22.壊されても
「わたくしの目の届かないところで……こんなことを……」
いつもよりも、彼女の目が虚ろに見えた。
憎々しげに俺の上に乗ったままのラファエルの下半身を見つめていた。
「ラミエル……お前は向こうに居たんじゃ……」
「ええ……まぁ……。少し気になって、見てみたら……はぁ……」
ため息をつきながらも、ラファエルの下半身を電磁気の作用で引き上げて、車の天井に空いた穴から投げ飛ばした。
そして俺を助けて起こす。
「…………」
飛び散った赤い液体と、残骸になったラファエルが目に入る。
ラファエルは大天使だ。いくら同じ大天使であるラミエルが相手だとしても、こうもあっけなくやられてしまうものなのか……。
現実味がわかなかった。
そもそもだ……ラミエルは、なんの躊躇いもなく、人間に近い知性のアンドロイドを壊してしまっている。ましてやラミエルはラファエルと同じアンドロイド。それは人殺しと同じことなのではないのだろうか。
俺の前で平然と振る舞うラミエルに、少しばかり恐怖の念を感じてしまう。
「早く行きましょう……。服を着てくださいね……。これで時間は稼げますが……ラファエルはとても面倒な女です……すぐにでも感知範囲外に」
「くく……っ、ラミエル……。厄介な女はお前の方だろう……。昔、愛し合うワタシたちの家に押しかけてきたことを、ワタシは忘れていないんだ。それに結婚したからと言って、出産休暇に育児休暇を合計で四十年と伝えて行方をくらますのは意味がわからないぞ? 『主』はお困りだ。お前の替えはいないからな……」
「……ひっ……」
生首だった。
それだけでラファエルは喋っていた。
アンドロイドの構造上、こんなことはありえない。ここまでバラバラならば、もう稼働できないはずだ。よく見れば、発声するための喉の機関も、欠けているのに。
アニメでラファエルは、ここまで破損することはなく撤退していたからこそ、その能力の底を俺は知らない。だけれども、こんなことが起きていいのか……。
「まずい……」
それはまるで逆再生のような。過ぎ去ってしまった時が元に戻ってしまうような……。
散らばったラファエルの破片が首の元へと集まっていき、形を成す。
俺がかぶり、服に染み付いてしまった赤い液体も、吸い出され、ラファエルの身体へと引きつけられていく。なかったことになるかのように。
時の進みはよくエントロピーの増加と言われる。『フェイタル・レバーサー』は一時的にエントロピーの減少を起こす兵器だ。
そうはわかっていても、こんな時間の揺り戻りのような現象を目のあたりにして、どうしても現実味が感じられない。
あぁ、そういえば、彼女は『再生』の天使だった。
「ワタシの下半身……随分と遠くに投げ飛ばしてくれたみたいだな……。まだ戻ってこないじゃないか……」
「さあ、いったん逃げますよ……!」
上半身を完全に再生させたラファエルに背を向け、ラミエルはプラズマの翼を広げる。
「ぐ……っ!?」
持ち上げられ、急激な上昇が始まった。
心なしか、ラミエルの俺への扱いがぞんざいな気がする。レネのことも、それに今回のラファエルのことも、彼女はきっと面白いとは思っていないだろう。
たとえ慈母のような心の持ち主であったとしても、苛立ちが行動に現れてしまっておかしくないほどのことをしてしまっている自覚がある。
「ラファエル……干渉の時間を与えれば与えるほど、起こせる事象の規模も大きく複雑で厄介になる。相手にするなら観測範囲外に出てからの一撃離脱が鉄則です。幸いなことにわたくしの方が機動力は上ですから……っ! 少しだけつらいと思いますが、ご容赦ください……」
「うぅ……っ!?」
凄まじい加速だった。抱きかかえられてまともな体勢ではないからこそ、身が引き裂かれるように痛い。あの白い少女に連れられて飛んだ時とは違い、空気抵抗が辛い。
「ははっ……! 逃がさないぞ……?」
声だ。声がする。
息が苦しくなるほどの速度で飛び、声の届かないほどに距離が空いているはずだった。そもそも相対的に流れる風に大抵の音は掻き消されて伝わらない。
音、というのは波だ。媒質を伝わる疎密波だ。
その『フェイタル・レバーサー』で空気の揺れを調節し、ラファエルは俺たちがラファエルの声と感じ取れる音を作り出したのだろう。
「器用な真似を……!」
「く……うぅ……。風が……!」
向かい風だった。
前方から襲いくる空気の塊は、壁にぶつかったかと思ってしまうほどの勢いと密度だった。
息ができない。
全身で受ける凶暴な風に、川の急流で溺れてしまうかのような錯覚が起こる。




