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学校(6)

「消されたって、落合君が?」

「そう。死んだとか殺されたじゃなくて、落合が消されたんだとしたら居場所は永久に分からないでしょ」

 私は腕を抱え、思案しながら並行して話す。

「人が消される、っていうのがイメージできないな。現に落合君は私たちの前から姿を消してるわけだけど、それとは違う意味ってことでしょ?」

 行方不明とか失踪の話をしながら、それを消えたと比喩することは一度としてなかった。

 だからこそ特別の意味があって消えたと表現したのだろうけど、人が消えるって……行方を眩ます以外にあるだろうか。

 などと考えていると、智は私の質問を無視する形でこう問い返した。

「【消し屋】、って知ってる?」

「知らない」

 定価と同じイントネーションで発されたその単語を、全くと言っていいほど私は知らなかった。

 だが、何も知らなくてもどんな意味を示す言葉であるかは一目瞭然である。

「知らない……けど、何かを消すお店ってことだよね。名前の通りなら」

「その通り」

 智はこくりと頷くと、「ただし」と言って人差し指を立てながらこう続けた。

「一つ訂正を加えるなら、「何かを消す」じゃなくて「何でも消す」業者って言った方が適当かな」

「何でも消す」

 私は復唱する。

 それだけ聞くと洗剤の売り文句みたいだけど、業者というからには清掃業者の話なのだろうか。なぜ今その話をしたのだという疑問はあるが。

「ネットで得た情報だから、雑談と同じくらいの信憑性だと思って聞いてほしいんだけど」

 智はそう前置きすると、次のように続けた。

「書いてあったことが確かなら、下は台所の油汚れから上は廃墟と化した大病院まで、本当になんでも消失させられるらしい。ちなみにこの消すっていうのはかなりドラスティックな意味合いで、瓦礫さえ残さず、最初から何も無かった状態にまで消してしまうんだって」

 聞き終わった私の消し屋に対する印象は、清掃業者から解体業者に変わっていた。

 解体業者が台所汚れなんて落とすのかと思ったけど、そこは台所ごと油汚れを解体除去するという智のレトリックなのだろうと勝手に補完して聞いていた。

 だが、ここで一縷(いちる)の疑問が降って湧く。

 消し屋という単語が出たのは、「人が消される」という文脈に沿う形だったはずだ。

 ならば消し屋への印象は、清掃業者からはまた変わってしまう。

 なぜなら私は、人を消す業者なんてまるで聞いたことが無かったからだ。

「それ……分類的にはどういう業種なの? 特殊清掃とはまた違うんだよね。特殊清掃業者が病院の発破解体をするっていうのも、ちぐはぐな感じだし」

 智は一つ間をおいて、「清掃をする仕事っていうイメージからは離れた方がいいかな」と言った。

「掃除って、つまるところ右にある物を左にしたり、上にある物を下に片付けるって意味でしょ。そういうのじゃなくて、消し屋は物質を有から無にする業者なんだよ」

「……え?」

 何気ない風に言った智の言葉は、想像を絶するものだった。

「有から無にって、有から無にってこと?」

 困惑を極めてこんな頓珍漢なことを口走ったくらいである。だが、それ以外に疑問を口に表すことができなかった。

「質量保存の法則はどうなるんだ、って思うよね」

 ところが智は的確に私の疑問を翻訳して、疑問に対する回答までしてくれた。

「これも当然ウワサではあるんだけど、どうやらその法則を無視する形で仕事をするんだって。まあ、科学的に有り得ないワケだからこの時点で、都市伝説の疑いは濃厚になったと思うんだけど、逆を言えばそんな噂が立つぐらいに卓越した技術を持つ業者なのかもしれないということだ」

「……それって、技術的な云々もそうだけど、倫理とか法律的にどうなの? 無機物ならまだしも人を消すって、例えそれが死体であったとしてもアウトな気がするんだけど」

「表立って仕事が出来ないのは確かだね。だから都市伝説になる」

「……」

 なんだか、一種の怪談でも聞かされているような気分になってきた。

 ありもしない消し屋という存在を囃し立てて、あらゆる行方不明者の失踪の原因とする……ちょうど天狗信仰とか神隠しの、伝説の類ではないのだろうかと。

 ただし、都市伝説と伝説には大きな違いがある。

 伝説の多くはその正体が後々に科学によって暴かれるのに対して、都市伝説は科学によっても暴かれない類のものなのだ。

 例えば天狗の正体は調査によってただの人攫いであったことが現代において暴露されているが、都市伝説はそういった現代の調査によっても暴くことのできない性質だからこそ謎めいたままなのだ。

 言わずもがな、消し屋は後者である。

 そうなってくると、一概に侮れなくなる。

 現代の科学で解明されない謎というのは、つまるところ現代の科学力を凌駕した存在とも考えられてしまうからだ。

 あつまさえ、落合君がその毒牙に掛けられているかもしれないというのだから剣呑だ。

 明日は我が身ではないが、背筋が冷やりとする感覚がする。

「その消し屋に、落合君が消されたかもって話だよね?」

 私は確認のため、今一度智に問う。

 智は口を開かずに「うん」と言った。

「それは死体を消されたのかもしれないし、あるいは生きたまま消されたのかもしれないけど、いずれにせよ消されたのなら落合が見つかることは永久にない。無事か無事でないかの確証が永久に付かないまま先に私たちが死ぬことになるだろう」

 そして鼻で息を吸ったかと思うと、こう言い終えた。

「そうなる可能性があるから、延々と落合を探すよりは犯人を捜した方が効果的だと私は思うんだよ。罪を受けるべき人間が罪を受けないまま野放しにされてると、第二第三の落合が出ないとも限らないし」

 智の言っていることは至極真っ当だと思った。

 というより、もう少し踏み込んで考えればその落合君自身が第二第三の誰々であり、一連の誘拐事件に全て共通する諸悪の犯人が数十年にもわたって逮捕されていない可能性なども考えると安易に外出しようとは思えなくなるはずだ。

 ならばやはり、事件にとっていちばん大事なのは被害者の無事ではなく、加害者の断罪なのだろうか。

 しかし、私の思考は一連の文脈とは無関係に別の結論を弾き出していた。

「仮に消し屋というのが本当に存在するんだとしても、落合君は消されてないと思うな」

 私が言うと、智は口をぽかんと開けて「何を藪から棒に言っているのだこいつは」という面持ちになって、「どうして?」と尋ねた。

 すると私は、あらかじめ頭の中にあった文章をそのままに読み上げた。

「だって、もし落合君が既に存在を消されているんだったら、私たちは落合君の話をしてないはずでしょ」

 その時である。

 挟み込むように、キンコンカンコンと間延びしたチャイムの音が鳴る。

 そこでやっと私は三時間目が終わったことを確認し、智に目を向けた。

 そしたら、智は何かを言いかけたように口を開けていたのだが、私が目を遣ると同時に口を紡ぎ、かと思うとカバンを拾い上げて台から立ち上がった。

「行こうか。さすがに四時間目までサボるわけにはいかないし」

 そう言って彼女はそそくさと教室を去ろうとする。

 私は慌ててカバンを肩に掛けると「机はこのままにしといていいの?」と台を指差すが、彼女は振り返らずに「面倒だしそのままでいいでしょ」と投げやりに言った。



 私たちは旧校舎を裏口から出て(このとき施錠はしなかった。ピッキングは鍵を開けることは出来ても閉めることは出来ないのだろうか)、新校舎を堂々と玄関から入ると階段を上って二年A組を目指した。

 ここに来るまでの途中で、とりあえずはネオと遊に合流しようという話になったのだ。休み時間に友達で集まって話そうという、ごく普通の発想である。

 ごく一般的で、代表的な女子高校生の休み時間の過ごし方。

 だが、私が教室に入った時の生徒の反応といったらなかった。

 賑やかに騒いでいた男子に女子は私が教室に入るや否や、一斉にこちらを向いて静まり返り、かと思うと横目で私を見ながら先ほどとは違ったざわめきを形成するのである。

 高い声から、低い声へ。

 聞き取れる音量から、聞き取れない音量へ。

 雑談から噂話へ、会話の内容はシフトしていた。

 自意識過剰ではない。

 ここに来るまでの廊下ですれ違った人からも、私は噂されていたのだ。

「本当に一人で登校してきたんだ」

「どういう風の吹き回しだ」

「しかも片方は遅刻で、もう片方は欠席なんて」

 大体こんな具合である。

 目立ちすぎないようにと抑えていたつもりだったが、一葉姉妹はかなり有名になっていたようだ。

 無論、嬉しくはない。

 これは一葉姉妹が同一人物「ではなくなった」のではないかという意味の注目だからだ。

 同一人物をやめたがっている杏子なら喜ぶだろうけど、当然私は真逆の感情を募らせていた。

 つまり、不愉快である。

「【一人が二つの一葉姉妹】は伊達じゃないな。片方だけで登校してきたってだけで、もうビッグニュースだ」

 智は開いたドアの枠に凭れかかって、そう呟いた。私たちはA組の熱狂的な注目に気圧されて足踏みしていたのだ。

 というか、なんだその呼び名は。

 一人が二つの一葉姉妹って、呼ばれたことはもちろん聞いたこともないけど。

 智に説明を求めると、彼女は「知らなかったの?」と言って、ブレザーのポケットに両手を突っ込みながら教えてくれた。

「あんたら二人のあだ名だよ。一人が二つ存在している……まあ要は、一葉姉妹が同一人物みたいに瓜二つだっていう意味のあだ名だ」

「あだ名って、私はその名前で呼ばれたことないのに?」

「確かにあだ名は違うかな。なんだろう、耳馴染みはないと思うけど、異名とかに近いのかも。そんな感じ」

「異名って……」

 私は無関心そうな智と有関心そうな生徒を交互に見ながら、どちらが自分の見られ方として正しいのだろうなと思っていた。

 智は友達であり、他のみんなと比べてよく知り合った仲だけど、客観性という点においては興味深そうにこちらを見る彼らの反応のほうが正しいのかな、など。

「よっはー」

 私の思考は、突如としてその気の抜けた声にかき消された。

 急な呼びかけにびくりと肩を震わせつつ声のした左に目を向けると、遊が手をぶらぶらと振りつつ歩いてきたのである。その後ろにはネオが腕を下の方で組みながらついてきていた。

「おはよう。それはそうと私を驚かせたんだから、その二つ結びを引きちぎられるだけの覚悟はあるって捉えていいんだよね?」

 横から智に「織田信長かよ」と突っ込まれた。二対一だ。分が悪い。

 しかし、妙なことに遊からの返事はなかった。どころか歩を止めると同時に表情も固まり、私の肩あたりを引き攣った笑みのまま凝視しているのだ。

 肩。

 肩に何かついてるのだろうか……というところで、遊は遠慮がちにこう言った。

「じゃあ、杏子ちゃんは智を驚かして、後ろ髪をペナルティとして切られたってこと……?」

 めちゃくちゃな誤解をされていた。なるほどな、髪を切っていたことを忘れてた。

「ちがうちがう。これは自分で切ったの。セルフカットだよ」

「セルフカットっていうか髪後ろで括って切っただけでしょ……? そんな小洒落たワードを軽々に使っていいような所業じゃないと思うんだけど……」

 遊はかなり引いていたようだが、やがて何か決心したように頷いて背後のネオに背を向けたまま言った。

「分かった。みなまで言わなくていい。私も杏子ちゃんの奇行を追体験することにするよ。そしたら気持ちが分かるだろうから。ところでネオちゃん、髪切りたくない?」

「その流れでネオが切られるんだ。ていうか、剣道部にハサミ向けちゃ危ないでしょ。取り上げられたらおしまいだよ」

 私は後ろ髪を人差し指で弄りながら忠告する。

「大丈夫! ちゃんと取っ手が相手側になるように渡すから」

「切ってもらう意味だったのね。日本語って難しいな」

「刃物は要らん。この手二つあれば事足りる」

 するとネオは遊の二つ結びを後ろからむんずと掴む。

 遊は余裕のない笑みを浮かべながら、中途半端に後ろを振り返った。

「……冗談だよね?」

「私が冗談を言うような女だと思うか」

「いや、割と冗談言う方っていうか、冗談しか言わないというか、ネオはそういう役回りだった気がするけど……」

「心外だな。私はボケる役としてボケたことなど今まで一度もないぞ。私はいつだって素の私だ。私を信じてくれ」

「頼むから冗談だって言ってよ。今ならまだ間に合うから」

「私は相手を散々虐げた後に冗談だと言い訳する輩が一番嫌いだ。やるからには本気でやるし、罰は潔く受けよう。だから冗談だなんて言ってくれるな。私はマジなんだ」

「それ、潔いっていうか開き直ってるだけじゃ……」

「黙れ。ちょっとばかし可愛らしいからって何でも言っていい訳じゃないぞ。自分の立場を考えろ」

「いま可愛いって言った?」

 ネオは謎に怒気混じりの声を出して、遊はパっと笑顔になりながらネオを振り向く。

 そのコントラストを私は「なんか北風と太陽みたいだね」と形容し、智はブレザーのポケットに手を突っ込んでパタパタさせながら「この場合は太陽が風前の灯火だけどね。まだ髪掴まれてるし」と言った。

 いつも通りの散らかった会話。

 そういう風に教室の隅で和気あいあいとしている時だった。

 実際のところ、私はその人影がこちらに近づいてくるのを視界に捉えてはいた。

 だがそれは私たちに向かっているというよりも、私たちが一向にドアの前に居るものだから辛抱堪らず、間を通って教室を出ようとしているのではないかと思って、道を開ける準備さえしていたのだ。

 しかし、その気遣いは杞憂に終わる。

 そもそも、教室を出ようというのなら後ろのドアから出ればいいのだ。特にA組は廊下のいちばん端に位置するのだから、わざわざ前のドアから出る必要はない。

 そう私が気づいた頃には、彼はすっかり私たちの輪に溶け込むぐらい接近して、こう呼びかけたのである。

「一葉さん」

 指名だ。

 私は背筋がピンと伸びた。

 とは言っても、私は彼の性質を熟知していたわけではない。

 短髪で糸目が特徴的であるという記憶以外には苗字さえ思い出せない、ただのクラスメイトである。

 そして、問題なのは彼自身というより、彼が私に話しかけてきた瞬間の教室の変貌ぶりであった。

 さっきまでガヤガヤと騒々しかった教室はシンと静まり返り、生徒の全員が全員、黙りこくって真剣にこちらを注目していたのである。

 さも何かの出し物かのように。

 舞台上の私たちを観客席から、遠慮容赦なく怪しむような視線を注いでいたのだ。

 その迫力に気圧されていると、代わりに智が横から聞いてくれた。

「この子に何か用?」

「うん、一葉さんに用があるんだ」

 彼は私から目を離さない。

 私以外のことは眼中に無いとでも言わんばかりに。

「……用って?」

「聞きたいことがあるんだよ。いいかな」

 その時点で大方の予想は付いていたが、私は最後まで彼に言わせることにする。

「聞く分にはいいけど、答えるかは分からないよ。それでもいい?」

「じゃあ」

 彼は壁時計の方を一瞬向いて、「手短に」と前置くとこう言った。

「銀さんは、今日なんで学校を休んだのかな?」

 予想通りである。

 私はかねてからプランニングしていたごとく、憑依を中断して杏子に肉体を明け渡したのだった。

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