1.神は賽を振らない
この世界は混沌に包まれている。
誰しもが、己が役割を持たされ、強いられる。機械に支配された世界。
人々の絶望と諦観が渦巻く、死んでいるのか生きているのかわからない世界。
結局のところ、人は分かり合えない。
だから、こうした。だから、こうなった。
後悔はしていない。
信じたかった。信じられなかった。
世界はもっと、ずっと、少しずつでも、いい方向に進んでいるのだと。
ああ、自業自得だ。自業自得。
そうやって、自嘲することしか俺にはできない。
願わくば、来世には――
***
果たして、運命というものを信じるか。
別段タイムリープをしたわけでもない、ただ未知の未来に進んでいく俺には関係のないことだった。
運命とは、なんだろうか。
同じことを行えば、同じ結末が訪れる。当然の帰結だ。それを歪みのない事実だとかつては思っていた。
俺という方程式がここにあり、未来は既に決まっている。
抗いようのない未来にただ突き進むだけであり、枝分かれなどなく、足跡のない一本の道をたどるだけ。
自分の身の回りのことだけで精一杯。計算もミスばかりしてテストで満点を取ったことのない俺とは程遠い存在であるのだろう――たとえば、世界の全てを知ることができ、非常に高い演算能力を持つ悪魔は、未来を予測できるとか。
俺の努力も、苦労も、それに伴う結果も、遥か昔、宇宙の誕生した瞬間に、予測可能な運命だったと、悪魔は嘯く。
しかし、それは違う。
ある有名な方程式では、同じ行為で、違う結末を求められるという。
猫の死と生は、ある瞬間に同じ確率で存在することができるという。
神はいい加減に賽を振り、世界の行く末を決定しているのだという。
それが狂っているか俺は知らない。
しかし、そのおかげで、少しだけなら希望が持てる。
この世界では、どうであるかは知らないが。
『幻想戯曲デア・エクス・マキナ』。
俺の大量消費したアニメの一つ。
SF作品。その中でも、いわゆるディストピアものと呼ばれるジャンルで、機械に支配された人類を、主人公たちが解放しようと奮闘する、よくある設定の話だった。
そして、結末は鮮烈だ。
主人公陣営は壊滅。
そのはずだったが、非業の最後を遂げたヒロインが、なぜか生きて、自律警邏型ドローンを倒すシーンで幕を降ろす。
放送期間はたったの一クール、つまり十二話。売り上げが奮わずに、二期はなかった。
その嫌な後味と、消化不良さで、ヤケに印象に残ったアニメでもある。伏線は未回収のまま放置され、虚無感が残った。時間の無駄だったとも思えた。
だが、その世界に似た世界に、今、俺はいる。
「おい! 休んでないでしっかり働け!!」
「はい……っ!」
貨物船への積荷を運び込む作業を行っている。
このアニメは、文明の発達した未来の話だった。こんな単純な作業は機械でやればいい。そう思うのだが、そうはいかない。
慈悲深きコンピューター様は我々人類に仕事という名の生き甲斐を与えてくれた。そういうことらしい。
人には生まれながらの階級が、身分が存在し、それに甘んじる他ないのだ。
与えられた仕事をするだけ。そのように育てられた。
例えば俺たち底辺の労働者は、十四歳まで最低限の知識だけが与えられ、各自仕事に就かせられる。
できるのは肉体労働。
物を運ぶ。地面を掘る。石を削る。植物を摘み取る。任せられるのはそれだけだった。
「よし、時間だ! 今日はここまで!!」
コンピューターが支配しているだけあって、時間はきっちり守ってくれる。
ただ、時間があってもやることがないのが俺たちだ。
それでも俺には、ささやかばかりの趣味がある。
「なあ、ラル兄、ラル兄。今日も家に寄っていいか?」
「ああ、カロか。いいぞ」
「やったっ!!」
喜ぶのは、かわいいかわいい弟分のカロである。
現在、十七の俺とは三つ離れた、現職場最年少の働き手だ。同僚たちから爪弾きにされていたところを気にかけていたら、こうして懐かれてしまった。
「なあ、なあ、あの話、次はどうなるんだ?」
「それは着いてからのお楽しみだろ? もうちょっと、我慢だな……」
「ちぇ、別にいいじゃないか?」
「いや、だな、ネタバレしたら面白さが半減するだろ?」
カロはそっぽを向けたままだ。
俺の言葉が届いていないように感じる。少しため息が漏れてしまう。
カロの目的。
それは俺の家にあるライトノベルだ。
本来ならば貸してやりたいところなのだが、俺たち底辺の労働者階級は基本、字が読めない。
だからこそ、俺が読み聞かせをしてやるしかない。
文字を教えようとしても、『ラル兄が読んでくれるから大丈夫だよ』と、相手にしてくれないのが現状だ。
だからといって、突き放すことも俺にはできない。悲しき性だ。
俺がいつから俺だったのか――それは俺にはわからない。
気がつけば、この世界で必死に生きていた。憑依か、転生かは知らない。ただ生きている。ただ、それだけの話だった。
だから、この話は不毛。そして不要。
ただ生きていくことしかできない俺には、考える暇さえない。
「ただいま」
一言で形容するならば、ボロ小屋。俺たち虐げられる者たちには、こんな住居しか与えられない。
それでも、あるだけマシだろう。
「おかえり、ラル兄」
笑顔で出迎えてくれたのは、俺の義理の妹であるレネだ。
縁あって、同じ施設から、同じ場所へと配属された。右も左もわからずに、二人固まって動いてしまうことは必然だった。
そう、幼馴染にも近い存在。
同い年で、数日、俺の方が産まれた日が早いだけ。けれど、俺は彼女を妹のように思っている。
そして義理の妹と、勝手にそう思うことにしていた。彼女も俺を兄のように慕ってくれていた。
「お邪魔します。レネさん」
「あ、カロちゃんも……。ふふ、ゆっくりしていってね……」
「ちゃん付けは……さすがに……」
「ふふふ」
笑顔で受け付けないレネに、カロはガックリとうなだれる。
さすがレネだ。カロを手玉に取るなんて。
さっそくだが、入り口から手の届きそうな場所にある本の山に手を伸ばす。
ゴミとして捨てられていたもの、薪になりかけていたものを拾い集めたお宝だ。
実際のところ痛みが激しく読めたものではない。ページがいくつか抜けていたりもする。
だが、そこは俺の妄想力と構成力で乗り越えるのが常だった。
カロは騙せても、レネは苦笑いでこちらを見つめる。恥ずかしい思いも何度かしたが、試練は相も変わらずやってくるのだった。
これが俺の日常。
苦しい思いもしているが、それでも幸せな、与えられた日常だ。
けれども知っている。この日常が終わりを告げてしまうことも。