20.『再生』の天使
「ザック……ザック……! 大丈夫じゃあないじゃないか!」
「車が動かなくなりましたけど……アンドロイド……? おかしなことになっていますね……」
前の座席から、窮地に気がつき二人がこちらへと移動してくる。まずい状況だった。
「逃げろ! このアンドロイドは、お前たちの手に負える相手じゃない!!」
「風の魔法の次は眠りの魔法だ。ワタシの前に新しく現れた二人は、わけもわからず気を失って倒れてしまう」
「が……っ」
「うぐ……っ」
このアンドロイドの言葉の通りだ。
なにかをする暇もなく、二人は意識をなくし、床に倒れることとなる。
俺以外に三人とも、このわけのわからないアンドロイドに、あっさりと鎮圧されてしまった。
「ふふ、さぁ、二人っきりだ……。予定じゃ、ここで起きるつもりじゃなかったんだけどな……これでは我らが『主』の望みは叶えられない……困ったことだろう。けれども、命令に従うだけがアンドロイドというわけでもないのだから……! ふふ、これが生きているということか……っ!」
不可思議な現象を起こしたアンドロイドは、感極まったように嘯く。
あぁ、このアンドロイドの起こした現象を説明するには、まずは前提の知識が必要だ。
どんな現象にも原理がある。たとえ魔法のような出来事だとしても、そこには必ず自然界の法則が介在し、それを逸脱することはない。
――熱力学第二法則。あるいはエントロピー増大則。
これは熱力学のルールであるが、破ってしまう方法を、かつて有名な物理学者は考えついた。
ある空間の中に存在する気体の分子の運動を知る天使がいるとしよう。
その天使は、空間の右半分には速さの大きい分子を、空間の左半分には速さの小さい分子を、と、空間を歪ませることにより、分子の行う運動を利用してより分けることができるとする。
このとき分子たちは外から仕事を受け取っていないと言ってしまっても構わない状況だ。自身の運動によって定められた空間へと移動するのだから。
分子の運動の大きさというのは圧力の大きさでもある。こうしてより分けられてしまえば、右の空間と左の空間に圧力差が生まれ、力が働く。風が流れる。
この天使の所業よって、何も支払わない神懸かりの手段によって、熱エネルギーから仕事を得られる。エントロピーが減少する。
けれども、熱力学第二法則は言う――外部からの仕事をなくして、平衡な熱を仕事に変換できないと。エントロピーは減少しないと。
果たして、本当にそうだろうか。天使はなんの仕事をすることもなく、熱から仕事を取り出してみせたのに。エントロピーを減少させてみせたのに。
この天使の存在は、明らかに熱力学第二法則に反している。実現すれば第二種永久機関の完成だ。熱力学は間違った法則の上に成り立っているものなのだろうか。
だがしかし、時代が進むにつれてこの現象に理解がすすんだ。見落としていたものがあった。
――前提として、天使は最初から空間の分子の運動を、知っていなければならない。情報理論の発展だった。
情報についてを考慮に入れよう。
まず、情報を得るには、なんらかの仕事が必要となる。エントロピーを増大させなければならない。
さらには、得た情報を記録するメモリのデータ容量には限界があり、同じメモリを使い続けるにはデータの消去が必要となる。この消去の動作にも仕事が必要で、これもエントロピーを増大させる。
情報の取得、熱からの仕事の汲み出し、情報の消去で一巡り。
情報の取得と消去で増大したエントロピーが、天使の行いにより減少したエントロピーの量を必ず上回る。一周すれば、エントロピーは間違いがなく増大することとなる。
二度と元には戻らない――これこそが熱力学第二法則だ。
かくして天使は空へと還ることとなる。
あぁ、だからこそ彼女は、第二種永久機関の成り損ない――『自律式平衡熱転換兵器』――『フェイタル・レバーサー』。
またの名を――
「ラファエル……」
――『再生』の天使。
彼女が魔法と言っておこなったことは単純だ。
気体の分子の運動の向きを揃わせ、風を作る。酸素とそれ以外に空気をより分け、人間を失神させる。
どちらもエントロピーの減少が関わる類いの現象だった。
それらを起こすために、彼女が使用したエネルギーはほんのわずか。使われたエネルギーの大半は環境の熱エネルギーだ。
なぜそれができるかと言えば、彼女は既に代償を支払い終えていたから。
事前に彼女は環境データを『フェイタル・レバーサー』で観測、解析し終えている。あとは干渉の手続きを踏み、任意の事象を起こすだけだ。
その事象が起こった瞬間のみを切り出せば、支払ったエネルギーが釣り合っていないように見えるだろう――、
「電流が流れ機械が動作し、この車のドアが開く。風の流れにより、ワタシたち二人以外は外へと押し出される。車のドアが閉まる」
――だからこそ、魔法のような……。
進みすぎた科学は魔法と見分けることができない――とあるSF作家の考えた経験的な法則のうち一つだが……まさにそれが目の前で起きている。




