28.死後の世界
「くくくっ、こんな美人を捕まえておいて、ずいぶんと疑り深い目をするなぁ……? それともボクが記憶のない人間に付け入って、なにか悪さをする女に見えるかい?」
蜂蜜色の髪をかきあげながら、自慢げに彼女は言った。
たしかに顔立ちは整っていることはわかる。ただ美人というよりは、可愛らしい。愛らしい目つきにどこか幼いような印象受ける。そしてその薄い唇は、慣れた笑い顔とともに横に裂けるようで、どうしても胡散臭い。
「あぁ、見えない。ただの可愛い女の子だ……」
「む、そんなしかめっ面で言われたって、嬉しくないやい……! やり直しを要求するね……っ!」
「…………」
誤魔化した返答に文句がつけられる。ぞんざいな褒め方になってしまったことは悪いと思うが、やり直してもおそらくはうまく褒められない。
「まぁ、いいさ。キミにそういうのを期待したボクが間違いだったか……気が利かないなぁ」
「う……」
その一言に胸を刺される。上手い世辞の一つでも言ってあげられればよかった。
「それでだ……この街は君にとっては知らない街だ。見て回るかい? だったらボクが案内をしてあげよう?」
「……いいのか?」
この少女の言っている事が正しいとして、なぜこうも親切に説明をし、案内までしてくれるのかわからなかった。
「いいさ。キミはちょっとのことでも罪悪感を抱いてしまう小心者だろう? 見てればわかる。こうして恩を着せれば、いろいろと後でおねだりができるという算段さ……」
「……そうか……」
それを聞いて、なんとなく安心をする。
ただ親切にされるというのは、慣れない。打算ありきの方が、俺としては付き合いやすかった。
「ふふ、じゃあ、行こうか……といっても、街並みは現世と大して変わるわけじゃない」
「……っ!?」
少女は俺の手を引いた。肌に触れられて、その刺激に少しばかり驚き、体がすくんだ。
「ボクのお気に入りの場所を紹介するから、ついて来てくれよ」
俺の反応は気にも留めずに、ずんずんと彼女は前に進んでいく。
手を引かれながら、周りを見渡す。
小さなお店がたくさん並んでいる。だが、中に、人はいないように見える。
「…………」
「不思議かい? 店の中にあるものは自由に持っていっていい……だから会計も見張りも不要で無人。不思議なことに、補充はいつの間にやらされているんだ。あと、飲食店じゃ、食べ物は選べば自動で運ばれてくる」
振り返り、ちらりと俺の顔を窺いながら彼女は言った。
「自動……?」
「あぁ、自動さ……ただ、見えるのは運ばれてくるところまでだ。どうやって作られているかはボクたちにはわからない」
「……不思議だな……それは」
「ふふ、ボクの予想じゃ、なにもないところにポンと完成品が現れる。なにせ、ここは死後の世界……なんでもありというわけだね」
「…………」
今ひとつ、納得がいかない。現実世界というのは、緻密なルールがあり、そのどれかがズレていれば容易く破綻してしまう。
死後の世界とはいえ、なんらかの法則はあるはずだ。彼女の言うような無秩序を許容するほど自然は寛容ではないのだから。
「小難しいことを考える必要はないんだ。楽しめばいい。ここはそういう場所なんだから」
「……そう……なのか?」
穏やかな声だった。今までの胡散臭さは消えないが、ある種の誠実ささえ感じられるような、そんな奇妙な感覚を受ける。
「さあ、見てくれよ……」
手を繋いだまま、彼女は立ち止まった。方手を広げて、促す。
広がる光景は、目を奪われるに十分なものだった。
「これはアジサイか……? すごいな……」
道に沿い、アジサイの木が平行に、整然と並んでいる。平行な線もいつかは交差する――まるで無限遠点まで続いていくかのような、そんな錯覚さえ覚えてしまうほどにその道は長く、遠く。
色取り取りの――赤に、黄に、緑に、青に、紫に、あらゆるスペクトルの光を取り揃えて、彼方まで果てしなく続く道でも、見るものをきっと飽きさせない。
アジサイ……この花を見ると、どうしてか心がざわついてしまう。
「……む……。喜んでくれると思ったけどボクの検討違いだったか……」
「いや、すごい……。これは本当にすごい。こんな光景、滅多に見られるものじゃないからな……。案内をしてもらえて、よかった。……ありがとう……」
「お礼はいいよ。そんなふうに、しかめっつらじゃ、案内をしたボクに気を遣っているのは丸わかりさ……」
「…………」
眉間に指を当ててみれば、無意識のうちにシワが寄ってしまっていたことがわかる。
「ボクはキミがこの光景に感動して……涙を流すはないにしても、あぜんとして喜ぶとか、大はしゃぎだとか、そんな反応をすると思って期待していたんだ……。あぁ、どうやら、ボクは間違っていたようだ……」
明らかに落胆したように、彼女は肩を落としていた。
俺には記憶がないから定かではないが、俺はこの花のことが、アジサイのことが、たぶん、苦手なんだと思う。
この花を見るたびに、どうしても胸が締め付けられるように苦しい。なにか嫌な思い出が脳裏を掠め、すんでのところで思い出せない。居心地が悪くてしかたがない。
「あ……いや……すまない……」
「さて、気を取り直して次に行こうか」
その声はとても暗かった。あるいは、今にも泣き出してしまいそうなものとも思えた。
表情こそ取り繕っているようだが、今までの飄々とした印象を拭い去ってしまうほどに、彼女の姿はか弱く映る。
「…………」
もしかしたら、俺はこの少女のことを、なにか勘違いしているのかもしれない。
「さぁ、ご飯でも食べようか……? ボクが作れないわけでもないけれど、少し気分じゃないんだ。今日は外食にしよう」
「あ、あぁ」
そうやって連れて行かれたのは、ハンバーガーのお店だった。
大衆路線の……味が濃く、食べすぎたら健康に悪い、安いハンバーガーを売っているお店を連想させるような建物だった。




