弓と剣
「ねぇ、お父上」
「なんだい?」
親子は真剣な表情で目の前の作業に没頭していたが、子供の方の集中力が切れたところである。十歳になった我が子からの問いかけに、自身の手も止めた。父親はこの娘と過ごす時間を宝のように大事にしている。仕事が道場ということもあり、日中家にいるもののなかなか親子の時間が取れないことを危惧しているのだ。二年ほど前には輪をかけて懸念が増えた。自分の道場を辞めて好敵手の道場に通うと言い出した娘に卒倒しそうになったのは懐かしい思い出である。もう二年も経過しているが、相変わらず目の前の女の子は西へ通い続けている。
そんな親子がしている作業は刀の手入れだ。ちょうど拵えを解いたところで、少女は父親へと視線を向ける。
「どうして柄に和紙を入れるの?」
「あぁ、これかい? ちょっと柄の部分だけど刃を持ってみなさい」
「うん」
少女は優しく手渡された、丸裸になった愛刀の柄を両手で握り込んでみた。鉄のひんやりとした温度に部屋がそれだけ冷えていると気付いた。
「じゃぁ、そっと置いてご覧。掌を見て」
父親の言われたとおりに愛刀を目の前に置いて、掌をまじまじと観察してみると、少女の手は赤い線が幾つも付いていた。指の腹にも赤みがさしている。少女は赤い十文字の模様を指でなぞった。
「少し痛かったかな? 和紙を入れるのはね。痛くしないためだよ」
今度は紙を巻いて握ってみなさい、その後もう一度手を見て見るんだよ。と言われて実行する。少女は自分の手に赤みのある線が引いているのを見て、顔がぱぁっと明るくなった。
「ほんとだ! お父上の言うとおりね、すごい!」
斎藤流道場の初代師範代は輝く笑顔を見せた娘に大満足である。
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オークの騎士団一行は自らの任務をここ、エルフの郷を最後に帰っていった。京之介はというと、第一区域に部屋が用意され、護符が与えられ特別待遇を受けていた。エリアファーリルとその側近たちにいたく気に入られた結果である。郷の者たちは詳細を告げられてはいなかったが、この人族の青年が上層部にかなり良い立場を与えられていることを感じ取っていた。第一区域滞在がその証拠である。郷中には歓迎のお触れが回っていた。
この第一区には自衛団という武装組織があるのだが、言わば自警団のようなもので、治安や外部からの防衛、国からの要請で派兵などをこなすという。自衛団とその家族が済むこの区域の秩序はかなり整っている。軍律を忠実に守る軍隊のそれが区域まるごとの雰囲気を表していた。初日にいた第三区の明るい雰囲気とはまた違った心地よさを蒼の侍は感じている。
「へぇ……すごい練度」
開けた場所には練兵場があるのだが、彼は見学を許されている珍しい客人だった。自衛団の団員達は彼が様子を見に来ても追い返さないように通達されている。エルフの技術を見たところで、真似できるものでもないだろうという彼らの過信や驕りも見え隠れしているのだが、着物の男はどこ吹く風だ。
彼らが射掛ける弓の精度といったら文字通りの百発百中である。ある者に至っては、ど真ん中に刺さった矢の矢筈に当てていた。呆れるほどの命中率である。素晴らしい腕前を称賛したい気持ちは大いにあったのだが、近づけば彼は平伏して忠誠を誓ってしまうのではないかと危惧して遠巻きに見るだけに止めていた。流石は神々の技術だと、感心し通しである。付いてきていた郷長の側近の一人は終始顔を引きつらせていたが、彼のエルフに向ける尊敬の念には心地よいものを感じていた。歴戦の強者である彼は、かつて人族との戦いにおいてその弓の技術を大いに奮った時期がある。思えば、襲ってくる人族や倒れゆく者たちが向けるエルフへの呪詛めいた罵詈雑言、呪いの言葉、敵意が横にいる男からはまったく出ない。それらしい気配も感じ取ることができなかった。本当に郷長が言う“迷い人”なのだろうと確信する。
「ん? あの人だけ大きな弓ですね?」
小さなショートボウを構える集団の後ろの方に、一人だけ和弓のような大きな弓を持っているエルフを見つけて、京之介は目を凝らした。遠目に見たためはっきりはわからなかったが。
「あぁ、彼女ですか。昔からあの大きさの弓が好きでね。いや、ショートボウが好みに合わないらしくてずっとアレを使っているんですよ」
どこか哀愁を感じる側近の男の一言に、色々あるかと納得を見せて観察を続けた。射程距離も然ることながらその威力も大したものだった。
「あの弓は確かに強いですが、エルフの敏捷性から言うと不向きではあるんですよ。速度重視で、動きながら射る我々の戦い方とは残念ながら相容れない」
「なるほど」
要は使い所なんだけどな、と京之介は思ったが口には出さない。そういう態度もおくびにも出さない。神々の怒りを買う訳にはいかないという大いに無駄な緊張感を持っていたから。それにこの男の少し困惑した否定の響きも見逃せないものだった。
一通り訓練を見学して満足した後、歓迎の宴が用意されていた。郷の殆どの者が第二区の会場に集っている。ハープのような美しい音色を奏でる弦楽器の調べや、歌い手が唄う素晴らしい声に、心の底から感謝の念が湧いていた。これまでにこんなに素晴らしい宴に参加したことはない。侍は自分でできる感謝のお返しは無いかと考えた。剣舞を披露してエルフを沸かせたことはエリアファーリルの心象をさらに良いものへと変えることになる。
翌朝、宮区に呼ばれた着物の男はエリアファーリルが立派な木の椅子に座るのを待っていた。平伏したい気持ちを抑えて跪いている京之介はかなりそわそわしている。到着した総主はその様子を好ましく思いながらも苦笑は禁じ得なかった。
「そう固くならずとも良いのですよ」
「わかってはいるんですが、どうも落ち着かない」
クスクスと周りからも忍び笑いが漏らされている。
「そんな貴方に折り入ってお願いがあるのですよ。今日はそのことで呼びました」
「お願いですか」
「ええ、昨日の剣舞は大変素晴らしいものでした」
「気に入っていただけたようで良かった」
「フフフ、その剣舞なのですけれどね」
「はい」
「剣筋と言いますか、剣技といいますか。それを自衛団に伝授していただけないものかと思っているのです。もちろん報酬も用意いたしましょう」
なるほど、斎藤流道場をここでも開けということかと理解したが、侍はエルフの練兵場の様子をすぐさま思い出す。
「教えるのは吝かではないのですが……」
「何か問題が?」
「ええ」
ちらっと練兵場に付いてきたエリアファーリルの側近に目をやってから視線を総主に戻した着物の男は続ける。
「筋力の問題と武器の問題で、我が剣はエルフの皆様には扱えないかと」
「筋力と武器……」
「はい。まず筋力ですが、小型の弓を扱う皆様の腕の力では接近戦での刀の鍔競り合いはまず不利です。敏捷性から言うと適正値はかなり相性が良いと思いますが、打ち合いで負ける。武器ですが、刀と言います。これを量産することはできません。鈍らならあるいは鋳型で造ることも可能でしょうが、それなら皆様の弓のほうが遥かに強いでしょう」
「むぅ……それは残念ですね。剣舞が素晴らしかっただけに。うーん、惜しい」
京之介はかなりの評価に正直驚いた。エルフのあの弓の練度なら相当に強いはずである。遠距離戦は絶対に避けたい相手だ。打てば当たるのだから戦略的射出さえ可能である。
「一人だけいますね。そう言えば」
「何がですか?」
「筋力のある人です」
会話を邪魔しないように聞いていた側近は一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔をしたがそれもすぐに持ち直して、口を出した。エリアファーリルがコテリと首を傾げたところへすかさず会話に入り込む。
「シュレイアですよ、総主。キョウ殿が訓練で大弓を持った者を見ていましたから。そうでしょう?」
「そうそう、あの大きな弓の人ですよ。アレくらいの力があって、皆様の速度が出せるのであれば教え甲斐がありそうです」
教育計画を色々練り始めた男を他所に、エルフの面々は思案顔だ。決断はエリアファーリルからすぐにもたらされる。
「ではあの娘に教えて差し上げてくださるかしら」
「喜んで」
この会合が運命の出会いとなることを今はまだだれも知らない。




