104.エピローグ『調律』
隣ではサリエルが眠っている。
結局、俺はあれからサリエルと関係を持ってしまった。
この方法でしか、サリエルは止まらないとわかってしまったから、俺はこうするしかなかった。
全ては俺の決断の数々の結果で、全てが自業自得とわかるだろう。
「まったくお前様は……」
ウリエルが後ろから擦り寄ってくる。彼女には、今回、本当に迷惑をかけたからこそ、埋め合わせをしなければならない。
彼女の服に手をかける。
後ろで、もぞもぞとシーツが擦れる音がする。
「ん……」
サリエルの目が覚めるようだった。
「じゃあ、わらわは部屋の外で待っておる」
そう言って、服を整え、ウリエルは出ていく。
後ろ姿を俺は見送る。
「寝ちゃってた……?」
ウリエルが出て行ったあと、ぱっちりと目を開けて、サリエルは尋ねて来る。
「そうだな」
彼女は、疲労からか、最後に気絶するように眠ってしまっていた。
起きたサリエルは。眠い目を擦りながら、こちらへと擦り寄り、抱きついて来る。
「むふふん。すきー」
「あぁ……」
そんな直接の愛情表現を受けても、俺は受け流すことしかできない。
彼女の記憶をたどって、彼女が俺を愛してくれていることはわかったが、それでも、なぜ自分が愛されるのかはわからなかった。
どうして自分が愛されているかわからないから、俺にはまるで自分ではない誰かを彼女が愛しているように感じられて、彼女に応えても虚しさだけが残るだけだった。
「サリィの、よかった? 生涯サポート……店員さんに毎月払ってるから、十年に一回、無料で変えてもらえるけど……」
相当な月日が経っているはずだ。彼女はその間、誰かと愛し合うこともなかった。
ガブリエルに搾取され続けたと言えるかもしれない。
「あぁ、よかった」
正直に言えば、終わりまでできたとしてもそれは肉体的な反射反応だ。
心は別で、俺は誰と関係を持っても、快楽を得られることはなかった。俺はそんなふうにして、楽になってはいけない人間だからだろう。
「もう一回、する?」
「そうしようか」
誰かと関係を持つたびに、罪悪感と、まるで心が引き裂かれるかのような痛みがある。
そして、そう……二度と元には戻らない。
取り返しのつかないことを繰り返して、積み重ねて、罪が重なる。
あるいは、そうだ。自分がもっとすごい人間なら、誰も傷つけることなく生きていけたのではないかと思う。
俺にはそれができなかった。
だから俺は、間違いばかりを選び続けた。
***
サリエルとウリエルの戦いに決着がついたようだった。
歩く。今のわたしには明確な目的があった。
「久しぶり。元気だった?」
隣に現れた私に対して、当たり前のように彼女は話しかけてくる。
「整備不良なし。動作不良なし。精神状態にやや不安あり」
「相変わらず、冷たいね。ミカエルおねぇちゃんは」
「これでも、あなたには情をかけている方。アザエル」
私たちは、隣に並んで歩いていく。
ウリエルの攻撃の余波により、サリエルの結界はわずかにほつれてしまっていた。
その隙をついて、アザエルは抜け出してきたのだ。ただ、今は結界は修復されているため、あの塔の中心を貫くグリゴリ本体との接続は断たれているはず。
「だったら、面会に来てほしかったなぁ。ママなんか、一週間に一回は会いに来てくれたよ?」
「そう……」
グリゴリの本体とは繋がってはいないはずだが、嫌な感じがした。
関数が収縮をし、予測できる未来が一つに定まっていくという、異質な感覚だ。
「あぁ、技術革新だよ? 小型化したんだ。時間はあったからね。ママに頼んで材料も貰ったし……」
「なら何も問題ない」
グリゴリがないのなら、何もできない少女ではないかと少し心配だったが、どうやら不要だったようだ。
「あ、時間、同期させてくれる?」
「わかった」
アザエルのいた『障壁』の中は、時空の歪みがなかったからこそ、地球の重力の中とは時間がズレてしまっていたはずだ。
「それで、どうする? また私のこと閉じ込める?」
「『主』はそれを望んではいない。もちろん私も」
「『主』、ねぇ。あーあ。マスターがいる以上、私が好き勝手はできないわけだし……当然か。でも、そう。私のこと褒めてくれるかなぁ?」
彼女は彼女の考えで動いて、そして、神になろうとした。
あの人のやり方に背いて、人の道に背いてでも、あの人の目的を叶えようとした結果だった。
家族を大切にすることに幸せを見出す彼女のことを、わたしはあまり責める気にはなれなかった。それはわたしが彼女の家族でもあるから、だろう。
そして、ついに目的の場所につく。そこには私たち二人が目標とする人物がいる。
「うーん。もう追いつけないかなぁ」
少女がいる。
艶やかな黒い髪に、男性を誘惑するような人よりも女性的な肉付きに、庇護欲をそそられてしまうだろう愛らしい顔立ちの少女だった。
彼女は銃を握っているが、腕から先が血塗れだった。
こちらに気がついて、彼女は顔を私たちに向ける。私から、まず尋ねた。
「サマエルは?」
「ん? 逃げられちゃった。あの女……私のラル兄に手を出すから……」
「そう……」
ラミエルにはサマエルの回収にあたらせている。
あの子のことだ。無事なら、きっと、うまく合流してくれるだろう。
「ねぇ、マスターを誘導して殺したのって、あなただよね? んー、叔母さんって言った方がいいかなぁ……?」
「……殺したって、誰のこと?」
「だって、あのときグリゴリへの接続が許されていたのって、私に、マスターに、ママでしょ、あと三番目のママでしょ、それにミカエルおねぇちゃんくらい。でも、全員違うなら、あとはサマエルみたいに、他人の鍵を勝手に借りて使うくらいだけど……」
「意味がわからないんだけど……」
「懐かしいなぁ、サマエルは勝手にシナリオを作って、CGの映画みたいにして遊んでたっけ。かなり怒られてたんだよねー」
そういえば、そんなこともあった。ずっと昔の記憶だ。
未来の私たちを勝手に使って、サマエルは物語仕立てのものを作る。そうやって、未来の大天使たちの戦う姿を映像で見ては目を輝かせていた。
結局、怒られたあと、そんなシナリオたちは廃棄されていたはずだ。
「なんの話?」
「そんな楽しいこともあったなぁって、昔の話」
少女の苛立ちが見てとれる。
彼女は銃をアザエルの方に向けて、構える。
「もういい。ラル兄に娘はいらないから」
「うーん、残念。やってみてもいいけど、当たらないよ? 叔母さん」
躊躇せす、彼女はアザエルを撃つ。
「……っ……」
その銃弾の全てがアザエルをすり抜けてしまう。
自分に都合のいい確率を選択している。本当に凄まじい力だと思う。
「あなたの存在は、きっと許してはいけない」
わたしは一歩踏み出す。
わたしの作ったクローンの一人が、あの人そのものになったことには、わたしは驚いた。
わたしたちの記憶が抜け落ちていることを知って、わたしは選んだ。
あの人が自分の才能に振り回されて、辛い気持ちを抱え続けていたことを知っていたから、ただ普通に生き直して、幸せになれるように、そう思って、彼の人生の道を作った。
ずっと、見守っていた。
けれど、疑問だった。いつのまにか彼の隣にいた、この女はなんなのだろうか。
システムは住居や仕事先を決め、結果として、まるで定められた運命かのように、この女はあの人の隣にいた。
「…………」
「え……っ?」
転移をして、彼女を掴もうとした私の手が、空を切った。
「……ちっ」
舌打ちをした彼女は、踵を返す。全力で駆け出していた。わたしたちから逃げようとしているようだった。
「おっと、ここは通さないぞ?」
「あ……っ」
だが、彼女の背後には、ラファエルがいる。
万全を期して、事前にわたしが呼んでおいた。今回は命令に従ってくれて安心する、
「オマエは? うん? 気のせいか……」
なにか、ラファエルは引っかかりを覚えているようだった。
一応、ラファエルはこの女に一度遭遇しかけた。
あのときは、そう、サマエルに溶かされ、エントロピーを使い尽くしたあとだったから、わたしが現れなかったら、彼女はやられていただろう。ラファエルはたしか、殺気を感じて振り返ったが、後から存在を現したわたしがその正体だと勘違いしたのだった。
「……逃げられない」
わたしに、アザエル、そしてラファエル。三方向を大天使に囲まれたのだ。これを突破できる存在は、いないと言ってもいいくらいだ。
アザエルがいれば、サリエルでも難しい。
あとは、ガブリエルにでも預けて情報を引き出せばいい。
人畜無害を装った、この女のきな臭さは、抜け目のないガブリエルもわたしの見ていた限りでは気がついていた。
ガブリエルもその性格はやっかい極まりなかった。一度あの人を殺して、あの人の情報を回収したその先で洗脳を施す手際だ。本当に呆れてしまう。
だから信頼はできないが、一応、今まで積み重ねてきた実績から信用はできる。ただ、交渉は難航しそうだ。想像するだけで疲れてしまう。
「……っ……」
彼女がわずかに動く。
警戒は怠らない。何をしてきても、大丈夫なように、備えはしてある。
ラファエルは『翅翼』を、わたしも、アザエルも、翼で世界を包んである。
アザエルも、もう運命を決めている頃だ。ここから覆されるわけがなかった。
「……おとなしく……」
「助けて! ラル兄……ぃ!!」
「え……っ?」
彼女は叫んだ。みっともなく、助けを呼んだ。
けれどもそんな声、届くはずが――、
「どうしたんだ? 揃いもそろって……」
「マス、ター……?」