学校(7)
……え?
私は当惑しながら顔を上げる……なんでこのタイミングで交代したの? と銀に問いかけながら。
『だって、幽体離脱のことは皆に言えないでしょ。またぞろどんな騒ぎになるかも分からないんだし』
それはそうだけど、言い訳ぐらい自分で考えればいいじゃん。なんだって私が。
『そうじゃなくて、銀である私が杏子のフリをしながら銀の欠席の理由を語るっていう構図がややこしいんだよ。変にボロを出したくないの。そういうことだから、お願いね』
ちょっと、せめて欠席の言い訳ぐらい…………。
というところで、私の脳内会議は強制的に中断された。
「一葉さん?」
糸目で短髪の彼が、不思議そうな顔で私を見下ろしていたのだ。
これまでの流れは把握している。
私は私の体を通して、一連の出来事を他人事のように観察していた。
だが、いざこうして衆目に晒されてみると、心臓がぎゅっと縮こまるような気分がしてきたので私は臆してしまった。
「話、聞こえてたのかな。銀さんがなぜ学校を休んだのか、教えて欲しいんだけど」
彼は男子高校生にしては柔らかな言葉遣いで、再度問いかける。
そう、その話なのである。
一体、どう言えば納得してくれるのだろうか。一人で二つの一葉姉妹が、片方だけ欠席しても不自然じゃない理由…………。
そこまで考えて、私ははたと気付いたことがあった。
なぜ私は、わざわざ銀の頼みに答えなくてはならないのだろう。
今この瞬間は、一葉姉妹が同一人物ではなくなったと宣言するに絶好の機会じゃないか。
これからはただの双子として、別個の人間として生き、それぞれがそれぞれの好き勝手に恋人を作ったりすると宣言するにあたって、聴衆は十二分に集まっている。
今がその時なのだ。
私は口を開いて、大勢の前に一葉杏子の独立宣言を唱えよう……としたところで、一歩踏みとどまった。
そしてただ口から息を吸うと、今度は全く別の形に口を動かしてこう言ったのである。
「銀は体調不良だよ」
それを聞くと、再び聴衆はゆっくりとざわめき始めた。
ならばなぜ杏子は登校できる程度には健康なんだとか、おそらくそのあたりだろう。糸目の彼も、机に腰掛けつつ私を矯めつ眇めつ見ている。
だが、こう言うべきなのだ。
銀の欠席についてはまず、智や遊やネオにこそ打ち明けないと不義理である。
彼女たち【独立同盟】に話してからじゃないと、友達にも満たないクラスメイトの彼らに話すわけにはいかなかった。
「体調不良。体調不良、か」
糸目の彼は私の言葉を舌の上で転がし、吟味するように言いながら続ける。
「体調がどう不良なのかは教えてくれないの?」
「そんなに気になる? 私たち別に友達じゃないよね」
「そうだね。でも」
彼は緩慢な動作で後ろを指しながら、「あの中には一人ぐらい、君の友達がいるんじゃないかな? その友達のためにも教えてよ」と言った。その指は誰のことも指していなさそうだった。
しかし、生憎である。
あの中には仲のいい知り合いが居ないわけではないけど、智などには遠く及ばない。
ただそのことを大っぴらに言ってしまうのも憚られたので、さてどう返事をしてものかと悩んでいると、横から遊が噛みついてきた。
「だったらその友達が聞きにくればよくない? 駒場君が代弁する必要ないよね」
彼女はほぼラジオ体操みたいな角度で首というか腰を傾げつつ、彼を低い位置から見上げた。番長でもそんなメンチの切り方はしないだろう。
というか、そうだ。
彼の名は駒場というのだった。いかにも駒場という外見をしているのに忘れていた。
クラスメイトの名前を十月の初めにもなって思い出していると、駒場君は首だけで遊を振り向いて言った。
「確かにそうかもしれないね。だけど、浜崎さんが代弁する理由もないよね。急に会話に割って入るのは感心できないな」
「理由はないよ。ただ口が勝手に動いただけ。それに私たちが話してる時に割って入ってきたのは誰だっけ?」
「割って入っただなんてそんな。君らが気になってるけど聞けずにいることを、俺が代弁してあげてるんだからその言い草はないだろう」
「何言ってるのか分かんない。杏子ちゃん、別のとこ行こ」
遊は私の手首を腕をぐいとつまみながら言う。
引っ張ろうとはしない。あくまで私の意志を尊重したいらしい。
「カマトトぶるんじゃないよ浜崎さん」
それに対して駒場君は、語気を強くして遊に問いかけた。
「俺たちでさえ気になっている一葉姉妹のことを、君が気にならないわけがないんだ。好きの反対は無関心だぜ。そうやって君が銀さんの欠席に触れないでおこうとする度に、君と一葉さんの距離は離れていく一方だってことになぜ気が付かないのかな」
「逆に聞くけど、そんなずけずけと突っ込んできといて仲良くなれるとでも思ってるの? ちょっとは街に出てナンパの仕方でも勉強したら?」
遊は目をかっぴらいて首を大仰に傾げながら反論する。
怒ってるところは初めて見たけど、こうなるんだな。
しかし、こうなってくると遊の言う通り退散した方が良いのかもしれない。
それは私のためというよりは、遊の歯止めがきかなくなる前に駒場君から遠ざけておきたいという意図ではあるのだが、いずれにせよさっさと逃げた方がいいだろう。
そう画策している時だった。
「独立同盟、これは君たちに向けても言っていることなんだぜ」
唐突に彼は私たち全員に対して言うように体を向け、こう語りだしたのである。
「そもそも君たちは、一葉姉妹が「一人で二つの葉姉妹」だから同盟に組み込んでいるんだろう。それが友達である条件で、しかもその条件がともすれば破られてるかもしれないのに、どうしてそう平気でいられるのかな。何度も言うが、君たちは俺以上に一葉銀の欠席を気にかけているはずだ。なのになんで、そう黙りこくってるんだよ」
私はちらりと目で彼女たちの様子を窺う。
ネオは腕を組み、智はポケットに手を突っ込んで一部始終を静観していた。
加担するでもなく仲裁するでもない、中立の立場。
そして、遊も間に入ってはいるものの、銀が欠席したことついてはノータッチを貫いている。あくまで駒場君自体へのバッシングに主張を留めているのだ。
改めて、銀の欠席が私たちにとってかなりセンシティブな話題であることを痛感させられた。
それと同時に、やはりこんなところでペラペラと話すべきではないことを私は実感したのである。
「あのさ」
私が声を出すと、駒場君はぐるりと体ごと私に向き直って「何かな?」と人の良さそうな笑顔を向けた。
実験動物の挙動に、いちいち反応を示す研究員のように。
よくもまあ好奇心だけでここまで迫ってこれるなと私は若干の後ずさりをしたが、体は正面を向いたままきっぱりとこう言い放った。
「智たちにも言ってないことを、駒場君には言わないよ。でも、だからといって順番が来れば確実に聞けるとも思わないでほしい。結局、私は私が話したい人にしか話さないから。ごめんだけど、そういうことだよ」
駒場君はふうんと言って眉を下げた。
それがどういう意思表示なのかは分からないが、思っていたリアクションとは違った。突き放したら突き放したで、一層しつこく尋ねてくるんじゃないかと私は予想していたのだ。
そしてその追及を全力で跳ねのけることで、完全に諦めてもらうつもり、だったのだが。
「じゃあ、俺は遠遠さんから聞くことにするよ。本人の口から聞けないのは残念だけどね」
彼はネオを顎で示しながらそう言うのだった。
どういう話の流れだと一瞬思ったが、疑問はすぐに私の中で解消された。
「ネオは誰に対しても平等だから、ってこと?」
「その通り」
駒場君は私の言葉を受け取って、滔々と語る。
「彼女は誰に対しても平等に接する。誰のことも仲間外れにせず、ゆえに誰に対しても隠し事をしない。彼女の口にする言葉は全人類に向けて発せられる言葉であり、彼女が耳にする言葉は全人類に向けて発せられた言葉だ。つまり、君が独立同盟だけに内緒話をしようとしたところで、その場に遠遠さんがいる限りは内緒にならないというわけさ」
私たちは私たち同士でしかつるまないのでたびたび忘れかけている事実だが、ネオは彼の言う通り、度を越えた平等主義者である。
初対面の人間にも旧友のように接するし、先生に対しても同級生のように振る舞う。今ネオが駒場君と話すことがあれば、やはり私たちと会話する態度で接するのだろう。
そのネオを媒介に、私たちの会話を盗み聞きするというアイデア。
だが、やはり彼はネオの他人である。
ネオの分かりやすい特徴をうわべで理解しているだけで、彼のアイデアは核心から外れていたのだ。
「確かにネオは誰にでも平等だけど、誰に対してもフレンドリーってわけではないよ。ネオは話しかけられる直前に話していた人と、同じ扱いを次の人にもするだけ。素の状態のネオに話しかけても、駒場君はただのクラスメイトか他人として接されるだけだよ」
私はネオが出会った当初に言っていたことを想起する。
「いつどこで誰に対しても平等でいるのは不可能だろう。例えば誰に対してもタメ口を利くならそれは無礼な奴だし、誰に対しても敬語を使うならそれは慇懃無礼な奴で、どちらにせよとんでもなく失礼な奴に変わりはない。平等である以前に、人として終わってるんだよ。だから私は、平等の基準を部分的に緩和した。直前に話していた相手と平等に接するとしておけば、先生と話す前は誰とも喋らない時間を作ればいいだけだしな」
それが彼女の制約と、その向き合い方だった。
さて、ここから駒場君は何を言い出すのだろう。
ネオにも聞けないと分かれば、やっぱり照準を私に戻す? それとも……。
ここで彼は、天井を見上げ口を真一文字にした。
この教室にいる人の中で、最も表情が読めない顔をしている。
角度的に見えないのだろう、野次馬は相変わらずの調子でざわついているが、私は胸中がざわついていた。
沈黙が終えた後、次に私を向いた時に何を口走るのだろうか。
そればかりを想像していたのだが、彼は「うん」と三回言いながら私に向くと、こう続けたのだった。
「確かにそうだったね。失念していたよ。まあ、また気が向いた時にでも教えてくれたら嬉しいな。それじゃ」
彼は手を振りながら、私たちに背を向けて元の席に戻る。
即座に野次馬が駒場君の周りに群がったが、その中心で彼は手を振って追い払うようにしながら教室の真ん中あたりの椅子に着席した。
唖然とする。
なぜそんなにあっさりと引き下がるのだろう。
諦めてくれるのはいいけど、あまりに手応えが無さすぎて腑に落ちなかった。
すると、智はおもむろに廊下へ出て、招き猫のように手を動かす。
「集合」
今度はなんだ、次から次へと。
私は遊とネオと顔を見合わせながらお互いに頷き、三人で教室を出た。
「ドア閉めて」
続いての智の指示に、ネオは無言でドアを横に滑らす。聞こえてないとでも思っているのだろうか、ドアの向こうの騒がしさは閉める前よりも増していた。
「さて、だ」
智はポケットに手を突っ込み、後ろの窓に凭れつつこう言った。
「気付いてるかもしれないけど、駒場は諦めてないよ」
「……だよね」
私は溜め息をついた。
というのは、智の言葉に対してネオも遊もめいめいに頷いたからだ。
私だけが感じていた疑念ではなかったのである。
しかし、肝心なことは分かっていなかった。
「でも、駒場君はどうやって私の話を聞くつもりなんだろうね。盗聴器とかでも仕掛けるのかな」
「それなら盗聴器を仕掛けられないような場所で話せば済むけど、駒場にはもっと簡単な方法があるでしょ」
「簡単な話?」
「私たちが四人で喋ってる所に駒場が入ってくるんだよ。そしたらネオは駒場を独立同盟と対等であると見做して、さっきまで話してた内容を駒場にも言わないといけなくなるから」
なるほど、それは盲点だった。
話している所に混ざって堂々と聞く…………普通ならあまりに稚拙なスパイ行為だが、ネオが相手ならそれ以上に効果的な方法はない。
だが。
だからといって、ネオを会話から仲間外れにするにはまだ早い。
「でも、ネオはあくまで自分から話した内容を平等に話すだけでしょ? 聞く側に徹してる分には問題ないはずだよ。ね?」
私はネオに振り向きながら言う。
その緩和の理由も、出会った当初に本人から聞いたことだった。
彼女はあくまで、日常生活に重大な支障をきたさない範囲で自らに平等主義を課しているのである。
したがって今回の場合は、話者として会話に参加できないという支障はあっても、傍聴まで不可能というわけではないはずなのだ。
私はそう思っていた。
しかし、彼女は腕を組み、教室側の窓に凭れながらこう返したのである。
「確かにそうだが、私は囮になった方が都合が良いだろう」
「……え?」
困惑の声を漏らすと、ネオは視線を私に向けて続けた。
「つまりはこういうことだ。駒場は私のことをつけ狙うだろうが、逆を言えばその私がお前たちと接触しない限りは、お前たちの内緒話は守られる。私の面倒な平等主義を、これ以上に活用する方法はないだろう」
「でも」
「いいんだよ、杏子」
ネオは首を横に振る。
「私がお前の話を聞く時は、駒場と同じ時でいい。聞き役に徹するのなら、順番の前後は関係ないからな。それに、お前が駒場の存在を気にして話したいことも話せなくなってしまうのは最も忌避するべき事態だろう。私のことは気にせず、好きに話しておいてくれ」
彼女の目に皮肉は籠っていなかった。
ただ純粋に私たちのことを思って、その役柄に徹してくれようとしているのだろう。
だが、そもそも私がしたいのは会話ではなく報告だった。
銀の幽体離脱と、私の交際。
もう一葉姉妹が同一人物の状態を継続するのは困難な状況であり、これからは個々人として生活していくという重大な報告。
ゆえに、その報告に限ってネオを省くことは絶対に出来ないのだった。
癪ではあるが駒場君の言う通り、この話は独立同盟には絶対にしないといけないことなのである。
「それは駄目だよ。ネオにも居てもらわないと。誰か一人だけ仲間外れにするのは平等じゃないでしょ」
「そうは言ってもだな」
ネオはこめかみの辺りを掻きながら難しい顔をした。
遠慮しなくていい人が遠慮して、遠慮して欲しい人が遠慮してくれないから困ったものだ。駒場君を見習えとは言わないけど、友達なんだからそんなに遠慮しなくていいのにな。
だが、ネオからすれば友達だからこそ遠慮しているのだろう。
私たちは同じことを考慮していて、それが見事に食い違っているという状態。
これは説得するのに骨が折れるぞ。
私が参っている時だった。
「分かった。じゃあこうしよう。円陣組んで」
またも智は招き猫の手で、私たちを招集するのである。
今度はなんだと思いながら私たちが顔を突き合わせると、智はひそひそと作戦を語り出した。
聞き終わってみれば、流石は智だと頷かせるようなプランだった。
聞いただけではごく単純で、誰でも思いつきそうなアイデアなのだが、それが逆に功を奏している。作戦とは誰にでも伝わるような、単純なものでなければならないからだ。
それでいて駒場君の脅威は軽減どころか無効に出来るようなプランであったので、もはや反論の余地は皆無だった。
私たちは円陣を解き、それぞれのポジションに戻る。
「これなら問題ないでしょ。ネオの言い分も汲んでるし」
智は微妙に胸を張りながら言った。
「私は賛成だよ。文句の付け所は無いと思う」
「それはどうも。で、当のネオはどう?」
私はネオを振り向く。
彼女は腕を組みながら下唇を突き出して、またもや地面を睨んでいた。
それでもまだ、悩んでいるのだろうか。
ネオとしての意見はやはり、自分がその場に居ないことが一番で変わらないのかもしれない。
「ネオちゃん」
彼女を呼び掛けたのは遊だった。
遊はただ真剣な眼差しで、ネオのことを見つめる。
言葉はない。
ただそうやって見つめ合っていると、直後に授業開始一分前のクラシックが流れ始めた。
結局、ネオは何に作用されたのだろうか。
彼女は腕を組んだまま肩を上げ、ストンと落としながら短く息を吐くと苦笑し、観念したようにこう言ったのである。
「分かったよ。全く、お前らも大概変わった人間だな」
「どこが。友情を大事にするのは普通でしょ」
智は窓から背を離して、教室のドアを開ける。ドアの向こうの喧騒は一瞬だけ大きくなったかと思うと、また静かになった。聞き耳を立てるためだろう。
「じゃあ、また後でね。杏子」
智はあえて大きめの声でそう言い、それに続いて遊とネオもめいめいに別れの言葉を言いながらA組に入る。
私は返事をすると、廊下を歩いてひとりB組の教室に入った。
予想していたことだが、ここでもA組と同じ様な反応があった。
生徒のざわめき、噂話、集中する視線。
ただ一つ違ったのは、話しかけてくる人間が誰も居なかったことだ。
授業開始一分前だからかもしれないが、何はともあれ助かった。
私は窓際の一番後ろの席に座り、カバンを机の横に掛ける。
……やっぱりというか、そうだよな。
私はクラシックと話し声の混ざった不協和音から耳を遠ざけつつ、智がさっき言っていたことを思い出す。
「私たちが四人で喋ってる所に駒場が入ってくるんだよ。そしたらネオは駒場を独立同盟と対等であると見做して、さっきまで話してた内容を駒場にも言わないといけなくなるから」
確かに私は、独立同盟に銀の欠席についてであったり、その他諸々を話すつもりだった。
だが、それは彼女たちに一言も言っていない事項である。
それにも拘らず、私が駒場君に言い渋っていた内容を三人は初めから聞くつもりで話を進めていた。
つまり、智は私が銀の欠席理由を当然話すという前提で話を進めていて。
それに対して遊とネオは一切突っ込まなかったのである。
「…………」
刺すような視線の中、私は黙々と授業の支度をする。
四時間目のチャイムが鳴った。