邂逅
「ご不満ですか?」
「いや……そんなことは……」
仏頂面の女の子は目の前の頬を赤く染めながらも顔を背けているタレ目の少年を見ながら、さも不機嫌な雰囲気を出して問うた。対する少年は普段から見せている能面な顔とはうってかわり、歯切れの悪いモジモジとした様子だ。
「ではなんとか言ってください。先程から黙りなんて酷いと思います」
「あ、いや、その……」
なんとも焦れったい言葉しか出さない少年に段々とイライラが募っている少女は床に指をコンコンコンコン叩き始める。遂に観念したのか少年は顔を少女に向けるが、出した言葉は少女が望む言葉ではなかった。
「あのさ、さっきからしてるその堅苦しい喋り方なんとかならないか? いつもと違うから戸惑うのだけど」
待っている言葉を出さない少年についに少女は眉間にまで皺を寄せる。しかし口調は変えなかった。
「あら? そんなことをお望みなのです? 夫になる方を尊んで接するは斎藤家の女の家訓でございますよ? それを今ここで破れと? どれだけ私が花嫁苦行、いえ修行を積んだと思っているのです? 貴方が剣に時を費やす傍らで、私はしたくもな、いえ、良き妻となるために積まされた、いえ、経験を重ねたと……」
被れていない猫が現れだして、少年は聞いている途中から笑い声を必死で抑えていたが、決壊した。その様子を見て少女もクスリと口端を上げた。
「あははは……お腹痛い。ふぅ、ふぅ」
「まったく……しっかりしなさいよ、旦那様。じゃ、今度でいいから約束守ってね」
少女は目の前の少年と夫婦の契を結ぶ。その話はこの少年が道場に住み込むことになった十年ほど前から聞かされていたことだが、件の少年は数刻前に師範から聞かされたところだった。二人で話す時間も必要かと場を設けられたものの、少年はなんと言ったらいいのか全くもってわかっていなかった。剣術に明け暮れている状況は今も変わらなかったからだ。
二人は幼馴染とは別の新しい関係を築き始めた。
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第一区にある練兵場の片隅に一組の男女が口喧嘩をしていた。
「おおお、お前か! あの凶悪な罠を仕掛けたやつは!」
「そうよ? それが何か?」
「ぐぬぬ……この性悪女め」
お侍さんといたずら王の邂逅である。彼らはこの郷を治める総主ことエリアファーリルに紹介されて、剣術指南の授受のために呼ばれた者たちだ。剣舞の披露に対して自衛団にその剣技を施してもらえないか依頼された京之介だったのだが、エルフの体格ではこの剣技はそぐわない、できるのは大弓の女だけだと指摘したことに端を発する。こうして纏まった話である。
先に連れてこられていたのはシュレイアというハーフエルフで、セミロングの金髪を真っ直ぐに下ろしている。碧い瞳は全開に開かれることのない瞼に半分隠されている。若草色のチュニックに身を包み、凝った長めの革のブーツを履いていた。自衛団の団長に呼ばれて来てみれば、自分に剣の修業の機会がやってきたという。遠巻きに見た着物の男が指南役だと。シュレイアは“おもしろそう”とこの話を二つ返事で快諾。自分が張った罠を見事に回避した男だ。半分以上は勝ったが、掛かった罠の方も中途半端が多かった。確実に仕留めれたかというと素直に頷けない自分を認めていた。その男が剣を教えてくれるというのだ。乗らない理由はない。
初めて目の前で会った時、京之介はその美貌に絶句した。こんな美人を今まで見たことがなかったからだ。エルフはと言うと、京之介にとっては見目秀麗であるものの、この世のものとは思えない人形のような、触れてはいけない神域に居る妖精たちと理解していたため、人として見ていないのだ。神々だと未だに思っている節がある。シュレイアはハーフエルフだ。半分の血が、人間味のある雰囲気を出していた。京之介が一目惚れを起こすも無理のないことだった。しかし、せっかくのそんな思いも、いたずら王の開口一番に崩される。
「よろしくお願いします、キョウさん。あ、そうそう泥のお味はいかがだったかしら?」
という言葉によって。
何度か罵りの掛け合いの言葉の応酬を続けていたが、二人共懐かしいような感覚に陥っていた。
「どこかで会ったことある?」
「いや、初めてだと思うが……」
同時に首を傾げたが、それが合図となって話を当初の目的へと戻すことにした。
「へぇ、そういう理由で私が選ばれたわけだ。エルフを差し置いて」
経緯を聞いた後の彼女の返答は少し棘のあるものだった。驚いたが、侍は頷きを返す。
「それで、さっきから気になってるんだけど、その腰のものが貴方の獲物?」
「そうだ。刀と言う」
「へぇ、刀」
「知ってるのか? オークや獣人もエルフも知らないようだったが……」
「まさか。見たことはないよ。こっちではね」
思わせぶりな返答に困ったが、着物の男は深く考えなかった。知っている者もいるかもしれないと思ったからだ。
稽古は始まった。
男はハーフエルフの筋の良さに舌を巻いた。教える必要があるのかも疑問視する程だ。持たせた木刀の握り方、太刀筋、身のこなしがどれも普通ではなかった。教えを吸収するといった次元ではなかったのだ。体得した者のそれである。初めて見ると言った女の言葉は本当のようで、握り込んだ最初は不安に満ちていた。だがしかし素振りの始めで豹変した。思い出したかのような、久しぶりの感覚を味わうような、そういった動きを見せ始める。そして回を重ねるごとに失ったものを取り戻していくような、水を得た魚のようなキレが動きに見え始める。
シュレイアは昨日見た夢を思い出していた。人生の岐路に経つと必ず見る夢だ。黒い髪の少女の夢を。その娘はいつも笑顔を絶やさない。弓を持って矢をつがえる時も、獲物を両手に持つ時も、はっきりとは見えないが少年と相対する時も。いつも楽しそうにしている。誰かといる時は。
夢は黒髪の少女の色々な場面を見せる。一人でいる時の寂しそうな姿、少年を遠くに見る時の悔しそうな姿、父親と思しき人の温もり、手にしようと伸ばすとそれらの景色は必ず遠ざかっていく。彼女の失ったものを写す夢は残酷だ。現実を突きつけるのだから。“お前が失ったものはこれだ”と。
そして最後に見せられるそれは、途中で目覚めることを許してはくれない。シュレイアが夢だと気づいていても覚醒を許されない。“最後まで見なさい”と強要される夢は悪夢だ。襲い来る賊と斬り結んでは閉じていく視界。何かに謝り続けて真っ暗になったところでようやく呪縛から解き放たれるのだ。
(夢の少女の剣も刀……)
シュレイアはこの稽古に因縁めいたものを感じている。黒髪の少女の夢は刀を持つ時の動きを自分にさせる。初めて持つはずのこの剣を、なぜ扱えるのか。見ただけでできる動きではない。弓や短剣を扱ってきた故に、それぞれに武器に応じた動きが存在することをハーフエルフは身をもって知っている。ではなぜ? 夢はかつての自分ではないのかという疑問の答えがちらつく。かつて? それは何時で、それはどこだ? 答えは目の前の男が持っているのか? 女は木刀を振り回しながら思考の渦へと入っていった。
お侍さんといたずら王はこうして出会うべくして出会ったのだった。




