うさぎ。そして妄想たくましい喪女
ガチャリと扉が開いたかと思うと、暗かった室内に照明がパッとつく。疲れた顔の女の人がぼくに向かって笑いかけました。
「モコモコさま! 下僕がただいま帰りましたよ!」
ぼくの名前はモコモコ。
つぶらな瞳に、ひくひく動くかわいらしいお鼻。
垂れた長耳が特徴のロップイヤー種。
毛の色は茶色。
ひとり暮らしの喪女さんに飼われているキュートなうさぎです。
◇
喪女さんは帰ったらまず部屋着にきがえます。高校の時のジャージらしいです。卒業して何年経っているのかは怖くて聞けません。
どうやら今日、喪女さんはとっても疲れているようです。ジャージに着替えるやいなや、床に引いた毛足の長いカーペットの上に寝ころびました。とても上機嫌に「あああーーおうち大好きっ! 」と言って手足をバタバタ動かしています。ぼくはただのうさぎなので、喪女さんの行動の理由がイマイチ理解できません。人間はむずかしいです。
「あーん今日もウルトラキュートなモコモコさま! 今ゲージ掃除して、ごはん用意しますね!」
喪女さんはぼくをまるで宝物のように大事にしてくれます。きっと人間にはうさぎは尊くあつかうような法律があるんでしょう。おかげでぼくは、おおむね不自由なく暮らせていると思います。
ごはん入れに投入された固形フードをガジガジかじっているぼく。その様子を、喪女さんはヨダレを垂らしながら恍惚とした表情で見てきます。正直怖いです。
「あん、モコモコさま、かわいいい、尊い」
熱い視線とともに荒い鼻息を感じます。
喪女さんは、ぼくがご飯を食べ終わってから自分のご飯を用意します。ここから喪女さんのおひとり様劇場の始まりなのでどうぞご覧ください。
「ちょっと、タケルくん、料理作ってる時は邪魔しないでって……ちょっと、やめてってば」
説明はいらないと思うけど、この部屋には喪女さんとぼく以外いません。
「ねえ、そこのお椀とってちょうだい」
そう言いながらも、ちゃんと喪女さん自分でとって炊飯器からご飯をもりもりよそいました。
「今日のメニューはフレンチのコース料理だよ。メインは仔羊のソテーで、デザートとはたっぷり苺がのったタルトなの」
パンは自家製酵母でーす、ってすごいドヤ顔で言ってます。
「じゃ、いただきますっ!」
ぱんっと両手を合わせ挨拶をし、喪女さんがひとりで食べ始めたのは、大盛りのお茶漬けでした。プラスチックのスプーンでかき込んでいます。どのへんが子羊で、どのへんが自家製酵母なんだろう。ぼくにはわかりません。
おいしそうにお茶漬けをすすっている喪女さんの目だけが、いくらか悲しそうです。
喪女さんは食器の片付けをすると、ぼくをベッドの上にあげて、お話をしてきます。そこはタケルくんの出番じゃねえのかよとは言いません。
今日もボッチでしゃべる相手もいなかったから妄想ばっかりしてた、とか。お洒落なショーウインドウに映るダサい自分の姿をみて吐き気がした、とか。電車に乗った時に金属のポールを脳内で彼氏に変換して「大丈夫か。俺にしっかり掴まってな」って言われてニヤけながらポールをしっかり握っていた、とか。モコモコさまに早く会いたかった、とか。
人間社会の中では、この喪女さんは大変なんでしょう。化粧っ気はないし、たぶん美人でもないし、現実を見ないで妄想ばっかりしている。友だちと遊んでくるとかも聞いたことがないです。
だけど。この喪女さんは、ぼくをとても大事にしてくれます。変な人間だと思うけど、ぼくはこの喪女さんが好きだと思います。遠慮がちにぼくの頭をなでる手は、とても気持ちがいいです。
考えごとをしながらぼけーっと喪女さんを見ていたその時でした。
「モコモコさまが、私を、熱い眼差しで長時間私を見つめている……最高記録更新……」
わなわなと震え、顔を真っ赤にさせてぼくを凝視してきます。熱っぽい視線がなんか怖いです。
「ま、まさか……いえ、これはそのまさかよ。上り坂、下り坂、まさかの坂。私の人生で、両想いになれる日がくるなんて……! ああ、ハレルヤ!!」
これはぼくなんて言ったらいいんでしょうね。あきれて言葉が出ません。好きとは言いましたけど種類があるでしょう。
「ああ、モコモコさま……わ、わわわわ、わたしと……け、けけ、けっこん、してくださりませっ!!」
無理だと思います。
ぼくうさぎだし。
「はい! 幸せにしますね!」
話聞いてねえし。
抱き上げられてキラキラとした笑顔を向けられると……まあ、悪い気はしません。大事にしてくれるのは間違いありませんから。彼女は病めるときも健やかなるときも、いつだってぼくを優先してくれる。ぼくは幸せものなんです。
ただし、手書きの婚姻届には全力で拒否させてもらいました。だれが足印なんか押すか。