其の一 三日月中学
私の名前は月影、今年から中学生になる女の子なんですけど。
小学校の時に転校してきてから他の子たちの事は見向きもせず、ひたすら望遠鏡を覗いていた。
でも夜中に一人で星を見ていると座敷童たちが集まってきて、いつの間にか友達に。
中学校になっても、そのままの生活を続けるつもりだったが、何故かわたしの様な異端児に見たことも無い様な可愛い可愛い女の子が付き纏うようになった、そして「月影は私の彼です」なんて告白をされてしまって、一体この先どうなるの。
わたし蒼 月影(女の子なんだけど)十二歳、この春に三日月中学に入ったばかりの一年月組(月組みって?宝塚?)背はクラス女子で一番高く(謹んで御訂正致します、男子も含めでございます)割と色白(私が好きな唯一の部分、お化けっぽくて)、眉が太くクッキリしていて顔が面長のせいか顔がきついとか目がきついと影でこそこそ言われてる、私としては一重まぶたと色白のせいでぼんやりした顔だと思うのだけど、自分の顔のどこがきついのかよく分からない、友達もいないので理由も不明のままだ。
性格だって自分ではボーとしていて図体もでかいのでたとえるならマンボウかうどの大木だと思うけど、うどの大木は「なるほど」と言われたりするが「マンボウ?って言うよりサメいやシャチいやオルカオルカ」とか「マンボウ?違うでしょバッファローかな」「トラトラ、眼つきこえー」って私はそんな暴れん坊に思われているんでしょうか。(確かに小学校に入る前はこの辺りのチビ達のボス、女○ャイアンて呼ばれてた様な)
私の名前なんだけど私が生まれて先祖代々の言い伝えだとかで(いつの時代か知らないけれど)十三代目の初めての子供の名前は男女にかかわらず月影という名前を付けることになってたらしい。
そんなことを聞いた記憶があるのだが春休みで久々に会った両親に(中学の寮に移らなければならないので小学校の寮から追い出されしぶしぶ一週間も家に居なければならなかった。)「どうして私の名前は月影なの」と父と母に聞いてみたら、「おじいちゃんが付けてくれた」(生まれた時には居なかった筈)「違いますよ田舎のおばあちゃんが手相判断で」(誰の)「そういや館長じゃなかったか」「院長先生も」「八百屋の梅造さんも」「そうそうそれで阿弥陀くじで」(いいかげんにしなさい!くじびきかい!)
でもぐっとこらえて「要するにおろうさん(お父さんの事、私は舌が回らない)もお母さんも考えていなかったってころね」と冷たく返した、(でも”ころね”じゃあ笑われているかも)
結局誰が付けてくれたのかさえ不明のままだ。
(あーあもっとかわいい名前だったらよかったのに。)
そのとき私は変なものが家に居るのに気が付いた、部屋の奥の小さな布団の中でもぞもぞ動いている、両親はまったく気にしていない。(もしかして私にしか見えてないとか、もしかして座敷童!)と浮かれたのも束の間その座敷わらしもどきが「うっぎゃ----」と吠えたのだ。
私はびっくりして「なになに何がいるの」と聞いてみたら「何言ってるの冬休みに弟が生まれるって言ったでしょ、それなのに家にも帰ってもこないでなにやってたの」となじられる。
「えーそんなころ聞いてなかった、弟ってお母さんが生んらの」とおバカなことを聞く私。
「月影久しぶりに帰ってきたらしゃべり方おかしいわよ舌火傷でもしたの、お父さんが産むわけないでしょ、隣のおばさんだったらあなたの弟じゃないし」
とこちらもおバカな答えを返してくる、きっとわたしのおバカはお母さん譲りなんだ。
わたしの喋りが怪しいのはあまりにも何年間もほとんどしゃべらなかったせいで舌も錆付いてしまって”わたし”が”わらし””ざしきわらし”は”らしきわたし”んっ?となってしまいさらにおバカが板についた私。
「あー月影に電話するのわすれてたー」ってこれはお父さん。 私が忘れっぽいのはお父さんのせいです、はい。
それでその座敷わらし、じゃなかった見ず知らずの生物はジュピターって呼ばれてた、「ねえその子ってハーフなの」またまた大歩危をかます私。
「よくわかったなー、父さんはアメーリカーンだからな」(いやそれはありえない)
「らってルピターって木星の英語読みやない」
今度はお母さんが「その木星よ、私は宵の明星金星がいいって言ったのにジャン拳でお父さんが勝ったから」って姉はくじ引きで弟はジャン拳、まったく我が家らしい(こいつも犠牲者なのね)。
なんて思うんじゃなかった私が居た一週間は、まるで一日中工事現場か、恐竜が跋扈する中世時代に迷い込んだような日々が続いた。
うちの家は古い上に狭い、六畳と四畳半とそれより狭い台所、以上、あっトイレとね。
その上六畳と四畳半の仕切りはふすまだけ、だから隣の部屋で泣いたってほとんどふすま素通りで泣き声が聞こえてくる、いや泣き声なんてものじゃない、やつはやっぱりテラノ(ザウルス)君だ朝から晩までいや夜中まで、24時間営業で泣き喚いてる。(ああ早く寮に入りたい)
獣は(あんなの弟じゃありません)お母さんと寝ているので、私はお父さんと四畳半で(別にいやじゃないからね、お母さんと寝るくらいならお父さんの方がいい、普段おバカなことを言ってる母だが私と二人になるとどうしてだかトゲトゲの言葉で私をズブズブ刺してくる、お父さんが好きなくせに「あんたのバカはお父さんの遺伝」だとか「私に似てたら美人だったのにとか」「でもおまえはどっちにも似てないのよ、似るわけ無いけどさ」と意味不明の事を言ったり、小学校の時に「男の子だったらどんなに良かったか」なんて事を何度も言われ、(この人はほんとのお母さんじゃないんだ)と何度も思った、でも一番ショックだったことは小学校三年生のとき引越しの用意をしているときに色紙の額が落ちて中から一枚の紙が出てきたのをわたしが見つけてしまった時だ。
それにはこう書かれていた。
「碧月影の父親は碧OO、母親はooに相違ない事を証明します」その後は何かむずかしい名前が書いてあった、私はわけが分からず母親に「お母さんこれ何」って聞いてしまった、聞くんじゃなかったそのまま額に戻し知らん振りをすべきだったのだ。
一生の後悔。
母はうろたえた尋常じゃなくうろたえた、そして「しっしらないわよそんなもの」としか返事もできず私に不信感と不安だけを残した。(常日頃あの人は母じゃないと思ってるから余計に変な妄想をしてしまう)
その夜私は一番母親に聞かれそうにないお父さんと銭湯行く途中父にこっそり聞いてみた「友達の額(色紙に<きみはきみ ぼくはぼく されど仲良き>って書いてあったからそう呼んでいる)の中にお手紙がはいっておりました、そこには私と父と母はまぎれもない親子れあるって書いてあったんらけろ何のころでごらいますか」と馬鹿丁寧に聞いてみた。(外ではこういう風にしゃべりなさいとよく母に注意される。
少しでもおバカがましにみえるからだそうだ、でも”あったんらけろ”なんてしゃべってたらほんとにおバカみたい)そうしたらまったく意外な答えが返ってきた。
「ああ、あれかまだ置いていたのか母さんは、あれはだな産院で不手際が有って子供を取り違えた恐れがあるってことを生まれて2-3年後に知らせてきてな」
「取り違えるって?」
「赤ちゃんてだいたい似たり寄ったりだろ生まれたすぐ後なんてまさに名前でも書いておかないと誰の子だか分からなくなっちまう、まあ普通は生まれてすぐに名前の付いた腕輪をはめたり足の裏に名前を書いて間違いが起こらないようにしているからめったなことで間違うはず無いんだが、明らかにテープを切られ名前も消されていた子がいたらしい。ただそうされていたのは一人だけだったから間違いは無かったと言う事で終わったはずだったのだが、二~三年後何かの病気で親と子の血液が合わないことが分かった、それでその時入院していた全員のDNAを調べますって事になった。それがあの証明書って事だ。」
「れもお母さん何にも言ってくれないの、知らないってそれらけ、それもすごくあせった感じで言うからさ、なにか隠してるんりゃないかと勘ぐりたくなるのよ」
「母さんも驚いたんだろう、それでお前には知られたくないと思ってどこかに隠して忘れていたんじゃないかな」
それからなんだ私はお母さんが何か隠してる、やっぱり私はお母さんの子じゃないのかも知れないと不信感を落ち続け、その態度にお母さんはイライラをぶつけるようになったんじゃないかと思う。お父さんのように(うそでも)すらすらいってくれてたらこんな事にならなかったと思うのだ。