交通事故と因果関係
昼休みが終わり事務室の机に着いて、すぐのことでした。大きな衝撃の波動と、それを装飾するようなガラスの破砕音が耳に届き、悲鳴と靴音がロビーに響きました。何が起こったのか、俄かに理解はできませんが、只事でないのは明らかです。
事務室から窓口に駆け寄って、カウンターの内側から騒然となったロビーの様子を目の当たりにしました。
外来患者たちが正面玄関に押し寄せ、たちまち人垣ができました。警備員がそれを掻き分け、男性事務職員が待合席に戻るよう促しています。上下青色の術衣姿の医師たちが玄関の外に駆け出して行き、間もなくストレッチャーに乗せた人物を、心臓マッサージを施しながら救命センターに運び込みました。ニュースで見るテロの現場をバルコニー席から眺めているような感覚でした。
あとから知った仔細はこうです。
妻を助手席に乗せて受診に連れて来た68歳の男性の運転する乗用車が減速せずに正面玄関の車寄せに進入し、前方のバスに追突。乗用車はバスの車体の下に潜り込むようにして大破しました。
助手席にいた妻 福原佳子さん、64歳はエアバッグに守られ軽傷で済みましたが、運転していた夫 福原一郎さんはエアバッグとシートの間から引き出された時点で心停止しており、救命センターで蘇生措置を受けましたが2時間後に死亡しました。
幸いバスは発進直後だったため、衝突の勢いが減殺され、車体の後部がへこみましたが乗客に怪我人は出ませんでした。
気の毒な事故でしたが、事故対応をした総務課から「バスの修理費は死亡した男性の自動車保険から下りる」と聞きましたので、それならば医療費の問題も起こらないはず、つまり私の出番はないと思っていました。
ところがその総務課がこう言ってきました。
「うちの正面玄関の自動ドアにも破片が当たって破損したんだけどね。その修理費も損保に請求しなくちゃならないから、どうせ医療費の請求もするなら、一緒に交渉してよ」
「待って下さい。医療費と物損は別物ですよ。それに医療費だって未収になれば私の担当ですけど、現時点では未収になるとは限らないし」
「未収になってからじゃ遅いでしょ。いつも水野さんがそう言っているじゃない。頼むよ」
結局、体良く押し付けられました。何かと理屈をこじつけて他部署に丸投げするのが、うちの総務課のずるい体質です。
「それは総務課の仕事だろう」
と言って東氏は顔をしかめましたが、押し付け体質は総務課長も務めていた東氏の残した悪弊なのです。
意に染まなくても、いったん自分の仕事と受け止めた以上、ぐずぐずしても良いことはありません。総務課から教えられたヤマト損害保険の宇山さんに電話したところ、この女性は物損の担当だそうで、「まだ事故の概要も把握していないので、明日以降にこちらからご連絡します」と言われました。確かに気が早すぎました。
この間にカルテを改めたところ、多発外傷、肋骨骨折、肺挫傷、右下腿骨折、と痛そうな傷病名が並ぶ中、脳梗塞という、やや毛並みの違う病名が併記されていました。おや、と思ったそのことが本件の行方を左右する鍵となろうとは、このとき思い至りませんでしたが。
二日後にヤマト損害保険の人身事故担当の田辺さんという男性から私に連絡が入りました。田辺氏は眉を寄せた表情が思い浮かびそうな、困惑した話し方でこう言いました。
「当社としてはお支払いの用意があるのですが、実は今回の件は交通事故と認められないという見解が寄せられまして」
意味が分かりませんでした。田辺氏は説明に苦慮した様子でしたが、どんなに苦慮されても分からないものは分かりません。無言で説明の続きを促しました。
「助手席にいらした奥様からお聞きしたのですが、所管の城北警察署が、病院敷地内での事故だからという理由で交通事故として取り扱っていないらしいのです」
「ええ!?確かに公道ではありませんけど、車とバスが衝突して、乗っていた人が亡くなったのですよ。あれが交通事故でなくて何だと言うのですか」
「いや、私どもも常識的な感覚としてはそう思うのですが、何にせよ、警察が交通事故として取り扱わない以上、交通事故証明書が発行されないものですから、どうにも動きようがないのです」
「と言うことは相手のバスの修理費も出ないのですか?うちの病院も入口のガラスと壁に損害を受けたのですが」
「物損に対する補償は交通事故証明がなくてもお支払いします。弊社から修理業者に直接お支払いすることもできますので、物損担当の宇山からご案内させますが」
物損であれば『交通事故』ではなくても、契約者が他者に与えた損害として補償対象になるのだそうです。ただし、それが人身となると事情が違う、とのことでした。
もやもやした気持ちの残る釈然としない理屈でしたが、田辺氏に言いがかりをつけたところで始まりません。
当院の敷地内で起きた事故ですので、城北警察署はまさに当院の所在地の所轄署でもあります。詳しい事情を尋ねても不自然ではありません。交通捜査係に問い合わせて、担当の宜保氏とやり取りしました。
「お世話になります。京北大学病院の水野と申します。先日うちの正面玄関で起きた事故について、城北署さんが交通事故ではないと判断されているとヤマト損害保険さんから聞いたのですが」
「ああ、私有地内での事故ですから道路交通法の適用外です。物件事故になりますね」
「当院の敷地には違いありませんけど、ご承知とは思いますがバス停もあるバス路線の一部です。タクシーも一日中入って来ますし、車のためのスペースですので実質的に道路と同じだと思いますが」
「車のためのスペースという意味では、スーパーの駐車場での事故と同じですよ。駐車場での事故は交通事故にはなりませんので」
「ですが、今回は運転者が死亡しています。ただの物損事故と同じとは思えませんが」
「死傷者が出ても同じことです。それに今回亡くなった福原一郎さんは事故死ではありませんし」
事故死ではない?何を言っているのだ、この警官は。あれが事故死でなければ一体何死なのだ。
「事故死でないとはどういうことでしょう?」
「病死でしょう」
病死?ますます意味が分からなくなりました。
「病死ですか?患者さんは衝突の衝撃で全身に外傷を負って、肋骨や足を骨折しています。これらが死因であることは疑いないと思いますが」
「死因の究明はむしろ医師の仕事の範疇だと思いますが、福原一郎さんは事故直前に脳梗塞を起こしていたようです。おたくのドクターも監察医もそう言っていました。脳梗塞が事故を引き起こし、全身に外傷を負って死に至った。そういうことではないでしょうか」
ここで脳梗塞が出てきました。
確かに近年、運転中に脳卒中や心筋梗塞、あるいはてんかん発作などで急に意識を失ったり、体の自由が利かなくなったりして、深刻な結果に至った事故の報道を耳にするようになっていました。これまでなら居眠り運転で片付けられていたような事故が、CTやMRIなどの画像技術の進歩や解剖データの蓄積などから、運転中の体調の急変によるものが多く含まれていることが明らかになってきたのです。
とは言っても福原さんの場合、病死は飛躍し過ぎです。事故の原因が病気の発症であったとしても、死亡の原因まで病気に押しつけるのは行き過ぎとしか思えません。『交通事故』の定義に合わないからと言って、あまりにも杓子定規な扱いです。
「警察署の成績を落としたくないんだろう。管内の死亡事故数が増えると見栄えが悪いからな」
東氏の他人事のような所感にも頷けるところがあります。
それでも医療費の支払いはしてもらわない訳にいきません。気の毒に思いましたが、助手席に乗っていた患者の妻、福原佳子さんを呼び出して窓口で話をしました。
佳子さんは、さすがに落胆した表情でしたが受け答えは冷静で、予期せぬ不幸をきちんと受け止めている様子でした。気丈なものでした。
「この度は京北大学病院さんには大変なご迷惑をおかけしました。もっと早くお詫びに伺わなければいけなかったのですが、こちらからご連絡もせず、本当に失礼いたしました」
「いいえ、とんでもない。突然のことで、さぞお力落としのこととお察しいたします。電話でもお話しした通り、本日お運びいただいたのは医療費についてです。お気に障ることをお聞きするかも知れませんが、どうぞご容赦下さい」
「それは当然のことですので、どうぞご遠慮なく」
「警察は今回のことは交通事故ではないという見解のようですが、それはお聞きになっていますか?」
「聞いております。脳の血管に血の塊が詰まって、急に意識を失って運転を誤ったのだろう、とのことでした」
「奥様もそうお思いになりますか?実際に事故の瞬間まで一緒にいらして」
「主人とは事故の直前まで普通に話をしていました。脳梗塞を起こしたとは少なくとも気がつきませんでした。その場にいなかった方から『脳梗塞を発症していた』と言われても、正直なところ違和感はあります」
もっともだろうと思いました。
「ですから、一緒に怪我をした私の治療費も自動車保険からは下りないのだそうです。警察からは、主人を加害者として訴えるしかないと言われました」
心ないことを言うものです。それが本当に警察署の死亡事故発生件数の調整であったとしたら遣りきれません。
ただ、一郎氏が病死、佳子さんはその巻き添えで受傷したのであれば、問題なく健康保険が使えます。
「事故を起こしたのは紛れもなく主人ですので、しかたのないことだと思っています。病院には損害をかけましたが、誰かほかの人を死なせたり、怪我をさせたりしなかったことだけは良かったと思っています。そんなことになっていたら取り返しがつきません。
ただ、本当に脳梗塞を起こしていたのなら、むしろ幸いだったと思っています。主人は胸や足が潰れて、全身血だらけでした。体中を打ちつける前に意識を失っていたのなら、あるいは痛みや苦しみを感じずに済んでいたかも知れませんから」
悲痛な救いでした。変わり果てた肉体が、長年見慣れた夫の姿とどう重なったでしょうか。
避け得なかった魔の一瞬で、過去と未来が真っ二つになる。交通事故とはそういうものです。
血栓が事故を引き起こしたのか、事故が血栓を飛ばしたのか。その因果関係はもはや誰にも分かりません。
因果関係…。
ちょうどこの頃、私が足かけ3年に渡って扱っていた、別の交通事故の未収案件が大詰めを迎えていました。一昨年の6月に事故に遭い、救命センターから脳神経外科に転科して、計7回の入退院を繰り返し、現在も通院中の関口義友さん。34歳の男性です。
事故そのものは、青信号で横断歩道を渡っていた患者を右折車が撥ねたという、争う余地のない過失ゼロの状況でしたので、入院費も通院費も病院から損保に直接請求していました。
ところが7回目の入院費を請求したのち、損保から病院に『ご通知』と称した、以下のような趣旨の文書が届きました。
①請求書類に添えられた診断書、損保から適宜求めた主治医の意見書やレントゲンの所見から、患者は4回目の入院を終えた時点で、すでに症状固定の状態にあったと思われる。
②したがって5回目以降の入院費および通院費の支払いには応じられない。
③傷病名に記載されている脳脊髄液減少症は事故との因果関係が明確でない。
症状固定とは、標準的な医療ではこれ以上の大きな改善が望めない、と診断された状態のことです。症状固定した時点で慰謝料などの補償金が支払われて示談をするのが一般的で、後遺障害が残っていれば、その内容や程度によって年金や一時金が加算されます。交通外傷は原則として健康保険が使えませんが、症状固定後の治療費は、言わば患者自身の痼疾として健康保険の給付対象になります。
ただし、症状固定したか否かの判断は医師の専権事項です。損保の嘱託医が書類や画像から判断したものと思いますが、主治医を差し置いての判断は僭越です。
寝耳に水の通知を受けて調べてみると、確かに昨年の4回目の退院後の通院費も5回目以降の入院費も損保から振り込まれていないことが分かりました。通知を受け取るまで気がつかなかったのですから、こちらも迂闊でした。
それにしても一方的な話でした。5回目以降の入院費についても損保から請求書類一式が送られてきており、それに応じる形で医療費を請求しています。いわば両者の合意に基づく商取引です。それを反故にするとは少なくとも信頼関係を裏切るやり方です。
抗議の意味も含めて加害者の加入損保、関東海上火災保険の担当者である和泉氏に詳細の説明を求めました。
「京北大学病院の水野と申します。関口義友さんについて今般届いた『ご通知』の件で電話させていただきました」
「社の決定でしたので唐突な『ご通知』という形になり、大変失礼いたしました。あらためて貴院に伺って、ご理解を請うつもりでおりました」
「どういうことか、ご説明願えますでしょうか」
「はい。ご承知のように関口様は一昨年の6月に弊社の契約者の運転する車両との接触で受傷されています。これについて、弊社が契約者に代わって誠実に補償を行う方針に変わりはありません」
「『ご通知』は、その方針が変わったということですか?」
揚げ足取りの皮肉を言ってしまいましたが、和泉氏もさすがに渉外担当のプロですので、その程度で口調を乱すことはありませんでした。
「治療効果が出ている間は当然治療費のお支払いはいたしますし、関口様が休職されている間の生活費等の補償も示談を待たずに行っております」
「では何を以って、一年も遡って症状固定と判断されたのでしょうか?」
「貴院からいただいた診療報酬明細書を拝見すると、3回目の入院までは開頭手術や右下腿骨折の手術やリハビリ等、積極的な治療が行われていましたが、4回目以降は投薬の内容も一定し、症状が安定してきたことが窺えました。このため弊社の顧問医の意見書を持参して、主治医の安部先生に面談させていただき、医学的にも治癒と言える状態に至っていることには同意をいただいております」
「ですが、実際には症状固定を転帰に記した診断書はまだ出ていませんよね」
「それは、おっしゃる通りです。ですが、症状固定の時期もさることながら、弊社が重視しているのは直近3回の入院が脳脊髄液減少症に対するブラッドパッチが目的であったことです」
脳脊髄液減少症。以前は低髄液圧症候群と言っていた時期もありましたが、脳や脊髄の周囲を満たす髄液が漏れて減少し、頭痛や眩暈、神経痛など多くの症状を引き起こす疾患です。体を司る中枢神経にかかる圧力が変化するのですから、体中に変調を来すのも想像に難くありません。
この病気(病気と分類することにも議論があるようですが)にはブラッドパッチという治療法が有効とされています。副作用の少ない自分の血液で、髄液の漏れる穴にかさぶたを作って栓をする、という分かりやすい理屈の治療です。ブラッドパッチの手技料(技術料)は自費ですが、投薬や処置など、入院に係るその他の費用は健康保険が使えます。(ただし、関口さんの場合は交通外傷なので、すべての費用が自費です)※
関東海上火災保険の和泉氏は続けました。
「この病名は5回目の入院で初めて出てきました。貴院からの診断書と診療報酬明細書を受け取って分かったことです。この症状は事故後1年以上経過してからの訴えですので、弊社としては事故との因果関係が認められないという見解です。主たる治療が脳脊髄液減少症に移った以上、交通外傷に対する積極的な治療は一段落しているものと考えた次第です」
「ですが、脳脊髄液減少症は外傷が原因で起こることがよく知られています。前年に交通事故に遭っているのですから、それが原因と考えるのは自然ではありませんか?」
「そこは私どもの判断できるところではありません。ただ、医学的に明らかな関連が認められない限り、それは別物と考えざるを得ないということです」
決めつける箇所と判断できない箇所とを都合よく使い分けている印象は否めませんでしたが、因果関係があると私に説得できるはずもありません。だから攻め口を変えてみました。
「御社は関口さんの6回目と7回目の入院費やその間の通院費についても請求書類一式を当院に送って下さっています。であるなら、まずは当院に医療費を支払っていただき、その後で御社と関口さんとで話し合って、示談金で相殺するのが筋ではありませんか?」
「おっしゃることは理解できます。病院への『ご通知』が遅れたことは申し訳なく思っております。ただ、ご存じと思いますが、いかに対人無制限と言っても青天井にお支払いできるわけではありません。関口さんの場合、この2年以上に渡る自費治療費、個室の室料差額、休業補償、慰謝料の仮払い、通院のためのタクシー代などですでに補償の上限を超えつつあります。4回目の入院を終えたところで症状固定とすれば、慰謝料をお支払いする余力が残りますし、それ以降の治療費はブラッドパッチの手技料を除いて健保適用になりますので、これは関口さんのためでもあると弊社では考えております」
ものは言いようです。ただ病院も「室料差額はどうせ損保が支払うもの」と、患者が希望すれば個室に入れて一日2万円の室料差額を請求してきました。もちろん医療費は健保を使わない自費計算ですから、患者を追い詰める一因を作ってしまったことになります。
和泉氏との電話を終えたあと、主治医の安部医師にも尋ねてみました。
「脳脊髄液減少症ねぇ…。実際には事故が原因だと思いますけどね。ただ交通事故の患者さんに多いという報告はあっても、現時点でそれを医学的に証明できるか、となると難しいですね。
関口さんの場合、確かに昨年あたりから脳脊髄液減少症によると思われる頭痛や手足のしびれが主訴になっていますね。それ以外の症状は安定しているから、脳脊髄液減少症と事故との関連がないのであれば症状固定と言えなくはない、とは保険会社の人にも言いましたけど」
損保としては、ニュアンスの違いを柔軟に包み込む解釈で値千金の証言を得たことになります。
やはり関口さん本人と話をしなくてはならないようです。電話をかけると、当然ながら関口さんも損保からの最後通牒を受けていたらしく、「ちょうど明日受診があるので、帰りに窓口に寄ります」と答えました。
関口さんとは初対面ではありませんでした。これまでも医療費の請求に際して何度か顔を合わせていましたので、人となりや置かれた状況は大よそ把握していました。
介護関係の仕事に就いていましたが、まだまだ先の長い若さで事故に遭い、損保から支払われる休業補償で年金暮らしの父親と二人で暮らしていると言っていました。復帰の見通しが立たないどころか、将来は自身が介護を要する体になるかも知れないのです。落ち着いた話のできる人ですが、会うたびに表情が暗くなっていくのが分かりました。
「支給を打ち切ると関東海上から最初に連絡があったのは半年ぐらい前です」
窓口に来た関口さんは事情を語り始めました。
「頭痛も足のしびれも治ってないのに、『治癒』しているから、もう治療費は払えないと言われました。初めは言っている意味さえ理解できませんでした。当人が現に苦しんでいるのに、他人から、しかも加害者側から『もう治っている』と言われるなんて夢にも思いませんでした。どうしてそんなことをあなた方が判断できるのかって、言い合いになりました。悔しくて腹が立って、さらに体調が悪くなったほどです」
鬱積していたものが堰を切ったようでした。口を挟むのは控え、私は聞き手に徹していました。
「医学的に証明できないと言っても、事故に遭う前はこんな症状はなかったのですから、私自身の実感として事故が原因としか思えないんですよ。それなのに因果関係を証明できなければ事故との関連性なし、ではあまりに理不尽です。医学的に証明できないものをどうやって被害者に証明しろと言うのでしょうか」
それはそうだと思います。因果関係を明らかにできないからと言って、「それはあなた個人の病気でしょう」と言われては、やり場のない不条理を感じることでしょう。
「私が納得しないから、病院に通知を送るという強硬手段に出たのでしょうね。弁護士にも相談して、今は裁判も考えています。すみませんが、もう少し待っていただけないでしょうか?」
裁判。結論が出るまで何年かかるか分かりません。そのことばが出た以上、話し手に転ずるしかありませんでした。
「お気持ちは十分に想像できますが、裁判となるとひと月やふた月で終わるものではないはずです。裁判をなさるかどうかは関口さんのご判断次第ですが、申し訳ありませんが、その結果をお待ちするわけには参りません。病院としては損保が支払わない以上、患者さんご自身に支払いをお願いするしかありません。どうぞご理解下さい」
これだけは、はっきり伝えなくてはならないことでした。同情はしますが病院はあくまで事故に関して第三者です。当事者間に立ち入ることはしません。
患者が払うか、損保が払うか。気の毒ですが、それだけのことです。支払いを済ませたあとで、当事者間でどのような結論に至ろうと、それはもはや病院の関知するところではありません。
紅潮していた関口さんの顔から、怒りの灯火さえ消えていきました。病院にまで見捨てられた気がしたのでしょう。絶望感のかすめた目を見て、さすがに胸が痛みました。
でも関口さんは私の言った理屈が分かる人でした。比較的業態の近い介護職にいたからかも知れません。患者の中には被害者意識から「なぜ被害者である自分が支払わなくてはいけないのだ」といった言い分をかざす人もいますが、それを医療機関に主張するのは筋違いなのです。医療費の請求先は、まず第一に患者であるに決まっているのです。
「すぐに結論を出さなくても結構です。弁護士さんともよく相談なさって、どうするかお考えになって下さい」
この日はそう言って見送るしかありませんでした。
次に関口さんと話をしたのは4週間後のことでした。窓口に来た関口さんは「先生に書いてもらいました」と言って、私に自賠責保険の診断書を見せました。そこには4回目の退院の日を以って『治癒』と書かれていました。
そう気持ちを固めたのか…。
その箇所の記載を私は厳粛な思いで見つめました。
「初めは裁判も考えました。弁護士にも相談したし、私自身もインターネットで調べました。でも交通事故と脳脊髄液減少症との因果関係が認められた判例はごく少数しかありませんでした。向こうは専門の弁護士を抱えた海千山千の大組織です。わずかな勝ち目に賭ける気力が持てなくなって…。示談することにしました」
このときは神妙に聞き手に徹するしかありませんでした。
「慰謝料はある程度もらえるようですが、治癒日以降の逸失利益は考慮されないようです。仕事ができなくなったからと言って、それは事故と関連のない自分の病気によるものだから、補償の対象ではないと言われました。安部先生は診断書に頭痛や手足のしびれが残っていると記載してくれましたけど、後遺障害として認められることは…、ないでしょうね。
原因も治療法も確立している病気ならともかく、いつ治るか分からない症状と付き合っていかなければならないかと思うと、それだけでも恐ろしいのに、補償もしてもらえないなんて…。正直なところ生きる気力さえなくなりそうですよ」
話せば話すほど表情から希望が遠ざかり、気持ちの闇に私まで引きずり込まれそうになりました。
「慰謝料が尽きたら、一生、生活保護を受けて暮らすしかないんでしょうかね…」
ここに来て患者は、落ちて行った遠い淵底から飛沫を上げるように一瞬感情を昂ぶらせました。
「なぜ、こんなことになってしまったのだろう。何が治癒ですか。補償なんかいらないから、もとの体を返してほしい!」
治癒、と言っても、もとの健康な体に戻ったという意味ではありません。症状固定とほぼ同意です。標準的な医療で改善し得る最上の状態にまで回復した、という意味に過ぎません。
「興奮してしまって、すみませんでした」
4回目の退院よりあとの通院費と入院費を健康保険請求に変更しましたが、ブラッドパッチと個室料金は自費のままです。合計79万8,200円の医療費について関口さんは支払い誓約書に署名をし、
「慰謝料が入ったらお支払いします」
と言って窓口を去りました。
関口さんの姿が消えても、関口さんの最後のことばは私の耳に残っていました。
「もとの体を返してほしい」
これこそは、病気であれ怪我であれ、健康を失ってしまった人の掛け値のない心の叫びだと思います。ましてや第三者の故意や不注意で、たった一度の人生から健康を奪われた人たちの苦悩は想像に余りあります。
毎年5千人前後の人が交通事故で命を失い、同じ数の家庭が余儀なく未来を捻じ曲げられます。震災やテロが毎年起きているのと同じことです。
本人の無念や家族の苦しみに変わりはないはずですが、名もない悲劇は政治にもマスコミにも顧みられず、ボランティアも芸能人も見舞ってはくれません。
それでも孤独な被災者たちは、突然幸福を奪った運命と一生をともにしていかなくてはならないのです。
※平成28年4月から手技料も健康保険適用になった。