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廃墟(2)

 その挨拶に対して、私は返事をするでも会釈をするでも無く、ただ両手を従順に掲げる。

 無抵抗の合図、降伏の権化…………その姿に成り果てた理由は他でも無い。

 本能的な直感、そして理性的な判断の両側面から繰り出される、彼女には逆らうべきではないという確信めいた結論。

 その根拠とは、最低でも三階以上の高さから頭を下にして落下する度胸。

 そして、私を発見するや否や、その落下を意のままに操り無傷のまま着地する身体能力。

 いずれを参考にしても明白な超人性…………殆ど反射的に降参したものの、これで足りなければ土下座をして命乞いもしなければ…………と、実力差に徹底的に打ちのめされていた時。

「どうされました? あ、ハイタッチですね! ハイタッチ!」

 彼女は前傾姿勢から、何か重い物でも持ち上げるかのような勢いに欠ける動作で伸び上がりつつ、私とハイタッチした。

 ……したのかも、よく分からない。

 というのは、彼女は確かに私の両手に目掛けて両手を合わせ、それを弾いたはずなのだか、私の手の平に伝わってくる感触といえばそよ風か綿飴だったのである。

 触れているかもいないかも不確かな、奇妙な感触。

 それを気になりつつ自分の手の平を眺めていると、名前も知らない彼女は、悩みなど生涯で一つも無かったかの如く明朗快活な大声で、

「さあ、それではカミヤマ様の元へとご案内致します! どうぞ付いて来て下さいませ!」

 と言い、ヒラリヒラリしつつ私を横切って、玄関の方へと歩いて行った。

「え、いや、ちょっと待ってください」

 その背中を振り返りつつ、堪らず私はそう呼び止める。

 依然として、私は彼女のことを絶大に恐怖している。陽気な態度や礼儀正しい振る舞いをされたところで、その評価は厳然として変わらない。

 ただ、このまま為されるままにされ、いずれ取り返しの付かない状況にされてしまうことの方が何より恐怖的だろうと、そう自分を無理矢理に鼓舞したのだった。

 すると、彼女はクルリと一回転半する。

 そして今度はウエイター然としたお辞儀をしつつ、大きい目を丁寧に瞑って言う。

「はい、何用で御座いましょうか!」

「あの………私をここに連れてきたのは、あなたなんですか?」

 そう質問しながら、もしかすると違うのだろうかと、私は彼女の恰好を見つつ思う。

 白シャツに蝶ネクタイ、そして黒のロングスカート…………それだけを見ていると、どうも誘拐を犯しそうな人間の取り合わせでは無い。悪人とは到底思えない口調や身振りからも、むしろ彼女は私のことを誘拐犯から奪還すべく働いている、正義の味方と呼ぶべき存在なのでは…………と、現実逃避式の妄想に片足を突っ込んでいたのだが。

「いいえ、私ではありません! 一葉様をここまでお連れしたのはハジャ様で、そうするよう指示を差し向けた張本人はカミヤマ様で御座います! ちなみに、遅ればせながら、そして僭越ながら自己紹介をさせて戴きますと、私の名前はクズレバと申します! 場を崩すと書いて崩場と読みます、以後お見知りおきを!」

 誘拐犯の一味を網羅し、かつ敬称を付けて崇める。

 要するに、彼女もまた誘拐犯の一味であるということだった。

 頼れる味方だと期待していたのがちょうど真逆の失望へと帰結したのだな、とガックリしつつ、ならば彼女の説明の中に何等かのヒントが無かったものかと思い出してみるも、これが一つもない。

 なぜなら、その説明の中に含まれる人名の尽くは、私の知らない名前だったからだ。

 見ず知らずの相手、情け容赦の通用しない相手。

 よりにもよって私は、随分と質の悪い相手から誘拐されてしまったのだな…………という具合に嫌になっていると、何を勘違いしたのだろうか、崩場さんは片手を胸に、もう片手を腰に回した姿勢のまま、やはり両目は瞑ったままで補足の説明をし出す。

「ちなみに、ハジャ様はプリンのような髪色をした方なのですが、ご存じありませんか?」

「……いえ、そういうことなら知ってます。黒いマスクに、黒のタートルネックの人ですよね」

「ええ、正にその通りです! では、質問は以上で宜しかったでしょうか!」

 一応は見知った人間の犯行であることが分かったが、しかし事態は何ら好転していない。

 死刑囚からの拉致、および彼を一味とする集団。

 曖昧としていた絶大の恐怖心が、確固たる絶大の恐怖心に転向しただけだ……気が重くなる。

 しかし、私は話の内容とは全く別の所に、ある可能性を見出していた。

 彼女……崩場さんは、単に礼儀正しいのではなく、どうやら私に対して親切心を持っているようだ。

 誘拐犯が監禁する相手に向ける親切心。

 ともすればストックホルムで起きたあの一件を想起しそうになるが、別に私は彼女に気を許そうとしているわけではない。

 すなわち、彼女には何かしらの理由や背景があるのか私のことを丁重に取り扱っているようなので、私は彼女に対して過剰に委縮する必要は無く、この人から出来るだけのことは聞いておこうと考えたのだった。ハジャは勿論のこと、未だ見ぬカミヤマとも普通に話が出来るかは分からないので。

 そして、まず聞くべき事項。

「智と遊とネオは…………私が誘拐されたときに体育館に居た三人は無事ですか? 誘拐される間際に、銃声のような音が聞こえたので」

 すると、崩場さんは人差し指を顎に当てて難しい顔をし、かと思うと両手を前後に回して、例のウエイトレス然としたお辞儀をしつつ、しかし淑やかさとは無縁の大声で言う。

「申し訳ありませんが、お三方のご無事につきましては保証致しかねます! ハジャ様は銃声を聞いた直後に件の体育館を逃げ去り、その上あの場には【(から)(ひつぎ)】の者はハジャ様を除いて誰一人と居ませんでしたので、その後の体育館内の状況につきましては把握出来ておりません!」

 その謝罪を正面から浴びながら、私は複雑な感覚がしていた。

 まず、智と遊とネオの無事は分からないということで、私の気分は改めて暗雲に曇る。

 しかし、その暗雲が時間差で、異質となりながら増長していくのだ。

「……空棺」

「はい、我々の属する組織の名前です!」

 そこまでは話の流れから容易に察しが付く。

 問題なのは、更に混乱を招くような彼女の説明だった。

「話からすると、銃を撃ったのは空棺の人間ではないんですよね? つまり、銃を撃ったのは他の組織の人間…………それか個人となるわけで、それはどういうことなんですか? 結局、誰が何のために銃を撃って、あの場では何が起こっていたんですか?」

 銃を発砲したのは、誘拐犯の一味ではない。

 また別の何物かが存在していて、そうなってくると俄然、彼女たちの無事が気になってくる……どうやら空棺に誘拐されたわけではないらしいが、それが逆に不安を掻き立てられるとは思わなかった。どうやら、無事であることも無事でないことも、容易には確認出来なさそうなのだから。

 そして、追い打つような言葉。

「申し訳ありませんが、その件につきましては他言を禁じられております! ですが、後にカミヤマ様から説明させて戴く運びとなっておりますので、どうかご容赦ください!」

「……」

 他言無用ということは、何者であるかは判然としているのである。

 しかも、両者は協力関係に無いことが、銃声を聞いてハジャが逃げ去ったという一言から想像出来る。

 対立し合う二つの存在、片や死刑囚と超人を擁し、片や銃を所持する。

 その恐るべき両者からの板挟みに、私たちは遭っているのではないのかという連想…………。

 一体、私たちが何をしたというのだろう。

 ごく平凡に暮らして来て、立ち入り禁止を破ったりはしたものの、それでも死の危機に見舞われるようなことをした覚えは無いのだ。

「一葉様?」

 すると、崩場さんは一層腰を低くして、黙って俯いた私の表情を容赦なく窺ってくる。

 先の見えない展開に絶望する間も与えない、ということなのだろうか。

 私は随分と卑屈になってしまい、自棄になったようにぼやく。

「何のために、私は誘拐なんてされてしまったんですか」

 それを受けると、崩場さんはクルリと回転しつつ私と距離を取り、頭を下げて言う。

「その説明につきましてもカミヤマ様からされますので、私の口からは答えかねます! 大変申し訳ございません!」

 ……要するに、私の身に起こった出来事やそれに関連する諸事項については、カミヤマという人物からしか語られないようである。

 次第に、張り合いが無くなってくる。

 三人を助けたい気持ちや、不安に胸を騒がせていた感情も摩耗し、どうにでもなれという気分に移り変わっていく。

 ……これ以上、崩場さんに聞くことはあるだろうか。

 元はと言えば彼女からしか聞けない情報もあるだろうと意気込んだが、逆に彼女からは何等の情報も聞き出せないようだ。ならば、さっさと連れて行ってしまおうか…………と。

 そこまで思考が落ち込むと、つまり緊急の質問ばかりしようとしていた思考状態がすっかり解除された後に、ふと思い浮かんだ疑問があったので、私は思い付きのままに口に出してみる。

 顔を上げ、崩場さんと相対する。

 普通に立てば彼女の方が背丈はやや高いのだな、と思いつつ。

「では、最後に一つだけ聞きたいんですけど、さっき叫んでた泥鰌流というのは何なんですか」

 すると、彼女はさっきまでとは反対に胸を張って手を添えつつ、「よくぞ聞いてくれました」とでも言わんばかり表情になって、決まりきった原稿でも読むような流暢さで語った。

「平たく言えば護身術です! ただ、一般的に護身術は「相手からの攻撃から身を護る術」と広く解釈されていて、事実、護身術の稽古法は多くの場合、対人を想定したそれなのですが、泥鰌流は言葉通りから寸分違わず、「身を護る術」なので御座います! 対象は人からの攻撃のみを範疇とせず、広く対人から対物まで、あらゆる威力から身を護る術が泥鰌流なのです!」

 ともすれば演説然とさえしている語り口を聞きながら、私はあの動きが護身術を発動した結果であることに驚いていた。

 というのは、私は当初、あの動きを手品や曲芸の類だと思っていたのだ。動きそのものの道化じみた奇怪さもさることながら、彼女からは武道家特有の張り詰めた空気感(ネオのような)を感じ取れず、彼女を護身術に結びつける発想はまるで無かった。

 ただ、嘘では無いのだろう。

 彼女は実際、落下に伴う衝撃をものともせず、優雅かつ五体満足に着地を果たしたのだから。

「さて!」

 などと考えていると、彼女は溌溂と話を区切って続ける。

「それでは最後の質疑応答も済んだことですし、そろそろカミヤマ様の元へ向かいましょうか! では、一葉様!」

 すると、彼女は胸ポケットから銀色の鍵を私に差し出した。

 私は彼女の思惑を精査するのも面倒になっていたので不用心にそれを受け取りつつ、「これは何ですか」と尋ねた。

「玄関の鍵です! 恐縮ですが、一葉様に開けて戴きたく存じます!」

 例の姿勢になりつつ、彼女は頭を下げる。

 その姿を透かしながら彼女の背後にある玄関のドアを見てみると、それは全体が赤茶色に錆びており、丸いドアノブが付いている。

 そして、部屋側にあるドアノブの鍵穴。

「…………」

 この部屋は、監禁のために改造された部屋なのだろう。

 途中で解体を中断された廃墟を不法占拠し、その過程で取り払われただろうドアを逆向きに設置し直す……内側から出ようとすれば鍵が必要で、鍵は空棺が持っている。

 計画的犯行、もしくは常習的犯行。

 空棺という組織の性質が、少しだけ分かったような気がしてきた、その時。

「…………」

 私はある発想が……否、ある記憶が思い出されると、無言のままに玄関へと向かう。

 智と遊とネオは、この近くには居ない。

 連絡を取れる端末は無く、仮に端末が使える場面が来たとしても連絡が取れる保証は無い。

 ただ、そこで絶望する訳にはいかないということを、私は思い出したのである。

 すなわち、落合君がこの建物の中で監禁されている可能性。

 有り得ないことは無い。

 聞いても答えてくれるかは分からないし、仮に答えてくれても嘘を吐かれるかも知れないので聞かないが、荒唐無稽な発想では無いはずだ。

 空棺には拉致監禁の前科がある。これは自分の身を以て証明出来た形になる。

 そして、彼らは常習的あるいは計画的にそれを行っていることが推測出来る。

 ならば、もはや形振り構っては居られない。

 私はドアの前に立ち、鍵穴に鍵を挿し込んで回すと、一呼吸する。

「ごめんなさい」

 そう呟きながら鍵を引き抜くと、素早くドアを開けて部屋を飛び出し、即座に外側のドアノブのツマミを回して施錠しつつ鍵をスカートのポケットに仕舞う。

「一葉様!?」

 ドアの向こうから叫び声が聞こえる。

 どのような意図があって私に鍵を渡したのかは分からないが、あれだけの身体能力を持っているのだ。錆びて老朽化したドアを蹴破りながら出てくるのも時間の問題だろう。

 だからこれは、ただの時間稼ぎである。

「どういうことですか! 開けてください!」

 背後からの声に構わず、私は駆け出す。

 駆け出す前から心臓は早鐘を打っていた。

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