知られざる王
二刀の竹刀が少年を襲う。斎藤流道場でのいつもの光景だ。夕刻になると必ず現れるお転婆に少年は辟易していた。稽古を終えて疲れているものの、少年は決して素振りを怠らない。自身に課した日課を淡々とこなすのだ。そこへ邪魔が入る。ほっといて欲しいとは少年の談。しかし少女は性懲りもなくやってきては襲ってくる。実践が実力向上の常だ、とはお転婆の談だ。
「せいっ!」
「グハ……」
牽制に次ぐ牽制からの二刀の横薙ぎに、少年の顔が歪む。勝ち誇った少女の顔を見て悔しさが少年を包んだ。その目に涙を溜める。
一人になると少年はまた素振りを開始する。目に焼き付いている少女の動きを捉えるために。右から左から即座に交互に、緩急を付けては同時に襲ってくる自在の二刀。止める想像ができない。一つを止めればもう一方が自分に当たる。何度も何度も止めては払う。止めては払う。闇雲に打ち払う素振りの中にも鋭い感覚が宿っていく。
お転婆の父親で少年の師は、教え子の努力の姿を見るのをここ最近の娯楽としている。まさに成長著しい。少年には自覚がないのだろう。無意識に少女が傷つくことを避けていることに。本来の力が出せるなら、既に少女の実力を超えていることに。
道場が黄昏の様相を終える時、少年の素振りも終わりを告げる。彼の師匠は助け舟を出さない。稽古で必要なことは教えているのだ。
少年はまた一つ強さの階段を上がっていく。
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その始まりは小さな小さな穴から始まった。おおよそ二十五年ほど前に遡る。幼女は手の中にあった小鳥の死骸を埋めるために穴を掘っていた。大きな栗ではない木の下で、その根の側に小鳥を置き、一心不乱に涙を溜めながら。掘り終えると小鳥の方へと歩き出した。遠くから自分を呼びながら走ってくる音を耳に拾うと、幼女は咄嗟にその大木へと身を隠す。そして目にしてしまったのだ。
「おわっ」
ドサリ。
自分を探しに追いかけてきた耳の尖った見目秀麗な男が、小鳥のために掘った穴に足を踏み入れ、ずっこけたのを。
男の着こなしていた見事な服は土で汚れ、その見事な顔立ちは歪んだ。立ち上がると小さな穴に悪態をつくのを目にした。
服に付いた土を払い、何事もなかったかのようにすました顔を取り戻すその瞬間を。
幼女は片腕を口に当ててもう片方の手でその腕を抑え、声を出すことを必死で堪える。正確には笑い声を。男が過ぎ去るのを待ってからようやく息を吐いた。しばらく声を出すのを忘れて木の根っこを叩いては笑い続けた。目に浮かべていた涙の意味はこの時にはすっかり変わってしまっていた。
この時からだ。この優しかった幼女が残念な方向へ見事な変貌を遂げたのは。
彼女の名前はシュレイア。金髪碧眼のハーフエルフで、耳は人間の耳が少し尖った程度で長くはない。母は郷長の孫にあたるエルフで、父は冒険者だ。冒険者である父がこの郷で過ごすことができたのは、魔物災害において戦功を上げたからだとされている。冒険者パーティーのリーダーだった彼はその災害の予兆を感じ取り、周囲の反対を押し切って単独パーティーでこの地へやってきたのだ。ここノースガレリアの最南端、緑の谷へ。
進入時には四騎士団を相手取り、時には拳を、時には熱弁を振るった。その熱意は彼が人間だとしても、信じることができるほどに強いものだった。自分たちの危機をわざわざ危険を犯してまで知らせに、また対処するために足を運んできたのだ。ビースト騎士団はその強さに、エルフ騎士団はその熱意に、オーク騎士団はその真摯な姿勢に、ドワーフ騎士団はその固い意志に、その真実性を感じ取ったという。
緑の谷の国は各四種族、エルフ、ドワーフ、獣人、オークで形成されている珍しい国だ。
エルフの王が治め始めて二百年と少し。長寿の王のため、その支配の安定性は非常に高い。ここロストアース世界において種族間の協力体制が築けていることは極めて稀な例だ。ドーナツ型の大陸の最北に位置するノースガレリア地方も例外ではないが幾つもの国が存在する。その国々において四種族が平和に集まる緑の谷の国は他から見て異常である。
人々は言う。ロストアースにおける楽園はここだと。
そんな楽園で先の幼女は今年三十路を迎える。ただ、その容姿は少女のそれだ。極めて長寿のエルフと人間の間に生まれたハーフエルフのそれも極めて長い。エルフ程の長生きではないにしても七十や八十で終わるような飛んでいく矢のような速さで終わる人生ではない。その成長も緩やかである。四十路までは人間の半分の成長率を行くが、そこからの成長はさらに恐ろしく長い。見た目の変化が人族の二十歳をずっと維持し続けるという享楽ぶりである。
穴掘りから二十五年の歳月は彼女にとって一つの技術に特化する時間だった。育てた周りにとっては非常に迷惑なことでしかなかったが。
彼女の両親は所属を人族の街にある冒険者ギルドに置いている。出稼ぎに行ってはたまに帰ってくる生活を繰り返すため、シュレイアは祖父と祖母の元で育った。たくさんの愛情を受けて育った自覚はあるのだが、エルフの子供達とは反りが合わないでいた。ロストアースで人族はほぼ全ての種族から忌み嫌われている。自業自得と言われればそれまでだが、人族は至上主義を掲げては他の種族を迫害し、勢力圏を広げ領土を侵略した。そんな人族の血が混ざっているシュレイアを子供達は蔑んだ。大人たちはあからさまな態度は取らなかったが、子は親の鏡のような存在だ。理性のまだ育たない幼稚さでは判断を誤ることも多い。素直な反応が、鋭い刃となって残酷な言葉としてハーフエルフに突き刺さることもあるのだ。しかし、どんなに酷い目に遭ってもシュレイアの明るさは変わらなかった。三十年の生き様で、彼女はこの緑の谷の、エルフの郷で自身の立場を確立した。
彼女が明るさを保っていたのは性格の良さからではない。シュレイアには自分の人生の浅い経験とは別の、これまた短い誰かの人生の記憶が一端を担う。はっきりとは思い出せないが人生の岐路に立つと必ずと言っていいほど鮮明に情景が頭に浮かぶのだ。夢にまで見る戦いの情景が。そしてもう一人の少女の思考が自分を笑顔にさせる。自分に向けられている蔑みの目も気になることはなかった。同年代の子供達の態度はとても可愛く見えたのだ。大人が子供に向ける微笑ましい感情が彼女を支配していた。不快なことであるに違いないのだが、それでも彼女は笑顔でいる。
そして明るさを保つ最大の理由は、先程の笑顔の美談が霞んで消去してしまう程のくだらないものだ。彼女は一つの技術を昇華させた。怪我をさせないように最大限に気を使ってはいたが多くのエルフを手に掛けた。最初は彼女のいじめっ子達に。さらにはその親達に。そして無関係な優しい人々にもその被害は及んだ。
彼女は大いに笑った。一人でいる時に。
彼女は声を押し殺して笑った。隠れている時に。
彼女は真剣に見届けた。毒牙にかかるその瞬間を。
彼女はこっそり見守った。その顔が驚愕に染まる瞬間を。
彼女は知恵を絞った。自分が笑うために。
彼女は知識を活かした。自分を保つために。
彼女は腕を磨いた。誰にも悟られないように。
彼女は細心の注意を払った。誰にも怪我をさせないように。
こうして彼女はここノースガレリアの最南端、緑の谷の国で、静かに誰にも認められることなく、気づかれることもなく女王として君臨した。
“いたずらの王”として。




