
部屋のあちこちを動き回るが、嫌でも聞こえてきてしまう。
煩悶とした時間が続いていく。
小一時間ほどであろうか、そんな声に落ち着きをなくしていた。
「ふぅ……ふぅ……。はぁ……っ、すまない? 聞こえているかい?」
「あぁ、よく聞こえている。すごく、よくだ」
「……? もうすぐ出るから、むこうを向いていてくれないかい?」
「あぁ、わかった」
ようやくこの責め苦から逃れられると安心した。
シャワールームの入り口を開ける音がして、その後には布の擦れる音がする。
「もういいよ?」
「ん? あぁ……」
振り向く。ドライヤーを手に取って、髪を乾かそうとしている彼女の姿がある。
下着姿で、服は着ていない。
そして下着が特に目を引くデザインだった。布地の全体の面積は狭く、上下共に紐で結ぶタイプだった。赤い生地は細かい網目状で、肌が透けてしまっている。黒色のレースやら、フリルやら、やけに凝った装飾で隠れるおかげで、下着としての機能をようやく果たせているよう。
「どうしたんだい? そんなに目を丸くして……」
「いや、服は着ないのか?」
その姿は目に毒だった。
扇情的で、あるいは裸よりも彼女の魅力を引き立てているようにさえ思える格好だ。
「ふふふ、裸よりはマシだと思ってね。ただ、そんなにじろじろ見つめられてしまえば、これでも恥ずかしいんだ。まぁ、恥ずかしいからといって、さっきみたいに逃げて行ったりはしないけれどね。とりゃー」
「うぐ……」
そう言って彼女は、頬を朱に染めながら、ドライヤーの熱風をこちらの顔に浴びせかけてきた。
とっさに顔を腕で覆い、彼女から目を逸らす。
「シャワーでも浴びてきたらいい。あぁ、バスタブのお湯は自由に使ってもらって構わない。どんなふうに使っても、ボクは怒らないよ?」
「バスタブ……お湯、溜まってるのか?」
シャワーしかないのだと思っていたが、バスタブもあるようだった。
ただ、そうだとして、ここに来てからすぐに彼女はバスルームへと向かったわけだ。浴槽にお湯をためている時間なんてなかったはずだ。
「あぁ、タイマーだよ。時限式だね。いつも帰ってくる時間に合わせてお湯がたまるようになっているんだ。ふふふ、ボクの浸かったお湯で、ゆっくりしてくればいいよ」
なにか含みのある言い方だった。
彼女が何を考えているのかよくわからない。その言動は、なにか、狙いがあってやっているように思えるが、それが、俺にはわからなかった。
「あぁ、じゃあ、シャワーだけで済ませるよ。脱ぐから、そっちを向いていてくれ」
「男だろう? 別に恥ずかしがることはないんじゃないかい?」
「男だって、恥ずかしいものは恥ずかしい」
彼女が、後ろを向いたことを確認して、衣服を脱ぐ。
改めて、服を見るが、なんてことのない、そこらへんの衣料品量販店で売っていそうな服だった。
畳んで、シャワー室の中に入る。
洗面所、そしてトイレと浴槽が一体になったものだ。浴槽とトイレを区切るためのカーテンがあると思ったが、カーテンレールには何もかかっていない。
手っ取り早く終わらせよう。
汗を流して、髪から、身体までを洗っていく。シャンプーやボディソープは、どこかで見たことのあるようなロゴマークが入っているものだった。
全身を洗い終わって、鏡を見る。
記憶を失い、この街に来て、自分の顔を見るのは初めてだった。
鏡についた水滴を拭き取って、自分の顔をよく見てみる……。
その鏡のすみには、浴室のドアをかすかに開けて、こちらを覗いていた顔があった。
「じー……」
「……はぁ」
「ぎゃー」
シャワーのお湯をかけると、悲鳴を上げながらも退散していった。
彼女が何をやりたいのか、わからない。この分だと、浴槽のお湯は本当に使わない方がいいだろう。
もう一度、シャワーのお湯で体を温めて、浴室から出る。
あまりリラックスできる時間ではなかった。
「出るから、こっちを見るなよ?」
「見るなと言われたら見たくなるのが、人情じゃないかい?」
「俺はあまり見られたくない」
今日、出会ったばかりの相手に、そこまで心を開くことは無理だった。なによりも、彼女のことが、どうしても信じられない。
「あぁ、タオルと着替えは置いておいたから」
着替えは、なんてことはない男物のルームウェアだった。着替えて、ありがとうと、お礼を伝えておく。
ただ、ここに来るまでに衣料品を揃えたわけではない。俺に合うような男物の服があることが、少し疑問だった。
「なぁ、男を泊めることって、よくあるのか?」
「にゃ? どういう意味だい?」
「いや、服があるから。パートナーがいるなら、申し訳ないと思って……」
「……え……?」
彼女は、目をぱちくりとさせて、呆けたような顔をしていた。俺の質問の意味が、まるでわからないというような様子だった。
「女性の一人暮らしに、男物の服があるのって、不自然だろう? だからよく泊まる誰かがいて、その人の服なんじゃないかと思ったんだ」
「あ……っ、あぁ! ふふ、ふふふふ。その心配は杞憂だね。そんな相手いないさ。今も昔も、ボクは清い生娘だよ。身も心も、人生で一人の男に尽くす予定さ」
「じゃあ……」
「それは新品だね。いつ運命の人が泊まってもいいように、ボクは準備していたんだ。ふふっ」
調子を上げて、悪戯っぽく彼女は笑った。
彼女の一言一言は、いちいち芝居がかっている。その内容もとても不自然きわまりない。
何か誤魔化しが含まれているようで引っかかるが、探っても素直に答えるとも思えなかった。これ以上、食い下がる意味もないだろう。
「あぁ、わかったよ……。ありがとうな」
「ふふ、お礼を言われるほどのことじゃあ、ないさ」
なぜか彼女は嬉しそうだった。
だらしない笑みを浮かべている。なにかしらの言葉にされない目的が彼女にはあるのだと疑ってはいるのだが、そうではないかもしれないと頭によぎってしまうくらいだ。
そもそも、今も含めて、何度か会話が噛み合っていなかったような気がする。
考えても、わからないことばかりだった。




