狐火
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今年成人を迎えた十五歳の少年は道場の真ん中で跪いていた。左右には正座をした門下生がずらりと並ぶ。目の前には彼が先生と呼んでは慕う初代が刀を両手に悠然と立っていた。
「銘は夜桜虎月」
威厳のある声音が道場に響くと、両側からオオ、とどよめきが立つ。
そもそも振興の道場になぜそんな名刀が何本もあるのかわからないが、人気の秘密の一つだった。免許皆伝なおかつ師範から認められたもののみが許される名刀授与。少年はそれが許された三人目の人物となる。
夜桜虎月は桜の木の下で、飛んでくる矢を矢尻から筈まで真っ二つにしたことから付いた、後付けの名刀。行われた戦闘が夜であったことと矢を斬ったことに由来する。
柄は蛇腹糸巻柄、諸捻巻で色は夜の桜を彷彿とさせる薄い茶色。金具はもちろん桜。鍔は無銘で形は四枚の花びら、矢尻を先頭に左右に別れた矢があしらわれ、鍔師が銘に因んで付け替えたと思われる。鞘は夜の黒。
「免許皆伝、以後出入り自由とする。良き師となり、皆を導く光の一つとなることを期待する」
道場で三回目の授与宣告が行われた瞬間だった。
少年は先に行われた試合においてここにいる門下生の全てを実力で上回ることを証明したのだ。道場の縁側では、その様子を静かに見守る同い年の少女の姿が。力強く握られた拳とは裏腹に目元は潤んでいた。
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「あああぁぁぁ! なんてことをっ!?」
叫んだ着物の男の驚愕の顔を無視して狐耳の少年は木刀の切先を天高く突き上げる。教えられた素振りを熱心にこなしていたフグツは目を輝かせていた。
そして、上から一閃。
放たれた火の斬撃。
地を這う焦げ跡。
吹き抜ける熱気。
するすると終息する火の勢い。
彼の剣は一つの技を誕生させた。
名を【狐火・ウエカラ】。単なる上からの振り下ろしである。しかし、狐獣人の持つ固有の技術を加えたその一閃は斬撃として火を放つという代物に昇華した。ちなみに【ヨコカラ】や【シタカラ】などもある様子。フグツ少年は木刀に狐火という、自身に火を纏う技術を木刀に施し、放つことに成功したのだ。木に火を。
京之介が叫んだのは、狐火・ウエカラがもたらした惨状にではない。自身の手がけた木刀を燃やされた(燃えていない)故だ。わなわなと震えている。
「師匠っ! 見ましたか? 見てくれましたか?」
着物の男の心情など慮る様子のない無垢な少年は、狐火を放つという荒業を成し遂げた才能の塊だった。火を纏う事はあってもそれを斬撃として放つという不可能を可能にした、狐獣人の常識を覆す偉業である。そんな歴史に名を残すほどの瞬間に立ち会ったはずの剣術指南場所は、愛刀を燃やされた(燃やされていない)怒りに震える師匠とあっけにとられている弟子の少年、悔しがる少女、という実にもったいない時間をとうとうと流していた。
我に返った京之介はすぐさまフグツの手にする木刀を奪い、状態を検分し始める。
「燃えてないってば!」
獣人たちにとって当たり前の固有技術ではあったが、異世界からの男にとっては初めて見る現象である。フグツ少年は木刀が焦げてないか心配しながらあちこち見やっている自分の師匠を、焦りながらも苦笑するという大人顔負けの表情を作っていた。
「フグツ! すごいね今の!?」
「へへ」
先を行かれた悔しさがあった少女リグラはしかし素直に彼を賞賛する。少年少女の視線を受けて満更でもないフグツ。
彼は武器に魅了されて訓練を始めたが、これにはわけがあった。
彼の父親はビースト騎士団という緑の谷の国が誇る四騎士団の団員だった。だった、というのは魔物の大侵攻という魔物災害において亡くなったからだ。避難していく人々の護衛をしつつ、殿を務め、多くの魔物たちから人々を救った英雄として今でも語られているという。
そんな英雄の子として鼻が高かったフグツだが、自身には英雄の持つ狐火の技術の中でも最高位の、全身に火を纏う技術は無かった。強弱こそ身体の成長や訓練で調整可能だが、纏うことに関しては生まれつき決まっているという。フグツには拳に纏うことが限界だったのだ。父は全身に、自分は拳だけ。あんまりだ、と嘆いたのもそう昔のことではない。
やさぐれた気持ちを抱えつつも、彼は常時狐火を拳に展開する訓練を怠らなかった。纏う場所が少ない分、彼は狐火を持続させることに特化した。寝るときは流石に控えたが、朝起きては発動させ、村の子供達と遊ぶときもうっすらと纏い、狩りに連れて行ってもらうときも展開させた。
そしてある時気づいた。木の棒で決闘遊びをしているときだ。纏っていることさえ忘れるくらいに自然に展開していたその技は、握っている木の棒を燃やしていない。さらに振り回した木の棒からほんのり火が放たれていた。慌てて狐火を解除したがどこにも焦げ跡は無かった。少年はこれを他の者に気づかれないように注意した。なぜかはわからなかったが言ってはいけないことのように思ったからだ。ときには弓を引く時に矢に纏わせて火矢にした。石に纏わせて投げてもみた。すぐに消えて上手くは行かなかったが、纏わせ、放つことはできた。父親に対する劣等感、期待という重圧、期待に添えない罪悪感など、少年はいろいろなものを背負いながら努力を続けている。その成果は日に日に強くなっていた。そしてついに【狐火・ウエカラ】を訓練で試し、成功する。京之介から教わった上段からの振り下ろしに狐火を発動させ放てば、火と熱気、焦げ跡を残した。
木刀が燃やされて(燃えていない)から訓練を終えてしばらく、京之介は目の前の磨き抜かれた四本の反りのある木の棒を、気持ち悪さ最大値の顔でうっとりと眺めていた。柄頭のすぐそばには小指の一寸程の窪みがあり、フォレスト・ウルフの革で巻かれている。オークの連中に、そんなに大事なものなら猿の魔石でも入れたらどうだとお勧めされたのだ。気が進まなかったが、エンプティ・エイプの魔石には何やら効能があるらしい。オーク曰く恐れの状態異常にかかりにくいとか。木の棒に付けるには随分なものだが、着物の男の木刀に対する入れ込み具合を見てのことだ。また自分たちに向ける震えをなんとかしてほしいと思っているのもまた事実。そして方方でお化け発言があるのではないかという彼らの懸念もまた正しい。
京之介には独自の美学があった。木を削っただけの素朴さが好きだった。丁寧に磨かれ、この村で採れる油でニス無し(油磨き)で仕上げる。最初は本意ではなかったが、魔石の効能、有用性を聞いて、小さな弟子たちの姿を思い出す。そしてあの見張りの男から手渡された猿の魔石を掌に乗せたとき、窪みを入れようと決意した。美学のあっけない敗北を受け入れ、武器の新しさに魅了されるような、そんな男である。彼は。
しかしそんな彼の秋の空のような移り気はこの村の将来に起きる、とある試練を乗り越える一助となるのである。
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