神々のおわすところ
養親からの任務を受けて、少年は走っていた。先ごろ領地の殿様が発した命令により、常磐家も土地を預かる侍として働かないわけにはいかなかった。婚姻の準備に忙しない時期ではあったが、仕方のないことである。戦の準備のために兵站管理の任を受けた。配下の者たちと段取りを組んでは働き、場所を移動し、数を数えては記録をしたためた。
常磐家は元々商家であり、豪商から侍に任じられた経緯がある。計算にめっぽう強い家柄だった。少年も引き取られてからは兵站管理の教育を受けさせられて数字に強くなっている。家臣からも合格が出るほど計算ができるようになっていた。
忙しく飛び回っている間は自身の婚姻の準備は斎藤家に任せきりになる。申し訳ない気持ちもあったが、斎藤家の方が送り出してくれた。武勲を上げて我が道場も宣伝してね、という打診や打算や目論見も色々将来の旦那としての肩に負わせるだけ負わせられた。恩師の頼みである以上は喜んで請け負うつもりだが、兵站管理よりも剣の実力で宣伝したいと思っていた。血気盛んな十代の美徳といったところだろう。
仕事で広がる他家との交流も大事な役割の一つだ。情報をかなりの精度で揃えることになる。そこで得た繋がりで少年が常磐家にもたらした最大の功績は忍者の郷との縁だ。困窮していた状況を常磐家の持つ力を使って援助した。少年に任せられている裁量の範囲でだが、最大限に利用したのである。頭目はその思い切りの良さに感服して、少年に感謝と情報をもたらすようになる。
此度の戦の規模からして、商家出身の常磐家は戦をしないだろうと当主は語った。思惑通り、兵站の下準備だけを任せられていたため、それが終わるや否や帰された。戦功を上げたい武士の家は、その立場が高い順に招集されているため、常磐家は武勲を上げる機会さえ無い形になる。実力を示したい気持ちもあったが、婚姻の準備に戻れることもまた歓迎すべき事態だ。急ぎ名京へと走った。
名京の東側にある道場の母屋へ向かい、師範兼義父になる恩師に顔を見せる。婚約者の所在を尋ねたが、娘は少年の村へと向かったと告げられ青褪める。良かれと思って少年と娘の婚姻の招待を差し伸べるために向かったと言うのだ。
「先生、今あそこは危険です! すぐに追いかけます」
忍者の頭目からの情報では、佐倉衆という忍者の一派が策を巡らせて村を一つ襲う計画であるという。どの村が襲われるのかまではわからなかったが、位置関係から判断するにその村が一番怪しかったのだ。流派の四人を護衛に付けているとは言え、斎藤家の当主もその顔色を失わせた。
少年は大きな焦りを抱いて名京を後にした。ことが既に終わっていることも知らずに。
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綺麗さっぱりの爽快感漂う爽やかな笑顔を見せる一人の男が、ノースガレリア地方最南端の緑の谷の国、エルフの郷の最奥、宮区の門、木のアーチを潜った。京之介である。前を歩くのは先導役の醜悪な豚顔の男、この国が誇る四騎士団長の長が一人ゾゴルガーグ。オークにしてエルフと地縁を持つ珍しい御仁である。
輝く岩肌に、美細に削られた階段を二人は歩く。ここに来るまでに越えてきた、いや、越えられなかった罠を含め、試練がもう無いと聞いて気を抜いている侍に対して、国の成り立ちやら種族の特徴を教える、顔に似合わない紳士なオークはできる男であった。
「なるほど、では今から謁見する御仁が総主で、ハイエルフという希少な種族の長ということでいいのか?」
「その認識で間違いないな。キョウ殿は理解が早いな」
「ふむ。でも緑の谷の国の王とはまた違うのか?」
「そうだな。王もハイエルフだが、別のお方だ。総主は王になることを拒んでおられる。ロストアースにおいて最古のエルフであらせられるゆえ、王も敬意を払っておられるわけだ」
「エルフは森の妖精族か……」
呟いて考え込む着物の男に対して嫌な予感を拭えないでいるオークの男。彼は頼むから失言をやめてくれよと心配顔だ。
遂に二人は総主が待つ郷の最奥の建物、グリフィル宮へと辿り着く。グリフィルとは氏族の名で、ハイエルフの出身地を指した名前だ。グリフィル・エルフと言うとハイエルフであると誰もが認識するのである。その他のエルフの前に付く名前も各氏族を表していて、見分け方は至って簡単に髪の色ですぐに分かる様になっている。建物に入ると、出迎えとして三人の長い耳を持つ男たちが一人を先頭に、二人が護衛の位置に陣取って近づいてきた。
「何度もすまないな、ゾゴルガーグ殿」
「いや、礼には及ばんよ。宮長殿」
ゾゴルガーグから宮長と呼ばれた男も後ろの者たちも、ずば抜けた美貌を持っていた。驚愕の顔を悟られまいと、侍は必死に声を発することを控えた。むしろ息することも忘れかけて、酸欠になりそうである。オークは報告と称してここへ訪れているために二度目の訪宮となることを労われたところだ。
「して、そちらが?」
「ああ。総主に紹介差し上げる場には宮長殿もおいでか?」
「ええ」
「では、挨拶はその後にさせてもらおう」
しきたりなど色々な手順があるのだろうやり取りを難なくこなしていく目の前の二人に自己紹介は後で良いことを悟る京之介。こうして開かれった扉をくぐり抜けると、目の前の男たちは跪いた。それに習って侍も跪く。
「面をお上げなさい」
透き通るような綺麗な音がした。涼やかな風鈴のような音だ。聞き心地の良い音に京之介は心酔した。なんと綺麗な音なのだろう。発せられた音が、目の前の者が発した声だとは気付きもしなかった。
「キョウ殿」
自分を呼ぶ酷く低音なくぐもったドスの効いた声を不快に感じながら、オークに目をやると、オークは手を差し伸べて立派な木の椅子に座るハイエルフを見るよう促す。
京之介はその姿に絶句した。
真っ直ぐに下ろされたその長い髪は陽に照らされて黄金に輝いている。目は海のように碧く、肌は真珠のように白かった。お侍さんの表現で言えば、その肌は銀シャリのようだった。最上級の褒め言葉であることをここに記す。シルクのような白い袖なしのワンピースに身を包むその姿はまさに妖精そのもの。綺麗という言葉が霞むほどの美女が目の前に顕現していた。
京之介は慌てて木刀含む全ての武器を横に置いてすぐさま平伏し直した。ドン引きのオークと困惑のエルフ達。場は凍った。沈黙を破ったのはこの場所の主。
「何をしているのです、お客人?」
また綺麗な音が鳴ったなと土下座の男は場違いな感想を抱いていた。一向に動こうとしない平伏する男に困り顔のエルフ達。なんとかしろとすべての目がゾゴルガーグに向けられると彼はため息を吐いた。
「キョウ殿、何をしている? 顔を上げよと言われたろう?」
「おおお、お前こそ何してるんだ!? 神々の前で無礼にもほどがあるだろう!?」
ええーっという驚きの声が複数、最奥の部屋で木霊した。この荘厳な雰囲気をぶち壊す驚きの声音が神々から発せられていることに、京之介は困惑する。盛大な勘違いが発生していた。
「エルフに平伏する人族というのもなかなか珍しい光景ですね」
「神々って……彼はいったい何を信仰しているんだ?」
「え……あれ? なんか違ったか?」
しっくりいかない空気を流石に感じ取った侍は、この場では一番身近な紳士な男に状況の打開を頼んだ。
「あのな……いや、キョウ殿よ。敬意を払った貴殿の態度は正解だったと言えよう、幾分やり過ぎではあるが。それにこちらの面々が疑いや敵愾心を捨てるには十分な行為だった。むしろ聞きたいのだが、なぜエルフを神々だと思ったのだ?」
「え……エルフとは森の精なのだろう? 妖精族と言っていたじゃないか」
「ああ、その通り。だが彼らは神ではない」
疑いや敵愾心と言ったゾゴルガーグの言葉にエルフの面々はそっと視線を逸したが、自分たちが神々と称されたことに興味を抱く。着物の男は認識の違いに納得した。育った環境の違いだな、と説明する京之介の言葉をその場の全員は真剣に耳を傾けた。彼の育った場所では、八百万の神々がいてそこら中で敬われているという。森の精と言われればそれはもう崇拝の対象になってしかるべきとは本人の談。日本神話の一部を語って聞かせた。
「なるほど、してお客人」
「はい」
「私はこの郷の長エリアファーリルという者。ゾゴルガーグに連れられてよう参りましたね。歓迎しましょう。名はなんと申します?」
「私は名京から参じました、常磐京之介と申します。キョウとお呼びください。お目にかかれた幸運、恐悦至極に存じます」
「フフフ、これはご丁寧に。そう畏まることはありませんよ」
横でなされる会話に驚きを隠せないのは騎士団長ゾゴルガーグだ。こんなに丁寧に話した京之介を見たことがなかった。考えてみれば当たり前なのかもしれない。出会った者を物の怪やら化け狐やら、神々と評しているのだから一定の基準が彼の中にあるのかもしれないとオークは考える。我々に向ける怯えた目つきとエルフに向ける尊崇の目の違いに辟易した。この差はなんだろう。解決しない問題をもはやオークは考えないよう、心に蓋をするのであった。
「先の話を聞いたことで結論を言いましょう」
エリアファーリルから確信めいた言葉が鈴のように鳴り響く。京之介はここ一番の真剣な目を郷長に向けた。
「キョウ殿はロストアースの人族ではなく、迷い人でしょう。聞きなれない慣習、信仰、神話、土地、種族など違いが多すぎます。私もそれなりの日々を過ごしてまいりましたが、迷い人に会ったのはこれが初めてですね。伝承では光の柱が現れる時同じくして人もまた現れるという。思い当たることはございまして?」
はっとした。やはり自分は“迷子”なのかと。いや、そうではない。自分は光に包まれてここに至ったのではなかったか。京之介は静かに頷いた。
「人族ではないのなら、慣習に従って貴方を我々の同胞となることを許しましょう。宮区の滞在も許可します」
「総主!?」
「良いのです。人族ではないのですよ? 保護対象です。それにわれらを神々と敬うお客人をどうして無碍にできましょうか。フフフ」
あ、いや、まぁ確かに、などという照れが見え隠れしているエルフ達を見て肩をすぼめるのは紳士であるが見た目が醜悪なあの人だ。
「言っておくが。この御仁は我々オークをお化け呼ばわりしたあげく、獣人達のことを化け狐やら化け狸やら散々言っておる、偏見の塊だぞ」
こうして京之介はエルフの郷で滞在を許され、新たな物語を紡いでいくこととなる。




