侍の陥落
「若様、頭目がおいでです。奥へ」
「はい」
少年はまだこの家では自分の配下を持たない。当主の元にいる充てがわれた配下の者たちに対して遠慮があり、横柄な態度を取ることは決してしなかった。そんな少年の態度は概ね評判がよく、配下の者たちは少年を敬いつつも可愛がり、気兼ねをすること無く接する。いい関係が保たれていた。
少年は自分の与えられた裁量の中で援助をした忍者の里の頭目から気に入られて、よく情報が得られるようになってきていた。元商人の家だけあって情報戦は強い方ではあるのだが、忍者からの情報は精度がかなり高い。この度ももたらされる情報は常盤家が必要とするものだった。
「いつも助かります」
「いやいや若のためだ。これくらいお安い御用だよ」
懐からすっと小判の包まれた紙を差し出し、少年は真面目な顔を頭目へ向けた。
「戦の噂を聞きました」
「若は相変わらず耳が早いな」
頭目はまだ紙の包みを受け取らず、地図を広げてみせた。こことここが怪しいと指し示す。諜報対策に家の名前は出さない。間者の警戒は怠ってはいないが、玄人のそれに習うよりほかない。少年も頷きを返したが、家の名前を見て顔を凶悪に歪めた。少年の出す殺気に頭目は薄ら寒いものを感じた。静かな怒りに燃えた復讐の炎が見える気がした。
「ここを調べればいいかい?」
少年は紙の包みをもう一つ横に添えて頷いた。
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「本当にお世話になりました」
「いつでもいらしてください。貴方なら歓迎しますよ、キョウ」
いつの間にか郷長エリアファーリルから呼び捨てされて親密度が向上したのか甚だ疑問は残るが、京之介は感謝する。この郷では高級なローブと新しい着物を貰い、衣食住が保証され、訓練も欠かすこと無く行えた。この郷の有事の際は駆けつけることを約束する。受けた恩は大事にすべきことを師や養親は教えてくれた。いつか必ず報いよう、と心にも誓う。
全ての区画で京之介は温かく送り出された。本当に良い郷である。
この罠さえ無ければ。
新調されている罠に口がピクピクと引きつるのを隠せない着物の男。最後に掛かった罠は足に巻き付いた蔓だ。動けなくなった京之介の目の前にご丁寧に顔くらいある葉っぱがスルスルと降りてくる。葉っぱには漢字で書かれた“馬鹿”の二文字。
「京ったらこんな簡単な罠に掛かるのね。かっこ悪~い」
「くっ……こんのっ」
軽い挑発に悔しがる侍は人としてまだ成熟してはいなかった。
「外せ」
「い~や」
「っ!?」
どことなく嬉しそうなシュレイアに京之介は怪訝な顔を向ける。ハーフエルフは自分のもとを去った時怒っていなかっただろうか? この笑顔はなんだろう? そう思った時に寒気が走った。さらに手も拘束される。
「そのまま、聞いてね。ちょっとお説教です」
「お、お説教?」
京之介は怯んだ。身動きが取れないのにお説教とは一体何をされるのだろう、と恐々とする侍を見て彼の王はニヤリと微笑えんだ。
「わたしは付いていくと言ったの。これは私の選択で、縛られた選択じゃない」
「いや、そのな……」
「お説教中です。私語は慎んでください」
「…………はぃ」
よろしい、と続けたハーフエルフは淡々と心情を語った。今まで事あるごとに見てきた夢、見せられた悪夢。思い出せた喜び。京之介と会えた嬉しさ。自身に宿る剣術の腕。拒絶されてショックだったこと。
「シュレイアであると同時にわたしは琴乃だ。これは私が否定することを良しとしても誰にも否定されたくない。京、あなたは本当に琴乃を大事に思ってくれていたんだよね。だから否定するの? 付いていくことを? 付いていくに決まっているでしょう? もう離れていたくないよ。もう後悔したくない。足手まといにはならない。貴方が私より強くても、貴方は私の罠に掛かった。今勝負する? 勝つよ、私」
京之介は静かに聞いていた。縛られた状態でぐうの音も出ないのであるが、とにかく耳を傾けた。その覚悟の程を見極めるために。
「あ、それとね」
悪戯王の微笑みに嫌な予感が走る。その予感は正しい。腰からするりと鞘ごと抜かれた愛刀【紅十文字虎月】が目の前の女に抱きかかえられるのを目にした。
「これ、返してね」
「え? いや、レイのじゃないだろ!? ダメだ返せ」
「えぇ~。これ私のだし。わざわざこの世界まで持ってきてくれたのに、受け取らないわけにいかないでしょ」
「何言ってんの!? 違うだろ、それは強奪だ」
「人聞き悪いね~、そんなやつにはこうだぞ~、えい」
鞘の先で着物の男の脇腹を軽く突く。突く。突く。こそばゆい攻撃に耐えられないお侍さんだった。
「うひゃひゃひゃ……やめれ」
「じゃあ、もう一度聞くけど。この刀、誰の?」
「先生からもらったから俺のうひゃっ、こここ、琴乃のです」
「うん、そうだよね。琴乃は私で、私はシュレイアで。じゃあこの方は誰の?」
「シュ、シュレイア様のものでございます」
侍は陥落した。あっさり奪われた愛刀は金髪碧眼のハーフエルフへと譲渡された。すっかり涙目である。
「あの、そろそろ、これ解いてはくれないか?」
「まだダメ」
「……そう」
「今度は京の番ね。連れて行きたくない他の理由がある?」
琴乃が死んでからの人生を京之介はポツポツと語りだす。復讐の人生に身を投じてきたこと。激しい苦痛と舐めた辛酸の数。身を削られるより、殴られるより、斬られるより痛かった婚約者の死とその様子は堪えた。生きる意義を復讐にしか見いだせなかったこと。その先を考えることもなく突き進んできたこと。
「それで、どうすればいいかわからなかった。酷いこと言った自覚はある。ごめん」
素直に謝ってきた京之介の真摯な言葉をシュレイアは首を横に振って応えた。
「ううん。よくわかったよ。京の気持ち。話してくれてありがとう」
涙を溜めたその顔には今日一番の笑顔が乗っている。その優しい笑みは、京之介の闇を明るく照らす光のように心を晴れやかにする力があった。この笑顔をもっと見ていたいと素直に思った。先程から名前を呼ばれるたびに懐かしさと喜びが去来している。もう拒絶することはできない。かつて感じていた、復讐の日々よりも前に抱いていた幸福の感覚を徐々に取り戻してきている。
「これで最後ね」
シュレイアは深呼吸をして縛られた男を見上げた。
「私を連れて行ってね。どこまでも」
「嫌だけど」
「なんでよ!? 今までいい感じだったじゃない!? コノコノコノっ」
「いたたたたた……嘘、嘘、嘘、どこまでも付いてきてくださ、痛い、グス」
雰囲気ぶち壊しの男に金髪の女は容赦なく鞘で脇腹を突いていた。
「じゃあ、あの日の約束を今日果たしてくださいな」
「えぇ、また今度でお願いします」
「い~や」
悪戯な笑顔を閉まったシュレイアは真剣に眼の前の照れている男を見据えた。逃げられない雰囲気に、いや、縛られて物理的に逃げられないわけだが、京之介は諦めて覚悟を決める。
「じゃあ、今度こそこれを解いて」
「嫌だけど」
「なんでだよ!?」
先程のやり取りを逆転して行った二人は声を合わせて笑った。ハーフエルフはゆっくりと蔓を解いていく。晴れて自由の身となった着物の男は金髪の美女に向き直った。
「琴乃、いや、レイ…………やっぱり、無理、無理無理」
「だと思ったよ、ハァ。しょうがない」
「え?……」
シュレイアは京之介の首の後ろへ両手をまわしてゆっくりゆっくりと抱きしめた。
「京さん、大事にしてね」
「……うん」
侍は身を寄せる愛くるしい女をしっかり抱きしめ返す。この度の着物の男の両耳も真っ赤に染まっていたが、ハーフエルフがそれを見ることはなかった。
オーク達に連れてこられただけのお侍さんは獣人の村へと足を向けたが、道がさっぱりわからなかった。隣のハーフエルフはため息をついて先導することになったという。
第一部完結です。お付き合いありがとうございました。
最後まで読んで下さった皆様に感謝致します。




